【杵島郡山内町臼ノ河内地区】
歴史の認識 現地調査レポート
S2・251AG98114 高野智史
S2・261AG98157 中屋恵三
調査地:佐賀県山内町臼川内
松尾逸保さん 昭和6年生まれ 68歳(区長さん)
<しこ名>
(小字) (しこ名)
西原 大字大野字今山
前官 たい谷
子谷+小豆田 薬師
大平+井首 みやの
残念なことに僕らが調査する人が留守のため、そこの地域の区長さんにきいた。
<村の水利>
O現在
水田のかかる水は、松浦川からポンプでくみ上げて流す。水は他の村と共有である。臼ノ川内の周りは山が多く、水田は棚田になっていた。
○昔
臼ノ川内のまわりの水田は棚田のため、上の水田から下の水田へと、田んぼを通じて水を流していた。そのため上流が水を取りすぎて下流に水が不足し、よく水争いがあったと
いう。
○1994年の大旱魅には、あまり被害がなかった。このことからこの村は水に関してあまり困っていなかったことがわかった。
<村の耕地>
○圃場整備以前、米がよく取れるところと、余り取れないところがあった。やはり肥えていた土地とやせていた上地があったようだ。
○戦前は化学肥料がなかったため反収5から6俵の収穫だった。肥料にはなたね油など で虫を殺して肥料にしたり、稲をとりその残った稲わらを牛に食べさせてそのふんを使ったり、牛のしたにすかせてそのわらを肥料にした。
O戦後には、化学肥料や農薬のおかげで反収7俵から8俵の収穫になった。
<村の発達>
○村に電気がいつ来たかは正確にはわからないが、昭和6年にはもう既にあったので、明治終わりから大正の始めにかけて電気が来たと考えられる。
またそれ以前は、薪などでまかなったり、平担地ではわらを使ったりしていた。
電気のかわりにはランプが使われていた。
○プロパンガスは昭和40年ごろに各家庭に入ってきた。
<村の生活に必要な上地>
この地域は、共有林よりも私有林が多い。この地域はまきなどには困っておらず、逆に現金収入として有田焼工場にまきを売っていたぐらいだという。このことからまきや肥料(くさ)には困っていなかったようだ。
<米の保存>
○農協に出す前の時代は、産業組合に保存されていた。ネズミ対策には猫で防いでいたぐらいで特に対策は取られていなかった。
○50年前、稗は食べたことがないが、粟は食べていた。
<村の動物>
昔、村には牛が各家庭に1匹ほどいた。その牛は農耕月の牛として飼っていた。またその牛に子を生ませて売っていた。そこには博労がいて、口がうまくて、度胸があったらしい。
<村の道>
道のことについては、今とだいたい同じで、特別の道はなかった。塩や魚は、村を下りて仕入れていた。
<まつり>
8月15日に夏まつりがおこなわれ、若者たちが集まった青年団が中心になって行われる。
またこの村の宗教は真宗であり、家の中には神棚がない。
<農家の在り方>
○昔、農家は兼業農家であり、鉄道、農協、有田焼などとかけもちをしていた。
○今現在、99%が兼業農家であり、郵便局、役場などで働いている。
実は7月11日の現地調査は、私にとって2日連続現地調査の2日日で、もう要領は心得ていた(逆にそれがゆえにパートナーの人が私に期待しているところがあってプレッシヤ
ーになるというところがあったが)。
問題は話をうかがう人が朝の時点では、いなかったということである。一応手紙をだしたのだが、何日たっても返事の手紙が帰ってこず電話したところ、予想通り返事はノーだった。しかも「誰か物知りのかたを紹介してください」と頼んだところ、「うちではそういうことはしないことにしているからダメじゃ。」とはねつけられてしまい、結局現地で直接
訪問する形になったのだ。しかし服部教授が「君たちの持ち前の図々しさで乗り切りなさい。」とエールを送ってくれて、多少の闘志をみなぎらせて私たちは目的地行きのバスに乗り込んだ。結局のところその時の私たちが心に待っていた精神は<迷わず行けよ行けばわかるさ>であった。
佐賀県山内町に着いたときに一番はじめに思ったことは、やはり現地が田舎だということだ。なにしろバスが通る道がなくて、臼の河内の大分手前でおろされた。おろされた場所から30分ほど歩いて、臼の河内に着いて、とりあえず1軒目の家に訪問してみたところ、幸いにも訪問先のご婦人が親切で、臼の河内の人間関係の複雑さを教えてくれた。話によると臼の河内では、最近になってたくさんの人が引っ越してきたらしい。結局そのご婦人から区長さんを紹介してもらい、その区長さんから話を伺うことができた。
区長の松尾さんとの話は私が前に同じような事をしていたという事もあって、スムーズにすすみ(あまりしこ名を聞く事ができなかったが、)聞きたい事は大方うかがう事がで
きた。
話が終わり松尾さんにお礼を言ってから、家をあとにし、村の景観を堪能しながらバス停までの長い道程をすすんだ。日にみえるものは、家と山と田んぼのみで、やはり1家に最低1台の車が必要なのだと思った。田んぼは稲がほとんどでたまにトウモロコシなどを見つけた。でもアメリカのトウモロコシの葉は全部身長より高いぐらいでトウモロコシ畑でかくれんぽができるぐらいだ。反面、山内町のトウモロコシの葉は、だいたい130pぐらいしかなくて何かもの足りないような気がした。
調査もひと通り終えバスに乗り学校への帰途についた。学校に帰り解散してからパートナーとご飯を食べに行き、ビールをおごってもらってその日が終了した。連続で佐賀県の田舎に行き、これまでにない体験をした2日間だった。