「歩き・み・ふれる歴史学」佐賀県藤津郡太良町本町　調査レポート 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００１年７月１日調査 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１ＬＴ０１１１２Ｇ　馬場�ｱ　敬 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　１ＬＴ０１１１９Ｗ　藤井　祐介 　数日前まで毎日のように降り続いていた雨からは想像することもできないような、雲一つない青空。さんさんと光を放つ太陽の下、私たち二人は、汗を拭きつつ歩いて陣内碩泰さんのお宅をめざした。バスが早く着き、さらにバス停からすぐそばのところに陣内さんのお宅があったので、「少し早目にお伺いしてもよろしいでしょうか？」と確認の電話を入れ、お宅へと向かった。 　「御年配の方かな？」と思っていると、お若く、品のよい陣内さんが出迎えて下さった。そして、案内された部屋に入ると、事前に色々と調べて下さっていたようで、テーブルの上に、ノートと「太良町誌」が置いてあった。私たちは、この陣内さんのお心遣いを無駄にしないように、しっかり勉強して帰ろうと、改めて気を引き締めた。陣内さんは最初に、本町成立の歴史について話して下さり、それから、この調査の主旨である、地名、しこ名などについて、様々なことを話して下さいました。そして最後には、家の外に出て、話して下さった場所を実際に案内していただきました。非常に有意義で、勉強になった三時間でした。 　お忙しい中、私たちのために時間を割いて下さった陣内さんには、本当に感謝の念でいっぱいです。どうもありがとうございました。 ＜本町の歴史＞ ・本町の道 　本町の道は、有明海から続く、多良海道に始まる。多良海道は、とても景色がきれ いだったようで、旅人も好んでこの道を通っていたようである。 　その後、県道が整備されはじめ、明治１１(１８７８)年に旧県道が、さらに昭和８(１９３３)年には鉄道が敷かれ、そして、昭和４９(１９７４)年、海岸沿いに新国道が整備された。 　この旧県道沿いには、集落が栄えていたという。そして私たちは、鉄道に関する非常に貴重で、興味深い資料を見せていただいた。それは、「鉄道唱歌替歌」というもので、当時、鉄道敷設を記念して、高田さんという地元の方が、多良の地名を歌詞に組み込んで作られたようだ。 　・神社の歴史 　　　本町には、代表的な神社が二つある。浅間(アサマ)神社と荒穂(アラオ)神社である。 　　両社とも、今から約３００年ほど前の江戸時代元禄期に完成したと言われている。ま 　　た、これら神社には多くの文化財が残っており、特に浅間神社境内には、明和６(１７ 　　６９)年に建てられた英彦山大権現碑や、天宝１３(１８４２)年の庚申塔など、江戸時 　　代に奉建された石碑が数多く残っている。　　（photo No.1 浅間神社） 　・集落の形成 　　　かつて、糸岐川をはさんで、北を北糸岐村、南を南糸岐村と呼んでいた。本町は、 　　江戸時代には北町と併せて糸岐津(イトキツ)と呼ばれ、中心街をなしていた。現在の 　　本町、北町(本町の北に位置する集落)は、当時は通称であった。明治５(１８７２)年 　　には、北糸岐村と南糸岐村が合併して、後に本町と北町になる糸岐村が誕生した。そ 　　して明治２２(１８８９)年、糸岐村が多良村に合併され、新しい多良村となり、役場 　　が多良に移され、現在の本町が徐々に作り上げられていった。 　　　しかし、本町形成の歴史は江戸時代よりもさらに遡るようだ。平成２(１９９０)年 　　の夏から、荒穂神社の下から水田の基盤整備事業が行われ、それに伴い、整備地域の 　　文化財埋蔵調査が秋から実施された。すると、水田の広い範囲から、住居跡、釜戸跡、 　　茶碗のかけらなどが発見された。これらは、平安時代から鎌倉時代にかけての人々の 　　住居跡であろうと推定されており、この地が古くから栄えていたことを物語っている。 　　　また、本町は江戸時代末期から教育文化の中心地でもあったようだ。江戸時代末に、 　　佐賀から来たという漢学者・石井南凱(イシイナンガイ)は、明治初年に塾を開いて多く 　　の子弟を教育していたという。ちなみに、南凱の子、石井高曙(イシイタカアキ)は、明 　　治２２年にできた新しい多良村の初代村長に就任した。明治５(１８７２)年８月、「学 　　制」の公布により、明治７(１８７４)年に糸岐小学校ができた。この小学校は、浅間神 　　社の前の旧民家を利用した小さな学校だった。明治２５(１８９２)年には、合併して、 　　多良小学校となった。また、青少年教育にも熱心だったようで、明治、大正時代から青少年社会教育のための塾である「良導会」が発足し、第二次世界大戦中まで続いたという。　　　　