佐賀県藤津郡嬉野町

鹿谷地区

                         

調査日;7月7日

                         1EC00111  枦込 圭介

                         1SC00221  中田 和司

 

 私達は、嬉野町の鹿谷地区を訪れました。最初は6月24日に行く予定でしたが、その時期はまだ仕事で忙しいとの事でしたので、7月7日に行くことにしました。また、先生にご紹介いただいた増富さんのご都合が悪いということで、ご紹介をうけ、田中袈裟雄さんにお話をおうかがいすることになりました。

 

 鹿谷に到着するまで、しばらくの間はくねくねした山道を通って行きました。ダムの脇を通り、しばらく進むと、鹿谷橋と、その向こうに棚田と集落がふと目に止まりました。そこが鹿谷でした。(鹿谷というバス停があったので、けっこう思ったよりも分かりやすかったです。) 迷ったらどうしようと心配していたので、無事に到着して安心しました。集落に車で向かっていくと、そこはとても狭く、急な坂道になっていて、車で通るのが少し怖かったです。

 田中さんを待っている間、辺りの風景を見ていました。段段畑が広がり、とてもきれいな小川が流れていました。とても暑い日だったので、その水をすくうと、ひんやりして気持ち良かったです。また、田植えが終わった田んぼには、おたまじゃくしがたくさんいて、なんだか昔を思い出していました。他の集落とはまったく離れていたかえあかもしれませんが、その場にいるだけで、よそ者の気分がしていました。

 そうしているうちに、向こうからトラックがやってきました。そのトラックに乗っていたのが、ご紹介いただいた田中さんでした。そして、自己紹介をすると、「あんたが電話してきた人ね?」と言って、あたたかく迎えてくださいました。

 私達は、茶工場の前で、田中さんにお話をお伺いしました。暑い中、ご親切に丁寧に、いろいろなお話をしてくださいました。

 

 私達は、まず、「この鹿谷地区の中で、現地の人しか呼ばないような場所や川、道などの呼び名を教えていただきたいのですけど。」とお願いしました。すると、次のようなことを教えてくださいました。

 

 【川の名前】

〇オオカワ(大川)

…鹿谷前の県道沿いに流れている川のことです。

この名前の由来は、その名の通り、『大きな川』だから、だということでした。

【昔の道の名前】

〇サクミチ(作道)

 …昔、鹿谷の南西にある、県道に架かった橋の辺りから、田中正春さん宅のまえぐらいまで続いている道があったのだそうです。その道のことです。

  この名前の由来は、『耕作する道』だから、その意味でサクミチと呼んだのだろうということでした。

 

【家の呼び名】

(これがしこ名になるのだろうと思います。)

〇シンタク(新宅)

 …田中勲さん宅のことです。

  この名前には、以下のようなエピソードがあるようです。

  昔、田中勲さんの家は、隣の田中光夫さんのいえにくっつくようにして建っていたそうです。(隣の田中光夫さんと田中袈裟雄さんの家の二軒は、いまでもかなり接近して立っていました。) しかし、あるときこの辺りの地域が火事で燃えてしまったそうです。それで、新しく家を建てなおしたので、『新しい家』という意味で、現在はこのように呼ばれています。

  また、新しく家を建てる際には、もしもまた火事があったときに、隣の家に燃え移らないようにと、隣と少し距離を置いて家を建てるという考慮がされているとの事でした。

 

〇ナカ()

 …田中正春さん宅のことです。

  「こげんやって見たらちゃんと真ん中っちゅうわけじゃなかとばってん、これは真ん中にあるっちゅう事でやっぱ『ナカ』っち呼ぶとじゃろうねぇ。」と、住宅地図を見ながらおっしゃっていました。

 

〇シモ()

 …田中清二さん宅のことです。

  鹿谷の中で、山全体から見て、下のほうに当たるということで、このように呼ばれています。

 

〇マツヤマ(松山)

 …増富寳さん宅のことです。

  今はもうなくなってしまっていますが、昔、このお宅の周辺に松の木が生えていたからだろうとの事でした。

〇ムカエ(昔家)

 …土井千恵雄さん宅と、田中一郎さん宅のことです。

  この二軒のお宅は、一番初めにこの鹿谷地区に住みついたお宅だそうです。それで、この二軒が一番古いため、『昔の家』という意味があって、ムカエという風に呼ぶそうです。

 

〇ハカンウエ(墓ん上)

 …鹿谷の東()のほうにある道の辺りにお墓があって、昔、その上のほうが畑だったそうです。その畑のあった所のことです。

  『お墓の上』にあることから、ハカンウエといったそうです。

 

 以上が、お伺いしたしこ名などになります。どの呼び名も、きちんと分かりやすい名前の由来があり、たいへん興味深いものがありました。

 

 また、嬉野町の字には、『乙(オツ)、甲(コウ)、丙(ヘイ)』という三つがあると教えてくださいました。この鹿谷の辺りの字は『乙』を使います。ちなみに、『甲』は山の下にある町の辺り、『丙』は長崎との県境の辺りで使われているそうです。

 使い方は、例えば、「嬉野町 岩屋川内 鹿谷」といったような言い方をするとおっしゃっていました。

 

