【藤津郡嬉野町木場地区】

歩いて歴史を考える 現地調査レポート

 

1LA00159 辻 誠太郎

1LA00139 高野 竜馬

1LA00134 隅 佑一郎

 

話を伺った人 山口公平さん(50歳代くらい)

       下田勇男さん(70歳代くらい)

 

村の名前 佐賀県嬉野町木場

 

しこ名一覧 タケ(岳)、コバ(木場)、コマツバラ(小松原)、ヤマグチ(山口)、

ニタノ(仁田野)、モチノキ(不明)

 

田畑 小字岳のうちに、カンキンダン(換金田)

小字木場のうちに、マエダ(前田)、フルヤシキ(古屋敷)、カキノキダ(柿の木田)、ヒロダ(広田)

小字山口のうちに、テラヤシキ(寺屋敷)

小字仁田野のうちに、ニタノ(仁田野)

 

その他 小字小松原のうちに、ウータン(大谷)

    小字山口と木場の間に、キョウノタケ(京の岳)

    小字山口と仁田野の間に、ハヤノタニ(早の谷、南風谷とも)

 

しこ名の由来について

 カンキンダン(換金田)はその名の通り、お金に換わる田という意味で、何故そのように呼ばれたかというと、その田ん中は土がよく肥えていて、米がよく取れ、それだけお金になることから、そう呼ばれるようになったという。マエダ(前田)もその名の通り、前にある田という意味で、何の前にあるかというと、多くの家の集合している所、集落の前にあることから、そう呼ばれているのだという。

 フルヤシキ(古屋敷)と呼ばれている田ん中は、その持ち主の家が木場の中でいちばん古いため、そう呼ばれるようになったという。

 テラヤシキ(寺屋敷)と呼ばれている田ん中は、昔お寺があった場所ということでそう呼ばれている。

 このように田ん中につけられたしこ名の由来をいくつか聞くことができたが、もともとしこ名というのは、それぞれの人が分かり易いように勝手につけたものらしく、人によっても呼び方がまちまちだったりすることもあるという。そのためテラヤシキ(寺屋敷)はキョウノタケ(京の岳)と呼ばれたりするというケースもある。

※カキノキダの写真省略。

 

村の若者について

 木場近辺では遊ぶところはほとんどない。多くの若者は佐賀のほうに就職して出て行く。 自動車を作りたいと言って都会に出て行くものも多い。村に残る者はあまりおらず、後継者のいない家も多い。

 

村の動物について

 村の裏手の山には猪がたくさんいてしばしば農作物を荒らしにくる。ウータン(大谷)のほうの畑は猪にやられて今では使い物にならない状態になっている。私たちがお話を伺った山口公平さんは、これから猪の侵入を防ぐための柵を作りに行くところで、その準備をしながら私たちの質問に答えてくれた。

 

農作物について

 山の中にある村のため、多くの土地を田ん中として利用することはできず、棚田を作ってなんとか米をつくっている。そのため、米は基本的に自分たちが食べる分で精一杯だという。余った分売ったりもするらしい。

※カンキンダンの写真省略。

 

<一日の行動記録>

 11:05 バス下車

 11:40 木場到着。村の入り口にある藤川さんのお宅で、おばあさんからお話を聞かせていただく。

 12:15 日陰で昼食

 13:00 山口公平さんの自宅の前で、お話を伺う。

 14:30 下田勇夫さんの自宅の前で、お話を伺う。

 16:00 帰りのバス乗り場に到着

 16:20 バス乗車

 

<古老から教えていただいたこと>

・雨乞いについて

 昔は、笛や太鼓をたたいて氏神様に折るという雨乞いの風習も存在していたが、現在はそのような風習はない。だが水不足にはしばしばなり、今年もその可能性はある。実際に私たちの目にした川には水がほとんどなかった。水不足になると普段は、堤(つつみ)によって上流で塞ぎ止められている水を利用する。ちなみに、その堤は戦後に作られたもので、特に名前はついていない。

 

・祭りについて

 山笠のような、大きな祭りはない。お茶の収穫時に「茶ばね」を、田植えの終了時には「だきとう」をする。八月になると、村のお地蔵様を氏神様に捧げる行事がある。

 

・台風による被害について

毎年台風はくるが、それにより茶などの農作物に被害が出ることは殆どない。ただ民家への影響は大きく、過去には家の屋根が飛ばされたこともあった。

 そのため、2,3年前に一戸当たり五十万円出して、土砂防止用の堤(写真)が作られた。台風のとき吹く風のことを「はえ」(南風)と呼ぶ。台風が宮崎を通ってくるときと、対馬を通るときでは被害が異なる場合がある。

 

<今回の感想>

 村へ行ってしこ名などを現地調査する、ということで、しこ名とはどういうものかさえ知らなかった初めのころはいったいどのようなことをするのか非常に不安だった。しかし事前の講義に参加し先生の話を聴くにつれ、いろいろな村の、その村にまつわるエピソードについて興味を覚え、また、自分たち自身で現地調査を行うことに対して魅力を感じるようになった。正直言って苦労も多かった。送った手紙を先方が読まれていなかったり、地図のコピーに行けず翌日にコピーをとったりと、事前の準備が十分になされたとはいえないと思う。

そして迎えた当日。バスから降りて30分ほど歩くと、目的地の木場についた。それから約5時間いくつかのお宅を訪問しお話を伺った。最初は自分たちの質問に答えてくれるか心配だったが、実際には丁寧に一つ一つ答えてくれ、質問したこと以外にも、他愛ない雑談をしたりもした。今回の調査ではただ単に大学の授業としての目的だけでなく、私たちが普段経験できないことを経験できた、ということにも大きな意義があったように思う。方言には苦労したが、その土地に住む人の生活にじかに触れたような気がして楽しかった。

 今ではこの調査に参加できて非常によかったと思う。このような、普段経験できないことを経験できるのも大学生という特権だと思うし、これからもこのような機会を最大限に自分に活かしていきたい。この授業はその第一歩を歩ませてくれた。非常に感謝しています。

 



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