【藤津郡嬉野町両岩】

現地調査レポート

1SC99224高橋克彦

1SC99247松本高幸

質問した人:田平晶(たびらあきら)さん

昭和87月生まれ67

田平さんは気さくな人で、結構協力的であった。時間がもうちょっとあればもっと調べることができたのに残念だった。

両岩(もろいわ)

用水源

荒平堤(あらひだづづみ、ママあらひらづつみヵ){溜池}

吉田川

昔の水争い

荒平堤の川水が遠くまでは届かなかったため、隣の村(寺辺田)とあったらしい。

共有している他の村

寺辺田等付近の村

 

しこ名

コウラダ(河原田)            由来 河原の近く

チシャノキ                     由来 チシャノキがあったので

クウジ(小路)

ヨロイダ(鎧田)               由来 田んぼが鎧のようになっている棚田

ササダニ

ウトダニ

ムクノキダニ

ジュウメンジ

ユケゴ

ヒャーケダ(日焼け田)     由来 すぐに旱魃になったから

ゲンシヤマ

シシゴウ

 

ほかにもまだまだいろいろあるらしいが、もう分からない人が多くなってしまったとのこと。昭和40年代に区画整理があり、もうしこ名は使わなくなっているためらしい。これが無ければもっと残っていたのかもしれない。しかし、耕耘機を使ういまの農業には、広い田んぼは不可欠であろう。そのためには仕方がなかったのかもしれない。

また、現地でもしこ名を保存しようとしているらしく、調査を開始するために、皆で話し合いをしているそうだ。来年ぐらいには出来上がっているだろうとの田平さんはおっしゃっていた。出来たら公民館に保存しておくらしい。もっと色々な所でこのような事をして欲しい。

 

近くには男岩(男立つ{オダツ}、女岩(女立つ{メダツ})と呼ばれる岩があるらしい。ぼくたちも、付近の由を眺めてみたが、それらしき岩は見つからなかった。しかし、山にはたくさんの岩があり、それらが山の木々の闇から飛び出していた。それを写真にとっておいたので見て欲しい。

また、付近には陶土の出る所があるらしく、数年前には九大の教授が調査にきていたらしい。よくはわからないが、結構珍しいようだ。

 

荒平堤は水がたまっていたが、ひょっとしたら今は使ってないのかもしれないとおもった。水が汚かった。しかし、それは夏だからで、多分使っているのだろう。写真に水と堤の様子が映っている。

 荒平堤の写真(写真省略:入力者)

 

荒平堤を見に行く時に、道を登っていると茶畑や田んぼがあった。とても狭くて、耕耘機とかは入りそうにない。どうやら手で植えているようである。これはすごいことだとおもう。生活するために必要なのだろう。今は車があるのでまだいいだろうが、昔は結構大変だっただろう。重いものを持ってあがらないといけないので。ちょっと昔の生活の一部が見えたような気がする。こういう田んぼは自分のためのものだろうから。

 

お店の御姉さんが言っていたのだが、このあたりには田平という苗字が多いそうだ。10何軒あるらしい。やはり昔から住んでいる人が分家してできたのだろうと思う。遠い親戚に当たるのだろう。その人は両岩に嫁いできたらしい。最初はここの生活に苦労したといっていた。それまでは熊本のほうで看護婦をやっていて、余りの違いに戸惑ったそう。しかし今では馴れたらしい。やはり違いは農作業のことと店の少なさではないだろうか。そこも田平と言う苗字だった。

また、田平さんの家には江戸時代の領主の家系図があった。その家系図(というか人物の行動記録のようなものであった)は結構信憑性がありそうな古いものであった。見せてもらったのだが、漢文で書いてあり、(返り点とかもあったが、これは後でつけたものではないだろうか)みてみてもよくは分からなかった。

昼食をご馳走になったが、普段の昼食であろう。菜食が基本のようだ。おかずはサラダ、味噌汁、あと少し肉があった。健康的な食生活で、これは見習いたいことだ。

 

1日の行動記録

09:00六本松キャンパス集合

09:15出発

11:30田平さん宅到着。いろいろと話を伺う。昼食もご馳走になる。

14:00話を聞き終える。田平さん宅を出発。現地の探索。

15:30バスの待機場所に到着

16:00嬉野町を出発

18:00六木松キャンパス到着。解散。

 

調査を終えての感想

日本にはまだまだこのようなところがあるのだということを再確認した。一昔、いやふた昔前の農村の感じがした。日向は暑いが、目陰に入るととたんにすずしくなる。そのようなところは、やはり過疎化の波がきているらしく、若い人たちは都市に出て行ってしまうらしい。しかし、日本全体が都市になってしまってもいけないので、きっちりこのような所も残していって欲しい。それがわれわれのするべきことの一つであろう。

最後になりましたが、今回の調査にご協力くださった田平さん、ならびにこのような機会を設けてくださった服部先生、ありがとうございました。



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