 話は変わりますが、県道を3kmぐらい上ったところに、「大野原(オオノバル)演習所」というところがあるそうです。田中さんたちは、「コウゲン(高原)」と呼んでいるそうです。また、町の人達は、「オオナラコウゲン(高原)」とも呼んでいるみたいだともおっしゃっていました。

 

 次に、鹿谷地区の生活などについてもお伺いしました。

 

 「田んぼの水はどこの水を使っていらっしゃるのですか?」とお尋ねすると、「全部出水たい。」とおっしゃいました。川の水(雨が降って、山の上から流れてきている水)を使っているのだそうです。また、この辺りの地域には、まだ水道が通ってないということでした。だから、飲料水などもすべて出水を使用しているということでした。私達にとっては、水道があるのが当たり前の生活なので、これには信じがたく、かなりの大きな驚きがありました。しかし、川の水がとてもきれいだったので、きっとおいしいだろうなぁと思いました。

 この辺りには、水道のない民家が110戸ほどあるそうですが、最近の調査によって、ダムの下のほうに、その110戸分の生活に足りる水があるということが分かり、来年から水道工事が着工され、平成16年には完成予定だそうです。

 このような環境の中、1994年の大干ばつをどうやって乗り切られたのかをお尋ねしました。田中さんは、「もうちょうど7年前になりますとかねぇ。」と、当時のことを思い出されている様子でした。そして、以下のようなことをお話してくださいました。

 

 田中さん談:「1ヶ月ぐらいは、タンクに川から水をポンプで上げてから使いよったんですよ。何でんかんでん出水を使いよるもんやけん、飲料水もなかったんですよ。川の水は、雨の後やけん濁って汚いけん、『今日はうち、今度は〇〇さんち』というごと、2日に一回はかったりばんこで消毒やらしよった。町か国か分からんばってん、そこから3割か4割ぐらいの補助をもらいよった。」

 

 本当に大変だったのだなと思いました。このお話で、水があるのが当たり前だという考えが少し変わり、水のありがたみを感じました。

 

 また、農業についてもお伺いしました。

 

鹿谷では、20数年前程からは、お茶と米が主体です。お茶は、一番茶(イチバンヂャ)、二番茶(ニバンヂャ)という風に、収穫の時期が違い、それぞれの収穫が終わって、2、3日後に、みんなで一斉に1日だけ休みの日を決めるそうです。また、田植え休みというのも同じようにあります。30年前ぐらいからは、田植えも全部機械でやっているそうです。今は、お茶摘みも機械でやっているところもあるそうです。このお話をしてくださっているとき、ちょうどお茶摘みの乗用機械を乗せたトラックが、道を通っていきました。1台450万円ぐらいするとおっしゃっていました。機械が入ってきて、大分作業が楽になったそうです。

 冬は、町のほうへ仕事に出ることもあるそうです。(仕事内容は大工関係など様々あって、家から通勤しているそうです。)

 

 次に、現在も行われている慣行についてもお伺いしました。以下のようなものを教えてくださいました。

 

〇タキトウ(田祈祷)〈5月〉

〇ガンジョウジ〈10月〉

〇カ()ザビ〈8月31日〉

 …稲が台風で倒れずに、良い米がとれるように、青年たちが種をうつという行事です。

  青年たちは、夕方からお宮を出て、一軒一軒の家をまわって、『ハナ(オハナ)』をもらうそうです。この『ハナ』というのは、2000円〜3000円ほどのお金のことだそうで、青年たちへのねぎらいのようなものなのだそうです。

 

上の2つの行事は、鹿谷だけではなく、その下のほうの地域も一緒にやっていて、合計150個の区で行われているものだそうです。

 鹿谷では、夏になると(だいたい7月ぐらい)、みんなで海水浴に行くということもやっていらっしゃるそうです。

 

 また、昔どんな遊びをしていたのか(といっても、田中さんは49歳なので、そんなに昔でもないのですが…。) も尋ねました。ちゃんばらごっこや、ゴムとり、こま、ビーダマ、かくれんぼ、メンコなどをしていらっしゃったそうです。私たちも小さい頃はやっていたと言うと、少し驚かれていました。そして、「今はゲームばっかしやけんねー。」とおっしゃっていました。

 

 帰り際には、鹿谷の茶工場で作られたうれしの茶を、一人ずつに下さいました。その後、茶工場の中も見学させていただきました。そこで色々な機械の説明を受け、私たちはそのような大掛かりな機械を見るのが初めてだったので、とても興味深かったです。(そこで茶工場の様子を何枚か写真に収めました。) お礼を言うと、「また遊びに来んしゃい。」といって、あたたかく見送ってくださいました。また、「ここの様子を写真に撮って帰ります。」と言うと、帰り道にあるきれいな棚田の場所も教えてくださいました。本当にありがとうございました。

 

 水頭地区については、残念ながら調べることができませんでした。しかし、本当に貴重な体験ができて良かったです。

 

 

【しこ名一覧】

〇シンタク(新宅)

〇ナカ()

〇シモ()

〇マツヤマ(松山)

〇ムカエ(昔家)

〇ハカンウエ(墓ん上)