歴史の認識 現地調査報告書 調査対象地 佐賀県杵島郡山内町大字鳥海字下山 佐賀県杵島郡山内町大字鳥海字小川内 調査協力者 佐賀県杵島郡山内町 下山在住 樋渡 猛 氏 (大正14年生まれ) 佐賀県杵島郡山内町 下山在住 樋渡耕蔵氏 (昭和29年生まれ) 調査内容 ・小字(公称)と通称地名(しこ名)について ・水利と水利慣行について ・昔の暮らしについて 当日の行動内容 7時30分 JR二日市駅前を出発 8時00分 筑紫野ICより九州道へ 8時30分 金立SAにて休憩 9時00分 武雄北方ICより一般道へ 9時30分 調査協力者宅到着 聞き取り開始 12時30分 昼休憩 13時30分 聞き取り再開 15時00分 聞き取り終了 実地調査開始 16時00分 実地調査終了 16時55分 佐賀大和ICより長崎道へ 17時00分 金立SAにて休憩 18時30分 福岡市内で解散 聞き取り結果 下山(シタヤマ)地区 しこ名一覧 田畑 小字下山のうち ヤマノカミ ブクデ グーズイワ カンノンサマノシタ ヌストイワ 山林 小字下山のうち ツノガクラ クラセド マエノヤマ ヤキヤシキ アマツツミヤマ タケンタニ(岳谷) カタハエ モヤイヤマ サキャーノ(境野) ヤキバヤシ(焼林) マーツカ (丸塚) シンジャージャー(深谷) ヒラコバ(平古場) ヒャーソコ ウツコメダニ(打米谷) 小川内(オゴウチ)地区 しこ名一覧 田畑 小字小川内のうち カサジ 山林 小字小川内のうち ジュウノクビ 下山小川内地区の様子(お話くださった順序で要約してあります。) ・この地区の田んなかは小作として耕作ことが多く遠方の方が持ち主で あることが多かった。 ・周囲の山林の草刈りや枝打ちなどの作業を日付を決めて区役として地 域住民が共同で行っていた。これに参加しないと罰金などの処分が下る。 ・ 神六(ジンロク)山の頂上付近にある雨窪(アマクボ)神社では、年 に1回山に登り祈祷を行っていた。また、そのやまはかつて焼け野原で、今こそは植林によって木が茂っているがすすきの茂っていたころは滑って遊ぶ事ができた。さらに、眺望もよく大村湾から嬉野まで見渡すことができ、元日には初日の出を拝むことができた。 ・現在、小川内から下山に向けて地下に導水路を建設中。これによって新 しく建設される狩立・日ノ峰ダムに水を流すことで小川内地区の洪水の解消を目指す。 ・ 打米谷は、鬱蒼としていて何かが出てきそうで木も植えられない。 ・ 神六山は、他では珍しく山の頂上付近から水が湧き出ている。 ・ 山の所有者は、個人所有から水資源〇〇保水事業のため、佐賀県を中心とした公的所有に移りつつある。 ・ この地区の田畑では、主に米はもとより、なす、かぼちゃなどを栽培していて、家庭用として、食される。かつてはかごで担いで売りに出た。現在は、 オートバイや車で売りに行く人もいる。 ・ 五年前(94年)の渇水時には20時間断水が実施された。給水タンクで水の補給を行い、川の水を少しずつだがポンプで田畑に上げた。幸い上流付近であったためにほかの地区のように争いごとにはならなかった。また、町は武雄や嬉野から水を購入していた。この渇水を教訓としてダム建設が行われ、下山地区の川も公園として整備される予定。 ・ 町営簡易水道が昭和55年頃設置された。以前は、井戸で水汲みを行っていた。つるべを手繰って汲み上げていたとのこと。 ・ 火事を恐れて風呂などの火を使う場所は、母屋から切り離していた。傘をさして風呂に入ったこともあり、露天風呂の様だった。 ・ かつて休耕田では菜種を栽培し、油屋に売っていた。加工賃を差し引いた分だけ油を受け取った。 ・ 過疎の影響で、かつては多かった田んなかも今は山になっているところが多い。 ・ 昭和47年ぐらいから農協の奨励でみかん栽培を行う農家も多かったが、今では1軒で後2年ぐらいしか続けられないだろう。 ・ カラス対策として鉄砲を行っている。またイノシシ対策として、芋畑が荒されないよう鉄線を張り巡らし、そこに電気を流している ・ この地区には野うさぎやたぬき、猿が生息している。 ・ 田んなかで使用するために牛を各戸2〜3頭飼っていた。自給自足を実践するために機械代わりとして重宝していた。家の中で飼っていたために、そのにおいなどが充満することがあった。10年ほど前まで牛は居た。 ・ 電気は大正14年には入っていた。