歴史の認識 現地調査 *調査した場所:佐賀県山内町大字鳥海中通辰石 *調査した学生 三橋 敬子 1AG98222T 山田 菜穂子 1AG98243Y *聞き取りをした相手の方 山北 鹿男さん : 大正11年生まれ *一日の行動記録 9:00 六本松集合 9:30 出発 11:30 山内町到着 降車 昼食等 1:00 杉原さん宅到着 山北さん宅へ移動。聞き取り開始。 3:00 聞き取り終了 3:10 六地蔵、神六山の頂上へ連れていっていただいた 3:40 バス乗車 出発 −1− *村の名前:中通辰石 村の範囲(含まれる小字):三反田、西平、稗田、古門、松ノ木、山仁田、西ノ間 (小字は道や堀などで厳密に分けられているが、村の範囲というのは、 はっきりとは決められないそうです。地図では、赤い線で囲ってあります。) <しこ名一覧> *田畑 小字三反田 のうちに、ウメノキサンダ、フダンモト、トウノウ:地図に記入 (三反田は20年近く前圃場整備され、昔の姿は残っていない。かつては小さな水田が たくさんあり、その一つ一つに名前が付けられていたようだが、それはその持ち主で なければ、ちょっとわからないとのことです。また、三反田は中辰だけの土地では なく近辺の村のひとたちと共同だそうです。現在では、この辺りのことをまとめて チャーバと呼ぶそうです。) *ほか(おそらく屋号のようなもの) 小字古門 のうちに、フッカド 松ノ木 のうちに、マツノキ(松ノ木) 三反田 のうちに、コウゾウ 稗田 のうちに、ハチノジヤマ 西平 のうちに、ロクンゾウ(六地蔵 その他(小字がはっきりわからなかったもの)・・ノクチ、タクチ、サカクチ、 ハザコ、ツジ <使用している用水の名前> *黒仁田池(三間坂川の上流のため池) 「ツツミ」といっていました。他にも二つあるようですが、はっきりと 分かりませんでした。これらは、純粋に農業用のものだそうです。 −2− *米は現在、農協に売っていますが、それ以前は食料事務所に出荷していました。 *川の上流域のほうが下流より平野部に比べて収穫量は少ないが、おいしいお米が取れるそうです。 *昔は村には牛が多く、9割の家で牛を飼っていました。これらのうしは農耕用に使われていました。 *土砂崩れや鉄砲水に備えて竹を植えていました。 *山間の村なので、昔は週に1回魚屋さんが魚を売りに来ていました。いまでも八百屋さんが来るそ うです。 ただ、最近は皆、車を持っているので下(町の方)まで買い物をしにいくそうです。 *村の祭り ・秋の奉納際(収穫祭) 「浮流(ふりゅう)」という踊り。9月23日に行われる。浮流の演奏法が全て記された浮流絵巻の コピ−をいただきました。 衣装は、本林(ほんばやし) :袴と鉢巻 三巴(さんぼ) :袖の長い着物 猩々(しょうじょう。狸の意味):蓑 ・かんこ踊り 平家の踊り。この辺りは平家の落人が暮らしていたそうで、杉原さんという苗字が多いのはそ のためだそうです。この踊りは重要文化財に指定されており、伊勢の方に、同じ踊りがあるら しいです。衣装は武士の格好で、刀を差します。 −3− *村のこれから ・県道など、コンクリ−トで地面が塗り固められることによって水のめぐり方が変化したという ことです。今まで水が出ていたところから出なくなりったり、出なかったところから水が出るよ うになってしまいました。もちろん、舗装して便利になりましたが、100%良いところばかり ではないと言っていました。 ・この村に限らず、若者の農業・農村離れによる後継者不足は深刻でです。村にはあまり仕事が ないので中央の大学に行ってしまった若者は、まず帰ってこないし、親も帰ってこいとは言い づらいそうです。 ・人手不足や過疎化なので機械を使いだしたそうですが、機械を買うにはとてもお金がかかるの で赤字がでてしまいます。今はただでさえ採算がとれないでいるのに、またさらにお金がかか てしまいます。 ・仕事を業者に頼むことが多いそうです。米を作っても、作らないでも、どちらを選択しても儲 からないので、田はどんどん荒れていってしまうそうです。国から補助金がでているので (借金のようなかたちで)土地を勝手に売ったり、他の事に使ったりできません。 −4− |