（photo No.2　糸岐小学校跡） ＜本町の祭り＞ 　・お供(オクンチ) 　　　本町の祭りの一つに、お供がある。とても大きな祭りで、荒穂神社設立の祝いを兼 　　ねて始められたのではないかと言われている。この祭りは、十月に二日がかりで行われ、一日目は、荒穂神社から大名行列のような行列をなして、浅間神社までを練り歩く。その夜は、夜通し太鼓を叩いてにぎやかに祝ったそうだ。翌二日目は、逆に浅間神社から荒穂神社までを行列をなして練り歩いた。また、お供は旧北糸岐村と旧南糸岐村が二年交代で担当していた。 　・大祭(ウウマツリ) 　　　もう一つの大きな祭りが、大祭である。家内安全や商売繁盛など、様々なことを祈願して行われたことから、このような名前がついたのではないかといわれる。この祭りは十二月に行われ、祭田(マツリダ；詳細は後述)と呼ばれる村の共有田で収穫された米を町民全員で食べていたそうだ。食事に際しては、当時、分限者(ブゲンシャ；町の大富豪)として知られていた古川さんのお宅の大釜で米を炊き、町民が集合して、魚などをおかずにして食べたそうだ。 ＜しこ名について＞ 　・本町を区切る六つの班名 　　本町は全体が六班に分かれていた。その班名を以下に示す。 �@マタヂバ（馬立場）…　本町西部の多良海道の途中に位置しており、多良海道利用 者が馬を休める場所として使っていたことから名付けられたと言われている。 　　　　　　　　　　　　　 �Aカミグミ（上組）…　本町北部。 �Bナカグミ（中組）…　本町中部。 �Cシモグミ（下組）…　本町南部。 �Dミヤグミ（宮組）…　浅間神社の周辺地域であることから名付けられたと言われ ている。 　　 �Eテンジングミ（天神組）…　近くの海岸に安置されていた天神様を、埋め立てに伴 　　　　　　　　　　　　　 い移してきた場所であるため名付けられた。比較的に 　　　　　　　 　新しい呼び名。 　　　・通りの名前 　　　　　シュウジ（修寺）…　昔、この地に修寺という寺が実際に存在していたが、明治18 　　　　　　　　　　　　　(１８８５)年の本町大火によって焼失してしまった。しかし、 　　　　　　　　　　　　　その後も通りの名前として残っている。 　　　　　　　　　　　　　　　（photo No.3 現在の修寺） 　・田に付けられた名前 　　�@マツリダ（祭田）…　本町の共有田で、下組付近に位置する。全世帯から苗を持ち寄って、総出で田植え、収穫を行う。収穫した米は大祭のときにみんなで食べる。 　　�Aサガリ（下）…　荒穂神社の下にある田なので、この名が付いたと言われる。 　　�Bエンデン（塩田）…　田をコンクリートで固めて、塩田を作ろうという計画があり、 　　　　　　　　　　　　 固める作業までは進んだが、結局実行に移されるまではいかず 　　 に、コンクリートを剥ぎ取り、元の田に戻したという。そこで 　　　　　　　　　　　 この名が付いたようだ。 　　�Cユノシモ（湯ノ下）…　城内近くの湿田。後述の湯船に関係があるのではないかと 　　　　　　　　　　　　　　言われている。 　・池、塚に付けられた名前 　　�@タンガワ（田川）…　種籾を浸しておくために使われた池。そして、大祭の前日には田川干し(タンガワボシ)が行われた。これは、池の水を全部はかせて、池のドジョウやフナを捕るというものだ。こうして捕れたドジョウやフナは、大祭のごちそうになった。 　　�Aイッポンムク（一本椋）…　一本の椋の木があったからこの名が付いたようだ。そしてここには塚があり、お供のとき、この付近で立ち止まり、神の前(カミノマエ)という儀式をしていたという。 　　　　　　　　　　　　　　　　ここで、陣内さんは面白い話をして下さった。「数年前に村の人々でこの塚を掘り返した。村の人はみんな、相当なものが出てくるだろうと期待していたけれど、結局は何にも出てこなかった」と。この話は結構意外で、思わず笑ってしまった。 　・本町周辺 �@シロウチ（城内）…　かつて存在していた城の中に位置することから名付けられた。 　　�Aオチヤ（落矢）…　南北朝時代に、ある人が矢を八幡山めがけて射たところ、矢が届かずに八幡山の麓に落ちたということから、こう名付けられたという。 　　�Bユブネ（湯船）…　権現山荒穂神社の上の方に位置し、かつてお湯が出るところがあったからだろうと言われている。 　　�Cイシバシ（石橋）…　一本椋の東に位置する。 　　�Dジンノウチ（陣ノ内）…　かつて城があり、その城の陣地の中に位置していたことから名付けられた。 ＜本町の産業について＞ 　・農業、漁業の両方が盛んだった本町 　　　本町は、農業、漁業ともに盛んであったようだ。