【藤津郡嬉野町七ツ川内】

歩いて歴史を考えるレポート

1PS99006 石原孝

lPS99026黒澤一弘

 

嬉野町七ツ川内に関する調査結果

<しこ名について>

ミゾゴウ(溝川)

オチョウズ(御手洗水)

シイジュウ(四十)

マツントウ(松頭)

トマガリ(十曲)

ナガオ・

カキノキダ

イタイデ

シミズ

ヤシキダ

カキノキバラ

 カンノンダ

 キシノシダ

 アンズ

 イワサキ

 クニヒロ

 ゲタンビラ

 デグチ

 タチバナ

 イガクラ

 マゴジャ

 カメワリザカ

 タケンコバ

 キイコシ

 ヨシガザカ

 トビノス

 オニギイ

 ホタツンダニ

 ミゾゴウダニ

 オチョウズダニ

 メノキダニ(「メ」の下部に「ヒ?」と朱書きアリ)

 ヒュウタンダニ

 ツバキダニ

 

<七ツ川内の成立>

明治時代のもっと前から存在していたらしい。天保ぐらいに成立していたらしい。

@東嬉野と西嬉野が合併して嬉野町になる。

A嬉野と吉田が合併して嬉野町になる。

 

<田んぼの変遷>

圃場整備によって、水路や道路をつくったため、1020%ぐらい面積が狭くなった。少なくなった人は田んぼが半分ぐらいになった。

田んぼは長さ70m(田植えの苗の一列分に合わせた)になった、

 

<家畜>

牛が各一家に一頭はいた。農耕牛はメス。どうぴき(山から材本を運んでくる)はオス。

ばくろうが牛を売りにきた、40年前には子牛一頭当たり3万円

 

<魚・塩>

:昔は近くの川で取っていた。うなぎ・はや・ふな・なまず。

:長崎まで馬車をひいて、ドラム缶に塩水を汲んで平釜で煮詰めて、塩をとっていた。

 

<肥料・の変遷>

:牛の小屋にひいた後のわら・堆肥・畑。

:化学肥料、昔(40年前〉も少しは使われていた。

 

<早越>

S21,22:雨乞い、山の高い所で浮立()をたたいていた。

消防ポンプ(壊れて夜に修繕しにいった。)で水をあげた。

10年前:水中ポンプを借りて、水をあげた。

 

<米の収穫量>

平均8俵ぐらい取れる。豊作の時は10俵ぐらいとれる。

<祭り>

葦筒神社の祭り:8年に一度行われる。葦筒神社はこの谷の氏神様。

コブリュウ(小浮立)という鐘を鳴らす。

4歳〜大人まで、年齢によって12種類の踊りがある。

祇園祭り:816日。S24に水害がおこって、それ以来始まった。

 

<町の発達>

ガス

いまだにひかれていない。ガス会祉がガスボンベを定期的に交換に来る。約35年前ぐらい。昔はメーターがなかったので一回一回測っていた。

上水道

30年ぐらい前。昔は井戸を使っていた。

下水道

ない。ちょうど最近、その話が出ている。

電気

ランプも利用していた。

昔は一つの家で使える電球の数・W量が決まっていて、それを破ったら、九電に罰金を払わなければならなかった。

 

<着者の遊び>

子供:ビー玉・むくろ・凧揚げ・独楽・竹馬・ペタ(メンコ)

20歳のころ:ちょうど戦後、農業一色。遊ぶ暇などなかった。

 

<戦争>

・子供のころから、戦争ごっこがあった。

・竹で機関銃作って、近くの戦揚から銃剣づきとかやっていた。

 

<今の町の様子>

・大型ショッピングセンターや駐車揚が増えてきた。小さい店が減った。

・車がないと大変。市街地まで遠い。

 

<これからの七ツ川内はどうなる?

農業は後継者不足:ほとんどが60歳以上。

農業は廃れていく:農業は疲れる。採算がとれない。農薬の値段が高い。

水田は残るが山間部は荒れてくる。

 

<感想>

普通は行かないような所に行けて、見られないような場所でいろいろな所を見られて貴重な体験ができた。

都会ではできない体験ができて感激した。



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