【杵島郡山内町犬走、山口馬場野地区】

歴史の認識 現地調査レポート

1TE98267岩丸宗史 

ITE98774松山 崇

 

199985

訪問先:福田誠

 

山内町

犬走

山口馬場野

しこ名(カタカナ)一覧

【田畑】

小宇 五反田のうち

ナカダ、コバヤシ、ツツミシ夕、ハシグチ

小字 谷川内のうち

コウチ、ムゲシタ、夕ニ、タケンコバ

小字 山口のうち

マツヒラ、サルドシ、ヤシノクボ

【谷】

小字 神山のうち

ショウブダニ、サヤンモト、ヒノクチ

 

【湖】

小字 五反田のうち

ヨシンタニ(地図上では古谷地と記されている)

 

使用している用水……ウーカワ

用水源……ウーカワと呼ばれている川

共有している他の村……武雄市

昔の配水の慣行・約束事……ウーカワの水は、水利権が武雄市にあるため、山内町のダムには水は入れられない。かんがい用には使える。

昔の水争いの有無……特になかった。

 

 

 

 

1994年の大旱魅は、時間給水が行われた。

塩や魚は、唐津の方から商人が売りに来ていた。年2回程イワシを干して食べていた。

(余談)昔は醤油のしぼりかすを日に干して、粉にして、ふりかけのようにしてたべていた。

・副業としては、山の材木を売ったり、養蚕などであった。

・村に電気が来たのは約75年前で、ガスは終戦後であった。

・入り会い山について、昔は神山の奥のほうから薪を取っていた。

・特に米がとれる所は、山口あたりの田であるという。その理由としては、地盤が関係しており、地盤の深い所が良いという。また、化学肥料が入った後と200kgほども多くとれるらしい。戦前の肥料としては草や牛のたい肥であった。

・米の保存は、太い甕に入れてもみがらで囲んでいた。これはネズミ対策である。また、青田売りはあった。

・村の動物は雌が多かったと言われていた。また、訪ねた老人の方は子豚の生産をしていたと言われた。

・村の道についてだが、この地方、犬走の方は、昔も今も道は大して変わっていないらしい。

・祭りは、全員参加の秋祭りがある。昔からの踊りがあって、これをなくさないように子供たちに伝えようとしている。

・昔の若者がしていた事

     村の踊り     

     時々お寺で映画があっていた。    

     男性は木工

     女性はわらぞうり、わらじ作り 

     力石はなかった。

  ・ 青年クラブ(公民館で)というものがあり、夜這いなどをしていた。

 

・村のこれからについて

 昔から村の景観としてはそんなに変わってないらしいが、圃場整備で仕事は楽になったという。また、交通が便利になり、商人も入ってきて、生活がよくなった。

 今後は、米は安価であり仕事も割りにあわず、百姓もする人が少ないという。孫はやめるだろうと言っておられた。

 (余談)学校へ行く道は石わらであり、草履を行きで履きつぶしてしまい、帰りは裸足だったという。つまり一日一足であった。