【藤津郡塩田町鍋野・五代】

歩き、見、ふれる歴史学現地調査レポート

報告者:IEC00002秋丸 修

IEC00004有馬宏紀

IEC00045北原光秋

LEC00003荒巻和正

1EC00014板垣 仁

調査期日 2001612日、13

 

今回私たちの班は佐賀県の塩田町の鍋野と五代に612日と13日の二日に渡ってしこ名の調査に行った。はじめ、私たちはしこ名というものはどのようなものかというものがわからなかったが、授業とレポートの下調べをするうちに、その地域(しかもかなり狭い地域)にのみ流布している田んぼの通称だということを頭に入れておいた。

そこで、私は田舎で農家を営んでいる祖父(79)にそういう明治時代以前から呼ばれている呼び名などあるのだろうかと尋ねてみたが、その土地は農地改革によって戦後分割された土地であり、しかも昔に比べかなり縮小されているため、そのようなものが存在していたかどうかはわからないという不安な返事が返ってきた。

レポートの解説には、70歳を越えているような老人に尋ねてみるとよいなどと書かれていたが、やはりもっと昔からの由緒あるような農家に聞かなくてはならないのかと私たちは思った。

さて、本格的に現地に調査に行くわけであるが、私たちはまず調査に行く前の準備として授業で窓際に張り出されていた、二人の住所と電話番号のとおりに連絡を取ってみた。しかし、両者ともこちらの説明の仕方が悪いというのも多少あったであろうが、まず、かなり若い方が出てくれたのであるが、そのようなものを知っているような老人はいないなどと言われたり、もう一人の方は老人が出られたのであるが、ひどく耳が遠いようであり、多少痴呆症の気があったような印象も受けた。そこで、私たちは実際に大きな田んぼを所有しているような農家にターゲットを絞り、失礼極まりないことではあるが、直接話を伺おうという調査の基本方針を決定した。

私たちは一路、高速道路を利用して、佐賀県の嬉野インターで降り、まず、鍋野を目指した。日本のどこにいっても思うことであるが、やはり日本という国では少し都会から外れるとどこも同じような風景を持っているなということだ。特に今回行った嬉野の近辺では、地元の篠栗に非常に似ていると思わざるを得なかった。服部教授のホームページを見てみると、若宮等も99年に調査の対象になっていたから、やはりしこ名調査に選ばれる土地にはどこか類似している点があるのであろうかと、思った。

さて、鍋野に到着したわけであるが、なんせ、見ず知らずの得体の知れない若者がいきなり尋ねてくるわけである。予想はしていたが農作業をしている一部の人からはかなり冷たい(といっては失礼にあたるが、やはりどこか警戒したような感じであまりかかわらないようにしておこうというような)態度をされてしまった。しかし、そのようなのはあくまで一部でほとんどの方はわからないながらも、何か手がかりになるものは無いかと手を尽くしてくださった方もいた。そういった人たちには十分感謝したい。

調査をしていくうちに判ったのであるが、比較的鍋野には老人(70を越えたような調査

の好対象となるような)があまりおらず、老人を探すのにまずとても苦労した。教授に渡された調査の注意点に書かれていたように、しこ名という名称自体理解されている方がいなかったのは本当に苦労した。

日も暮れかけて、どうしようかと迷っていたとき、私たちの母親くらいの年齢の方が車から声をかけてくださったのが、今回テープにも取材として残っている、岸川さんのお宅の方だったのである。やはり、その女性の方にも東京に息子が大学生としているらしく、困っているような私たちに声をかけてくださったのであろう。

早速、私たちは岸川さんのお宅にお邪魔して、岸川安実さんにしこ名について早速話を伺った。

まず、家の前を走っている新しい農道について教えてくれた。地図にも載っておらず、聞くと平成11年ごろできたらしい。将来的には武雄まで伸び、武雄競輪に行きやすくなると喜んでおられた。私たちも負けずに競輪に行かねば、と盛り上がった。

