白岳

白岳

子字名
 ヒエダ
 ハガシラ
 ハッタンダ
 ヤマテ
 オンダラ
 コイデ
 サイヤサン

村の範囲
 (地図参照)

村の耕地
 (地図参照)

村の発達
 電気:明治
 テレビ:昭和29年ごろ、東京オリンピックのころ
     力道山や相撲を見た
 ガス:電気よりも遅く
    石油こんろが嫁入り道具だった。石油は高かったので、灯油をよく農協に買いに    行った。
    ガソリンは高かったので、点火剤にのみ使い灯油を燃料にした。ガソリンは輝圧    油とよばれた。
 水道:飲料水は井戸からとった
    一家に一つあった
    現在も使用可能
    用水路に特に名前はなかった



村の生活に必要な土地
 入り会い山・・・白岳にはなかったがあった。
         薪は山から手に入れていた。誰かから買うことはなかった。たきもん         小屋に保存した。夏は忙しいので暇な冬にたくさんとりにいった。


村の動物
 各家、牛一匹、馬一匹、どちらか持っていた。
 両方もっている家もあった。
 農作業では牛、農作物の輸送用には馬をつかっていた。他の家のものも運んでやっていた。
 仲買人は白岳にはいなかったが他の村にはいた。それも今は年をとっていなくなった。
 子牛のころから育て、やっとしつけが済んだと思ったら、博労が来て交換しようといってくる。そうするとまたしつけをしなくてはいけない。

村の道、古賀道
 (不明)

村の祭
 若者がいなくなって、7年くらいまえに青年団が解散した。
 サイヤサンの祭(夏祭り、9月):青年団が主になってやっていたがもうできなくなっ                 た。しかたなく消防団がその後やっていたが、一昨                 年までで、去年はやらなかった。しかし、村の話し                 合いで今年はすることになった。やはり櫓を組んだ                 りしなくてはいけないので若者が必要である。
 八幡神社:年に一回の豊作祝い
 観音様:彼岸ごもりといって建物の中にこもって祈った

村の若者
 相撲をしていた。(昭和37年頃まで)
 夜、女と水泳などをして遊んでいた(にやにやしながらいっていた)
 夜も仕事があり、わらうちやむしろうちなどをした。
 花札。賭はしたが、お金ではない。
話を伺った方 
 坂口輝馬(昭和10年生)
 森芳信(昭和25年生)  
  

調査
 1999/07/11

 矢熊
 山岸
 
       一日の行動の記録

      11:00  白岳到着
           現地を歩いて調査

      12:00  坂口輝馬さん宅に訪問
           お話を伺う

           森。芳信さんにお話を伺う

      15:00  現地を歩いて調査
 
      16:25  バスに乗る