まず、漁業について見ると、当時 分限者であった古川家は、摺海老を製造していて、国内外に売り出していた。有明海のエビを竹羽瀬(タカハゼ；詳細は後述)で漁獲し、それを茹でて乾燥させ、摺って皮をむき、むき身のエビを作っていた。多良地方で漁獲されたエビは、全て古川家が買い占めて加工し、摺海老にした。江戸末期から明治、大正時代まで、摺海老は多良の特産品として評判が高く、「エビといえば、多良古川」と言われるほどで、江戸末期には諫早家が買い取って、長崎から中国やオランダに輸出されるほどであったそうだ。 　また、糸岐川河口には船着場があり、大きな荷揚げ場があったそうだ。そこでは、昭和１５(１９４０)年頃まで薪、竹などの林産物や、サツマイモ、渋柿、大根などの農産物の集荷、積み出しが行われていた。このように、糸岐津は非常に繁栄した港町であった。それゆえに、本町には、名字に「津」が付く人が多い。農業に関しても、稲作を中心に、様々な農作物を作っていて、繁栄していたそうだ。 　（photo No.4　古川家屋敷跡） 　・伝統的漁法 　　�@竹羽瀬（タカハゼ）…　潮の干満を利用する仕掛けで、竹を三角形になるよう並べて立てる。満潮時に入った魚は、干潮時には出られなくなるというものだ。 　　�A待網（マチアミ）…　長い竹をＶの字に組み、その間に網を張った道具を持って、 海の中で待つ。そして、その道具を上げると、小さなエビであるアミが掛かっている。このアミは、アミ漬けという保存食に加工された。この漁は結構重労働であるらしい。 　　�B潟すべり（ガタスベリ）…　干潟の上を板を敷いて、滑りながら移動し、魚などを捕る。 　・魚介類 　　　漁で捕れていた魚介類には、シャッパ(シャコ)、アゲマキ(貝)、タコ、アミ、アサリなどがあり、中でもアサリは「糸岐あさり」と呼ばれ、砂を含んでいない、美味しいアサリとして有名であった。 　・様々な商売 　　　かつて本町には、旅館(２件；角屋、柳屋)、農産物肥料問屋、菓子製造、畳屋(２件) 　　呉服屋(２件)、水車(製粉、精米)、豆腐屋、薬屋、酒仲買人、酒小売業、蛸縄製造、柳行李屋、うどん屋、小間物屋など、多彩な業種があって繁盛しており、賑わっていたようだ。　　（photo No.5旧角屋　,　photo No.6 旧柳屋） 　・柳行李（ヤナギゴウリ） 　　　陣内さんのお宅の付近は、昔、柳行李屋だったそうだ。この柳行李というのは、柳の皮で作ったトランクのようなもので、薬屋などの行商の人たちがよく使っていたようだ。そして、柳行李の材料となる柳の皮は、近くの塩田と呼ばれる田に柳を浸し、湿らせてから剥いでいた。 　　　この皮を剥ぐ作業に際して、子供たちは、学校から帰ると柳の皮剥ぎを手伝い、お駄賃として２銭をもらっていたという。しかも、そのお駄賃を学費にあてていたそうだ。今の日本の状況からは考えられないことだが、私たちを含め、現在の若者は、この精神を見習わなければならないと思った。 ＜昔の人々の生活＞ 　・水と人々 　　　本町の人々は、水の確保に並々ならぬ思いを抱いていたようである。明治１８(１８８５)年３月８日、本町に大火事が発生した。そのときは、容易に水を確保することができなかったため、消火活動がうまくいかず、古川家より南方の殆どの民家が全焼してしまった。 　　　この大火によって、人々は水路の必要性を強く感じ、水路建設計画を立てたが、一部町民が水源の利害によって同意しなかったため、実行に移せなかった。しかし、40年後の大正１４(１９２５)年、再び小火が発生したため、何が何でも水路が必要という声が高まり、同年３月、漸く着工することができた。 　　　そして、その完成を記念して「本町水道記念碑」が建立された。現在の水路には、道路の道幅を広くするために、ふたがしてあるが、一部の水路は当時のまま残っている。　　　　（photo No.7 当時の水路　　photo No.8 本町水道記念碑） 　・人々の生活 　　　昔の人々の生活は、今から比べると、あまり楽ではなく貧しかったようだ。それで、若者も含め、家族で稲をくくる縄を編んだり、繕い物をしたり、夜なべ仕事をしていた。そして夜になると、電気代節約のために、すぐ寝ることが習慣となっていた。 　　　また、人々の楽しみといえば、村の祭、桜並木や景色のきれいな多良海道を歩いて旅することなどであったそうだ。しかし、この旅ができるのは、時間的にも経済的にも余裕がある人だけであった。 　　　陣内さんは、「昔の人は心にゆとりがあり、風流であった。」と最後にしみじみと語ってくださった。 ＜最後に＞ 　今回、私たちにお話をしてくださったのは、 　　　　陣内　碩泰(ジンノウチ　セキヤス)さん 　　　　　（昭和１３年８月３０日生　６２歳） 　です。この場を借りて、改めてお礼の言葉を述べさせていただきます。どうもありがとうございました。