そして、話はしこ名に入っていく。岸川さんは「あー、しこ名か」と言いながら「まずこのへんがチュウラ(千浦)っていうと」と教えてもらう。そして鍋野地区の裏山は地元の老人はゴマントサン(五饅頭山)ということも教えてもらう。そして、岸川さんはペンを片手にさまざまな地名を地図に書き込んでいく。まず、地区の南側はウメンキダン(梅ノ木谷)と呼ぶそうだ。また、地区の北西側にカンバヤシ(上林)、北北東側にオオタニ(大谷)、真北にオオサコ(大砂古)、北北西側にザアダニ(ザア谷)、北西側にガンガハラ(雁ヶ原)と呼ぶそうである。

また、東側はヒトツエダ(一ツ枝)。話を聞いていくうちに少し私は疑問を感じたのだが、どうも岸川さんの書いてくれている地名はどこかで見たような感じがうすうすしてきたのである。それもそのはず、岸川さんが得意げに話してくれている地名は小宇の地名だったのである。途中で間違えを指摘してせっかく盛り上がった話に水を差すのも悪いと思い、話をそのまま聞く事にした。一通り岸川さんが話し終えたようなので、少し話をずらし、おいくつなのか聞いてみた。

すると岸川さんは、「セブンイレブン」と答えてくれた。我々は少し悩み、71歳ですか、と尋ねるが、違うという。しばらく考えるが、ことごとく外れる。ついに降参して教えてもらうと、77歳だ、という。「おいおい全然関係ないじゃん!」と思ったが、つっこむわけにもいかず、何とか納得するふりをした。77歳というと逆算していくと、大正14年生まれである。岸川さんから教えていただいたしこ名は、実際小字とかぶるものも多い。岸川さんの家族の方に聞いてみても、小字すらこんな地名ははじめて聞く、といった風だった。

岸川さんの話の途中、家族の方が麦茶を出していただいた。ご飯時に押しかけてしかも気を使っていただいてわるいなあとおもいつつ、暑かったし、飲まないのも失礼だな、と思いおいしくいただいた。ご近所の方で誰か年上の方がいらっしゃるかそれとなく聞いてみたが、どうやらこの辺りにはいないようだ。息子のところに行ったり、老人ホームに入ったりと、なかなか田舎も大変なようだ。過疎化、高齢化問題も垣間見た気がする。また、岸川さんの孫は大学生で、関東のほうに行っているらしい。少しうらやましい。学生はちゃんと勉強して親孝行しなければならんといわれる。いろんなことにチャレンジせよともおっしゃる。

岸川さんは若いころ富士山に登ったそうだ。そうこうするうちに、話も終了し、和やかに岸川さん宅を後にした。

その後、書いてもらった地図と前もって小字の書きこんである地図の二つを比べてみるとほとんど狂いが無く正確に記入されているのには、本当に驚かされた。

岸川さんは取材のときに、この地名は自分のかなり前から呼ばれている通称で今はもう誰も知らないとおっしゃられていたのだから、自分たちはあるひとつの仮説を立ててみた。

それは、今までしこ名として使われていた名称が、そのまま明治以降となっても小字として公称として使われるようになったのではないかということだ。それなら、岸川さんが言っていたように、昔から呼ばれていたのもうなずけると思う。

今回の調査は教授の求めている「しこ名」に当たるような地名は「チュウラ」と「ゴマントサン」の二つにとどまるという不本意な結果に終わってしまったが、慣れない土地に行き、全くの見ず知らずの人に親切にしてもらうという、日常では決して経験することのできない貴重な体験をすることができたのは、大きな収穫であったと思う。教授のお役に立てなかったのはまことに遺憾ではあるが、この授業のおかげで、教室では学び取ることのできないものを経験したのは自分たちのグループが誰一人として疑わない事実である。

 

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鍋野:しこ名一覧

小字一ツ枝のうちに……チュウラ(千浦)

小字大谷のうちに……ゴマントサン(五饅頭山)

小字梅ノ谷のうちに……ウメンキダン(梅ノ木谷)

※ウメンキダンがしこ名かどうかは判断しがたい。



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