【杵島郡山内町大野下地区】
歴史の認識 現地調査レポート
1ag98002 赤木孝暢
1ag98022 岩崎裕聖
私たちの旅のにっき
私たちの現地調査は佐賀県の山内町というところでありました。そして私たち2人が調べたのは大字が大野で小字が下というところでした。
大学に入ってこういう風に大勢バスに乗って現地調査に行くということが初めてだったのでなんだか遠足みたいでわくわくもしましたし、町の古老の方々とうまく話せるだろうかとても心配でした。
当日は少し雨が降っていてがっかりしましたが。現地に着くとすぐに雨があがり絶好の調査日よりとなりました。
しかし、いざ調査となると私たちのグループの人たちも顔色を変えて、「意地悪な人だったらどうしよう。」とか「うまく話せるだろうか」とか「おれたち最初断られたけど大丈夫かなあ。」などと心配していました。実際私たちも訪問先の浦初次さんが、都合が悪いから
午後三時を過ぎないと帰れないとのことだったので「どうしよう、突撃インタビューしかないなあ。」などといってまずは古老探しから始まったのです。
私達は数で勝負しようと思い、農業機械のおいてある家をかたっぱしから回りましたが留守のお宅が多かったり「あまりよく知らない」と断られたりで、私達は少々落ち込みました。
しかしなかにはとても親切な人がいて思わぬ収穫がえられることもありました。
そうこうしているうちに自分たちが満足のいく情報が手にはいったので浦さんのお宅に一応いってみようということになりました。しかし、なんと浦さんは留守中だったにもかかわらず、私達が来たということを奥さんから電話で聞くなり飛んで来られ私達に話しをしてくださるというので本当に感謝しました。また浦さんの話はとても面白く歴史のことには関係なくても私達のためになることをいろいろ教えてもらい、おまけにお土産までもらいました。そのお土産はとっても大きいジャガイモ、タマネギ、真っ赤に熟したトマトでした。もちろん浦さんが栽培されたものでした。昧は文句なしの一級品でした。
私達の調査はそういう事もあってとてもためになってまた楽しいものでもあったのです。
2古老から聞いたこと
私達はアポイントがうまくとれなかったため、現丿也に行っていろいろな家をまわったので、うまく講義の内容に沿ったことは聞けなかったかもしれませんが、人としてのありかたなど、講義室のなかでは聞けないことが聞けたのでよかったと思う。
田ん中のしこ名
私達がはなしを聞かせてもらった浦初次によると、私達が歩いてまわった大野下地区は圃場整備はしたけれど、今も昔も田ん中の呼び名は変わっていなくて昔のまま独自の呼び方で呼んでいるということでした。
しこ名の例
井樋
あじゃり
なかしま
もちのき
うしのくび
井樋
田ん中のしこ名と同じであまり昔と今も変わっていないらしい。
「みらくち」というらしい。
橋
橋の名前も大野下地区でわとくにあるわけでもないらしい。
動物
昔は各家で牛や馬かっていた、というのも昔は田を耕したりすいたりするのは牛や馬の仕事だった。また、牛の貸し借りも各農家ごとにあった。
農作業
昔はもちろん機械があるわけではないので田植えの時期になると大忙しだったそうだ。話によると一家総出で行っていたため子ども達は学校を休んで手伝っていた。もちろん村の殆どが農家だったので学校は田植え期間中は休みだった。
そして田植えには仕事分担があった。嫁や娘は朝早くからおき、苗を仕分け、子どもたちがそれを運び男が苗を田んぼに投げ入れみんなで田植えをしていた。もちろんその他の力仕事は男たちの仕事だった。
まつり
ひがんぐもり(彼岸)
田祈とう
やはり米をつくる農家にとってはとても大切なもので豊作を祈って行う。(6月)
流鏑馬(秋)
為朝の影響
水利
平成成13年に新しいダムが2つできる予定だが、現前は水不足の危機はなく、農家の人が皆で川水路の掃除をするなどして(みそざらえ)川水路の美化に努めている。しかし、皆で水路を共有しているため、ちょっとしたいざこざもたまにある。
黒髪山の大蛇伝説
大野下地区というか山内町全体にこの伝説がある。この伝説は他にもたくさんある大蛇伝説とは違って、何やら妙に神秘的なものに私たちは感じられた。
その伝説は、黒髪山に昔大蛇が棲みついていて人々に危害をもたらしていたのを見かねた鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が大きな弓矢で退治したというはなしだ。
宮野地区に行ってはなしを聞いたところ、退治した大蛇を牛首から背負ってきたのだが、あまりの重さにとうとう牛もダウンして歩けなくたってしまった。そこでその場所についた名前が牛の首というふうにいろいろとこの大蛇伝説にまつわる話はたくさんあるのだが、この大蛇伝説でもっとも興味深いのはこの大蛇は実は黒髪山に棲みついていた山伏か山賊のたとえであるかもしれないということだ。
もし農民が黒髪山の山伏や山賊にひどく苦しめられていたのなら、それを大蛇にたとえて伝説にしたということが考えられる。
町のこれから
やはりテレビや新聞などで取り上げられているように農業だけでは現金収入が少ないわけで、今の若い人にとってはあまり魅力がないので、若者は高校を卒業すると村から出て行ってしまうらしく、そのような問題を解決するために農業の集団経営などを考えていき、高価な農業機械を共有し、1軒の農家の負担を減らそうという動きがあるが、一体誰が器械を管理するのかなどの問題がある。
私たち農学部はそういうことを授業では聞いていたが実際にこういう問題に直面している農家のかたがたの話を聞いて真剣に考えなければならないと思った。
感想
この現地調査で私たちはたくさん学ぶものがありました。農村のくらしについてはもちろん、その他かにも町の老人から人生について話を川いたり、戦争の話を聞いたりして不当にためになりました。また浦初二さんにはお忙しい中、わざわざ駆けつけてもらって本当にありがとうございました。