【藤津郡嬉野町川内地区】 現地調査レポート 1EC99138 松林祐貴 1EC99120 藤井 舞
川内地区:話を伺った方 大島 政実さん(S.12、2生)
水利と水利慣行 使用している用水の水源は、鞘川で、上流域のヒロコラ(広川原)から水を引き用水としている。下流域の峰と川内で、用水を2線引き使用している。使用する上の取り決めとして、水田の面積に応じて、田に水を引く水口の大きさを決めている。(小さい田には一寸口など) ※一寸口の写真省略。
昔、水争いはなかったが、夜中に水を多く引こうとしていた人もいたので、夜中にだけミゾバンと呼ばれる人を、見張りとしてつけていた。 1994年の大旱魃の時には、ヒロコラ(広川原)のところに水不足の時のための溜池があるので、米がとれないということはなかった。また、溜池は昔からあるので、たとえ30年以上前に大旱魃がおきたとしても水に困ることもなかっただろうということだった。その溜池の水の量を調節するセンゴンバンと呼ばれる管理人がいる。センゴンバンは、ヒロコラの人がしているので、カワチとミネとヒロコラの3部落でわずかではあるが、報奨金をわたしている。 それに、旱魃の影響で田を畑に変えることもなかった。それには、かつて減田のために転作をしたことも田を畑に変えなかった理由のひとつであるらしい。また、この地域の人は、雨乞いの経験はないということだった。
昔の暮らしについて 村の発達 村にいつ電気、ガスがきたかというのは、よくわからないということだった。だが、やはり昔は、薪で御飯や風呂をたいていたということだった。薪を手にいれるために、川内地区には、国有林、かしつけ林、はらいさげ林と言われる共有林と個人で所有している山がある。
米や田に関して 昔はだいたい450当たり7俵半、米はとれていた。いまではもう少したくさんとれている。なかには10俵とれる良田もある。ただ、品種改良でおいしい米をつくれという方針がだされているために8〜9俵ぐらいが平均ということだった。 では、むかし、どういう田が良田だったかというと、田の面積が広くて、水のたくさん入る田がよくとれる良田で、逆、つまり、面積が狭く水の入らない田が悪田ということだった。
また、戦前戦後は、食糧難のためにあぜに小豆をまいていた。そのためにあぜもきちんと手入れをし、きれいにしていたということだ。 農薬のない時代には、ウンカなどの害虫よけのために、水と油を足でかけていたらしい。それは、なぜかと聞いたところ笑ってらっしゃったがおそらく、油が害虫のはねにつくと飛べなくなってしまうからではないかとおっしゃっていた。そして、戦前戦後の時代、肥料は堆肥などを使っていた。また、他の肥料がないときには、草を切って田にいれることもあったそうだ。また、いまでは裏作はしてないが、むかしは、田畑で麦をつくっていた。地主との関係は、地主に土地を借りる代わりに、できた米を納めていた。そしてそれをカチキと呼んでいた。 青田売りはこの地域ではしなかった。しかし、銘柄米などは青田買いをしていたらしい。 また、川内では、飯米のことをホユウ米と呼んでいる。
村の動物 むかしは、川内地区には、農耕用としての牛をたくさん飼っている家に頼んで牛をかり、田を耕していた。一件に一頭ずつはいたそうだ。いまでも、トラクターのない家は、牛を飼っている家に頼んで借りて田をつくっているらしい。だが、私達が歩いていても牛の飼っている家は、一件しか見当たらなかった。その家も二頭しか飼ってないように見えたので、いまは、ほとんどの家がトラクターをつかって田を耕したりしているのだろう。
昔の若者 さすがに夜まで、働くということはなかったらしい。また、ほとんどの人が、結婚するまで、青年クラブというところにいって話をしたりして寝泊りをしていたらしい。花見なども一緒にしていた。 青年クラブでは、礼儀作法にとても厳しいみたいだった。それなのに、干し柿泥棒とかもしていたと笑いながらおっしゃっていた。 隣村の若者ともよく遊んでいたらしく、そうしたよそものをむらに立ち入らせないように妨害したり、自警団のように活動することもなかったらしい。
その他 川内では、観音様のまわりに子供達があつまって灯ろうをあげて夏祭りをしていたらしい。
川内は山の方なので魚など魚介類を食べていたのかきいたら、失笑されてしまった。魚は、魚屋の人がかついで売りにきていたということだった。塩もお店に売ってあったので容易に手に入ったらしい。
川内の小字 川内の小字は、ジュウノハシ(重の橋)、カワチ(川内)、ジュウノヒラ(重の平)、ヒラバヤシ(平林)、エノキノモト(榎の本)の五つ。
川内のしこ名 はっきりとした場所が分かるのは少なかったので、とりあえず、名前だけを箇条書きにしたいと思う。また、場所のわかるのは地図に図示する。 キンモイ(溝の分かれているところ)、ターバイ(田原)、シモガワチ(下川内)、ノンナカ(野中)、ヨシント、ヨッゴシ、ジュウマ、サカナカ、ハカノウラ、ハカノマエ、ムラノコガ、ヤマノカミ、カミコガ、シモコガ。これらは、全部田ん中のしこ名であり、山や谷のしこ名は御存じないということだった。
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