【藤津郡嬉野町納戸料】

現地調査レポート

1EC99241 林健司

1EC99261山田直人

 

調査日2000720

語り手:

中島春雄さん

堤光吉さん(大正14年生まれ)

 

今回の調査では、二人の年配の方に話を聞くことができたが、しこ名については御二人とも覚えていることが少なく調査できなかった。しかし、昔の生活などについて興味深い話を聞くことができた。

・村の名前

納戸料

・小字一覧

羽口(バグチ)

小ケ倉(コガクラ)

吉野(ヨシノ)

清用(セイヨウ)

楽一(ラクイチ)

(モリ)

 

・村の水利について

昔、村にはいくつかの井堰が存在した。ところが、現在残っている井堰は、聞いた話によると、三つだそうだ。その位置は地図に書き込んでいる(地図省略:入力者)。井堰は、1メートル50センチメートルもの高さになる泥で栓をしてあり、一年に一回、秋に掃除を行う。(水を抜いて、泥栓を取り除く)

井堰の水は、川からひいている。その川には、戦前、多くの魚(フナ、ウナギ)やカニが海から上ってきていたのだが、戦後の圃場整備によってその数も減ってしまったそうだ。しかし今では、県の援助もあって見直す動きも出てきている。

1994(平成六年)、つまり今から6年前に、大干ばつがあったそうだが、この納戸料は川が二本流れており、昔から水に苦しむことはあまりなかったそうだ。それでも困ったときには雨乞いを行っていたらしい。(堤の所にお金を置いて神様に祈る)

 

・農業について

納戸料では、戦後、水稲、茶、みかんを主に栽培しているのだが、昔は麦も作っていたそうだ。麦は今作ってもあまりお金にならないので作らなくなったそうだ。

ここで、水田の防虫のことについて聞いてみた。はじめ、菜種油を使うといわれたので、菜種油でどうやって虫を殺すのだろうと思ったが、話を聞いてなるほどなと納得した。まず、菜種油を水の上に落とす。すると油はパァツーと広がって、水の上に油膜ができる。その後、足で稲をけって、虫を落とすと虫は油の上に浮いて、そのまま死ぬ。それでも稲の中に残っている虫は一匹一匹手で摘み取っていた。この菜種油は稲には全くの無害だが、他の油だとだめだそうだ。この方法は戦後まで行われていたらしい。

 

・窯業について

納戸料を歩き回って、いくつか目に付いたのが陶土工場や製陶所だった。そこで、窯業もさかんなのかどうか聞いてみた。この地方では、お茶や温泉、陶器造りがさかんだったそうだが、いまでは陶器工場は、2件となってしまい、おとなりの皿屋(さらや)でおもにおこなわれている。昔から熊本県の天草から原料を仕入れて生産を行っていて、焼き物の型などを水車を利用して作っているそうだ。

 

・昔の若者について

今とはちがい、テレビや映画はおろか、電気すらもなかった時代の若者は何をして遊んでいたのだろうか。

昔は、小学校を卒業して中学校に行くものは、村で45人ぐらいしかいなかった。小、中学生の多くは、休み時間になるとはだしで外を走り回って遊んでいたそうだ。それより上の年代(つまり私たちの年代)になってくると、昼は農作業をして、夜に遊んでいた。夜はもちろん電気はないので、灯油を燃やしたランプをガランダという箱の中に入れて外出していたそうだ。その外出先はほとんどが青年クラブといわれる今の公民館のようなところだったらしい。そこにみんなで集まりラジオを聞いたり、ハーモニカをふいたり、酒を飲みながらしゃべったりして楽しみ、朝家に帰っていたそうだ。よその村にも青年クラブがあり、行き来は自由で交流は盛んだった。

 

・その日の行動


AM 9:00学校集合

9:15学校出発

11:00現地到着

現地徒歩調査

PM13:00昼食

13:30中島春雄さん宅

14:00堤光吉さん宅

16:00バス停到着

帰宅

 

感想

はじめて納戸料の近くをバスで通ったときは、地図で見たように本当に田んぼばっかりでびっくりしました。だけど、僕はこういうふうな緑の多い所はけっこう好きなので、心地よかったです。田んぼが碁盤の目のようになっていたのにはちょっと感動しました。ただ、この日の佐賀地方は(全国的にですけど)35℃前後の真夏日ですこししんどかったです。2軒目にいった堤さんの家では、クーラーをつけて、見知らぬ私たちを歓迎してくれて本当に生き返ったような気分になりました。また、そこでは、納戸料で取れたお茶を出してくれてとてもおいしかったです。

次に納戸料を訪れる機会はおそらくないこととは思いますが、嬉野町にいくことがあったら、納戸料の人たちを思い出すことと思います。納戸料のみなさん、快く私たちを歓迎してくれて本当にありがとうございました。これからの納戸料の発展を心から願っております。

山田直人

今回、佐賀県嬉野町納戸料という村に行ったわけですが、この調査で一番印象に残っているのは納戸料のかたがたの親切さです。くつろがれているときに突然私たちが訪ねたにもかかわらず、嫌がった顔をするでもなく必死に私たちの質問に答えていただきました。こんなことは福岡では考えられないなと思います。中島さん、堤さん、ご家族の皆さん本当にありがとうございました。

さて、調査内容についてですが、私たちの事前の調査不足もありちょっと物足りないものになったような気がします。お話を聞いた方々に失礼なことをしたと反省しています。しかし、昔の話を普段聞くことはないので非常によい経験になりました。私の実家は長崎なのですが祖父母に長崎の昔の話を聞いてみようと思います。

納戸料の皆さん、本当にありがとうございました。

林健司

 



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