この地区(部落)自体が裕福で、ほかより早く電気を引くことができた。 ・ かつては、子供会などで多くの人が青年クラブに集まって、夏祭に向け、夜間40日間ほどかけて、演劇の練習などを行った。今となっては、山内町の青年団がなくなりかけてしまうほど、高齢化が進んでいる。 ・ プロパンガスは、昭和35年頃入った。それ以前は、裏の山から、樫の木の枝を薪として利用していた。 ・ 耕作機械が集落に入ったとき、分担してその機械を使っていた。 ・ 現在、買い物は主に武雄や有田に車で行っている。 ・ ダムの建設工事の影響で、川ではタニシが激減してしまった。また、蛍も一時いなくなってしまったが、戻ってきつつある。 感想 実際に現地に行ってみないと分からないことばかりであったような気がする。地図上にはないダムが建設されていたり、道が整備されていたりとここ最近で変化のあった地区だった。また、そのような変化がある中で昔ながらの状態が残っているのも事実だった。古老に伺うと、代々語り継がれていることや昔からそれぞれの土地の名称が依然として残っていた。その土地に根づいた言葉で、かつ、それそれに意味を持っているものだった。さらに、現代と過去の生活の変化をお聞きすると、その変遷を再認識することができた。 日々、都市部で生活していると、過去のことなど省みる機会はあまりないが、今回の調査を通じて一端であるが触れることができたことをうれしく思う。最後に、私達のために休日を開けていただき、また、調査の依頼を快諾してくださった樋渡さん御一家にお礼を申しあげます。 大竹友和 今回は、山内町というところを調査したわけだが地図で見るのと現地で実際に見るのとでは相当違うことが最初に来たときの感想だった。というのも道路は結構整備されていて何とか1台は通れる広さで、地理も複雑ではなくあまり迷うことなく目的地に着くことができたのだが、ここで大きな問題が1つ浮き出たのである。それは、どでかいダムがドスンと村(町?)の中に立っていたのだ。(まだ建設中で平成12年度完成らしいいが)これには調査班みんなが驚かされた。なお、後で話を聞いて分かったことだが、地図には載っていない道も多数あり調査した甲斐があったと思える。それから依頼したとおり物知りのおじさんが家の前まで出てきてずっと(どのくらいかは知らないが)待っていてくれて、(1度知らずに家の前を車でぬき去ったのは正直ヤバかったが)愛想よく家の中に入れてもらい、話を聞くという時になったのだが第一印象どおり性格がよくて自分の村を本当に愛しているかの様に誇らしく語るおじいさんとその息子さんはとてもいいひとだった。会話も弾み、ほぼ昼間中ずっと家にお邪魔して後で相当迷惑だったなと少し反省した。しかし、聞いた内容は濃く、貴重なものばかりで全部書き出すことは不可能に近いだろうが、心の中にずっと残るないようだった。また機会があれば調査に行きたい。そしてお世話になった山内町の樋渡さんという方ともう1度お会いして話をしたい気である。 小原雄作 今回グループで知らない町に出向いてこの調査をすると言うこと対して、調査に行く前は初めてということもあり不安な面はあったが実際に現地の人に話を聞いたり町の様子を見学することによって普段授業では味わうことのできない新たな驚きや発見があってよかったと思う。僕たちが調べに行った地域は比較的山に囲まれた地形だったが、そこに水を引 き田を作ったり山の傾斜を利用して果物栽培をするなど昔から与えられた環境の中でいかに生活するために適した環境へ変えて行こうかと模索する人々の姿がうかがえた。住み良い暮らしの上で1番重要な資源は水であるが話によると5年前の旱魃がきっかけとなって近くに大規模なダムが建設されているとおっしゃっていた。普段何気なく使っていた水が水不足のために制限されたときに改めて水の大切さを知った人は多いと思うが水が不足すると稲が育たず直接自分たちの生活に関わってくる人たちにとっては僕たちの思っていた以上に深刻な問題であったということを知らされた。他にも道具や機械が揃っていない中での昔の人たちの暮らし方にも興味があった。最後に僕たちの様々な質問に心よく答えて くださった樋渡さん一家に本当に感謝したいと思う。 岸川昌弘 調査員 大竹友和 1EC98025M 小原雄作 1EC98032T 岸川昌弘 1EC98044S |