柳原

1EC98250N    渕上 桂子
                1TE98844M    田中 邦典 


     井出 運太郎 さん   大正13年4月27日生まれ
     井出 雪雄  さん   昭和4年4月26日生まれ

山内町立野川内柳原
       
調査をした山内町立野川内の柳原は基盤整備のため境界が変わって
  いたため、事前に調べた柳原の位置とは多少異なっていた。

行動記録:はじめに柳原橋まで行き、ダム建設があることを知った。
       井出雪雄さんのお宅におじゃましたところ、井出運太郎
       さんを紹介していただき、雪雄さんと運太郎さんにお話
       をうかがった。


  しこ名
小字柳原 アランキリ、ナカガミ、ジンゴロウ
小字日峯 ヒダカキ、スミダ(墨田)
小字横畑 ショウジンクウ、ヤガクラ(矢ヶ蔵?)
小字松ノ木原 (マツノキバル) コウミテ


  橋
日ノ峯橋 ダム建設の関係でつくられた
中神橋 林道の関係で移動
山ノ上橋 ダム建設の関係で移動
コウミテ橋 昔はまだ無かった


小字山口には『クツワイデ』と呼ばれる場所があった。(狭い範囲)
 ここは有田まで薪を運ぶための馬を休ませるための休憩所であった。
 またここには『バトウ観音』と呼ばれる観音像もあった。

横畑には今はもう無くなってしまった道があり、その道は上記の
『クツワイデ』で合流していた。

 ・柳原橋を渡ったところに林業の作業場があったが、現在はダム建設
の事務所となっている。
 ・その林業の作業場の北側には『イデンカワ遺跡』と呼ばれる遺跡が
 あった。また柳原橋から南西方向には『イデンカワ水路』と呼ばれる
 水路があった。

『イデンカワ水路』が通った谷は、昔『ゴエモン谷』とよばれ、その
南部には『ソマダン谷』とか『ジンベエ谷』と呼ばれていた谷がある。
  お話によると「谷の名前は、その付近の地主の名前からついたのでは
  ないか」ということだった。

小字松ノ木原のコウミテにはそこを流れる川の水利権があった。

・コウミテには『山神様』と呼ばれる神様がまつってある祠がある。
 この『山神様』には、林業関係の人々が1年の安全を祈願して、毎年
 1月9日に『初山神さん(はつやまがみさん)』、1年の安全を感謝して、
 12月9日に『終山神さん(おわりやまがみさん)』と呼ばれるお祭り
 が行われ、この両日は祭日とされている。神様は南や東を向くのが
 普通であるが、『山神様』は北を向いており、なかなかお願いを聞いて
 くれないしたたかな神であるらしい。そのため神主も慎重に御払いを
 するのだが、ダム建設のため掃除もしなくなっているのが心配である
 らしい。

・小字横畑のヤガクラはバイパス建設の際に、矢じりや陶磁器、黒曜石
 が出土したため遺跡調査を行った。この付近の山は『カンノン山』と
 呼ばれ、太古の昔、狩人同士がなわばり争いで激戦したところであった。
 ヤガクラはこのための武器の製造場所であったのかもしれないらしい。
 従って「ヤガクラの由来は、『矢ヶ蔵』からきているのではないか」と
 いうことだった。また遺跡調査で、狩人一団の住まいも見つかり、皮を
 はぐ包丁やかまどの跡も出土した。

日峯池の南部、有田方面の道は『ワランコエ道』とか『フッコバ道』と
呼ばれていた。

・木登池の北東部には『盗人岩(ヌスドイワ)』と呼ばれる洞穴があり、盗人
がここに身を隠し、食料や衣類が隠されていた。
 ・この地区に電気がきたのは大正10年で、それまでは、なたね油や石油
  ランプを使用していた。電気がきたときは各家から1本の木の電柱を出し
  電気を引いた。プロパンガスがきたのは今から40年くらい前で、それ
  までは薪を山に取りに行き使用した。また現在もお風呂は薪を使用して
  おり、大工さん達は薪を処分するのにお金を出さないといけないので、
  捨て木をもらって薪としている。

昔、米は庄屋や米屋に売っていた。保存は籾の状態で保存した。
 籾には虫がつかないので、籾の状態で俵に入れ、2階の『ねだ』と
 呼ばれる所にあげて保存した。夜『とうす』で皮をむき、臼でついて
 精米した。

5年前の大旱魃のときは、ポンプを使って川の水をくみ上げたり、
 川の湧き水を使用した。お風呂の水はくんだ水を使用し、飲料水は
 自衛隊の給水車による水を使用した。また40年前にも大旱魃が
 あったらしく、当時はポンプなどが無かったため、川の脇を掘って
 池をつくりくみあげた。

南部には若者たちが夜、力比べのために相撲をとった『カクノクラ』
 と呼ばれる場所があった。また木登池近くには、風流を楽しむ
 『風流谷』と呼ばれた谷がある。柳原東部には、遊び場としてや
 恋人たちが会う場所として『チョンノクボ谷』と呼ばれた谷がある。
 ここの洞穴は出入り口が狭く内部はとても広いものであった。

 
  柳原の今後

柳原付近は10年に2回は渇水があるために、現在建設中の『木登ダム』
を優先的に使えることになった。このダムは日峯池のダムとつながって
おり関連ダムとなっている。

水 … ダムができる事によって、水の心配は一応ないのだが、ダム
     ができて栄えた町は無いため、とても不安に思われていた。
     発達するかどうかは、政策に期待するところであるそうだ。

・風 … ダムができる事によって、風が変わってしまう事がある
     そうだ(下図)。

                       水蒸気
              南風

              


       北風


      ダムの下は空間になり風がこなくなり、北風が厳しくなる。
      このための農作物への影響が心配される。

酸性雨の心配は無いだろうとおっしゃっていた。

渇水のときのほうが収穫も結構とれたので、普段は農作物に水を
やりすぎているのではないか?「稲はどんどん干せ」

ダムができても地元にはあまり利益はない。むしろ伊万里、唐津など
が潤うための犠牲となっている。

国や県が調査して強引に建設していくので、結局、涙を飲むのが地元。
 地元の要望が「予算がない」といって聞いてもらえないので、地域的
 に見てもらえる方法があれば幸いとおっしゃっていた。