【藤津郡塩田町塩吹地区】

塩吹地区の方からの回答書簡

 

平成14年8月25日

佐賀県藤津郡塩田町塩吹 森 敏治

 

前略 返信遅れまして申し訳ありません。

 

1.ヒラヌタニ…よく存じません。鍋野区には図示のようにあると思います。

 

2.サィアンタニ…塩吹地区では字城の下・黒岩で現在の県道から黒岩の方に登る谷を言います。「サヤンタニ」と呼ぶようです。道祖神の祠が山に祀られてあると聞いていますが、祠は確認していません。

 

3.シロヤマ…標高159.6mの山頂です。山頂には石垣の名残を示すもの等があります。戦国時代の砦の跡かと思います。

 

4.ガンピューダン…城山の西の方の谷です。昔「雁首」が落ちて来たという話が伝わっています。

 

5.トウドアン…昔「唐渡坊」と申される山伏がおられたと伝えられています。現在、浄土真宗の庵です。塩吹の追悼会法要・御正忌報恩講等勤められています。因みに塩吹から久間の中通に越える道を「とうどみち」と呼んでいます。

 

6.モッギョダン…モッギョダンは「モッギョザカ」と思います。或いは「谷・ダン」の呼び名もあるかわかりません。普通「モッギョザカ・木魚坂」と古老は呼ばれます。しかし若い青年、子ども達は使っていません。言い伝えは「塩田宿の本応寺の木魚の木を切り出したときこの坂から下した」との話が残っています。

 

7.サキノイッポ…「酒の一歩」の酒屋です。これは平成の始め、元酒店をしておられた西野氏から借用して新しく酒店を出されました。「サケノイッポ」と呼びます。

 

8.ゲンゾウ…塩吹から塩田川を渡り美野(大字五町田乙・・)に渡ったところの畑を源蔵と呼んでいます。源蔵さんが開拓されたという言い伝えがあります。

 

9.トリノハカサネ…「鳥の羽重ね」と漢字で当てています。塩田川は風土記に潮高満川と書かれているように、有明海の潮の干満の差がひどく梅雨頃等雨量が多い時、上流からの水と満ち潮が重なるとよく洪水を起こしました。江戸時代、前田伸右衛門の指導により塩田川に二重堤防を各所に築造しました。私は1922年(大正11年)生ですが、昭和初期まで塩田川は左岸も右岸も各所に二重堤防があり洪水のときは二重堤防と本堤防の間が遊水地になっており、普段は畑にしていましたが、その遊水地に本流の水が流れ込むようになって水の調整をしていました。

昭和一桁時代、二重堤防を壊して本堤防をある程度強くしました。しかし戦後、山は地水力がなくなり少しの雨でも増水し本堤防が決壊して洪水に悩まされました。「トリノハカサネ」の遺構と思われる所が塩田川の右岸、ゲンゾウの東に一つあります。

鳥の羽重ねを図で示せば下記の通りです。※(地図省略:入力者)



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