【杵島郡山内町郷土原地区】
歴史の認識 現地調査レポート
ITE98667上田貴則
ITE98703 田篭孝一
我々は山内町を訪れその土地の田について山内町に住む古老に尋ねた。
まず村の耕地についてとくに米のとれるところ、とれないところを聞いてみたところ、山のちかくにある田んぼで“山田” と呼ばれる場所は耕地整備が進んでいないために米があまりとれず、逆に平地のあたりでは耕地整備が進み米がよくとれる。その差はだいたい4、5表にもおよんでいた。
次に村の発達について聞いてみたところ、電気が村にとおったのは大正の初期頃でそれまでは電気のかわりにローソクやあんどを使い生活をしていたそうだ。また食生活については現在、我々が食べているような白米は食べることができず、芋ごはんや麦ごはんを主食としていたらしい。
おかずには小くじら(シオクジラ、塩鯨カ)やいわし、大根、じゃがいもなどだった。
そして住居は大半がわらぶきの家だった。またにわとりを飼いその卵を食べる家も多かった。
村に必要な土地としては風呂をわかしたりするのに必要な薪を拾うための山地が必要だが、この山地は前述したように山田のある場所が山地なので問題はなかった。山地は米はとれないが、薪を集めるために必要だったのだ。
米を収獲するさいに重要なことは、とった米をどのように保存するかだが、今は農協があるが昔は村に個人の米屋があり、そこに売っていたらしい。
昔は米をつくる際に必要なトラクターなどはなかったが、そのかわりはどうしていたのか聞いてみたところ、各家に牛を飼いそれをかわりに使っていたらしい。
村の祭りは今も昔もかわらずその村の青年団がその土地で“はな” と呼ばれるお金をもらい、踊りを先生の家に習いに行き“はな” と踊りで昔からずっと現在まで祭りをしてきたらしい。
お話を伺った方
北山景一さん