【藤津郡塩田町下童地区】

現地調査レポート

LA100041 衛藤英子

LA100040 江口ふみ

 

話を聞かせて下さった方:森永栄さん

※4人の方のお名前と生まれた年をうかがうのを忘れてしまい、今、葉書を出して返事を待っているところです。

 

村の名前 下童村

 

しこ名 5人の方にお話をうかがいましたが、1つも集めることができませんでした。

 

用水源 鹿島川・堤

 

正願寺(ショウガンジ):

「この辺は正願寺って言うとよ。地名が。この山の半分くらいは。民家はなんもなかばってんね。」

 

下童の名前の由来:

「だいたいはね、東山のところはね、海やったてやんもんね、そいで、その東山がずっかでんくらいの島らしかやったたいね、海水からさ、そいぎ、船のそこにさ、かかったごとしよったらしか。そいぎ、「こんちくしょう、げどう。」って言ってばい。その名が今まで部落の名になってるわけ。」

「正式な地名はげどうやんもんね、通称げずうっていいよっばってん。」

「なんじゃ、犯罪者のごったんね。」

―(笑)―

 

川:

―川は昔からこういうふうなんですか?

「川の構成は昔から変わってない。改良はされとるばってんね。水路そのものはなんも変わってない。だいたい、もともとこの部落は水害の常習者やったもんね。そんで、塩田川の河川改造、高潮対策って、いろいろ改良してもろうて、現在は圃場にもね、排水機場ができて、ポンプアップするような施設をしてもろたもんだから、圃場整備と同時にそれはできたわけね、そんでその後は、ポンプアップの機械を稼動すれば、もう水害はなくなった。」

―昔海だったってことは、ここは低いんですか?

「前に比べて、圃場整備ばしてから、堤防側で、元の高さより1mくらいあがっとる。だいたい、堤防ば越して、圃場線ば越して、水のいってきよった。その時は水のこの道路に1mぐらいつかいよったね。現在はポンプアップすればああいうふうにはならんでよかわけ。」

―この辺は全部鹿島川から水を引いているんですか?

「だいたい、今の水田はこの堤(下童村に大きな堤がある。)からが用水の大部分ば使いよるわけね。あとは、今、圃場整備して、水路のずっとあるでしょ?後は水路にたまっとる水ば巡回させて、そういう施設にしてあるわけ。そして足らんやつば堤の水ば落として補足すると。」

 

古賀:

―シュウジについて聞きたいんですけど

「しゅうじ?」

「聞かんねー。」

「聞いたことなか。」

「ああ、古賀っちゅうとった。班の呼び名ねー、東古賀、梅谷(ウメダニ)古賀、あんのした古賀、野畑(ノバコ)古賀、田尾古賀、越(コエ)古賀、中林古賀の7つにわかれとるもんね。だいたい3班に分かれとるけど、細かく言えば7班に分かれとると。」

―その名の由来については?

「それが分からんの、全然。資料もなんもなからんわけよ。」

「残っとらんけんね。」

「聞き伝えもなか。」

 

堤:

くらんださん(倉田さん?)が造った。詳細は分からない。村に祀られているようだが、神さんではないらしい。

 

小さいころ:

「学校から帰ったら、あがり口にかばんほうりなげて、「たんなか」に直行。手仕事がちゃんと割り当てられとるとやっけん。われわれの時代は遊ぶひまなんてなかった。農繁期は、学校休んでかせしよった。」

「勉強しろとは親から言われたことはなかとやっけん。」

―(笑)―

「夜は夜で夜なべせんばらんしねー。」

「サラリーマンしよってめしは食われるかって言われよったとやっけんが。」

「昔は稲の脱穀でんさー、足でふんでがーってしよったけんねー。はしごを1mくらいの高さに置いてさー、そいで、ボトンてくらせて、そして実ば落としよったとたい。その選別ば、とみって言ってね、あれで全部しよったとやっけん。」

 

村の発達:終戦後、機械が入ってきた。電気はきていたが、ガスはなかった。1年に1ぺん、雑木山を共同で購入して、部分的に山をかって、1年分のまきにした。昭和34年くらいからそういうことはしなくなった。水はポンプの前は、つるべでくんでいた。一家に1つ井戸があった。

 

牛:

「牛肉とか食べたことなかったとやっけん。」

「牛が死んだときに腹いっぱい食べた。」

―(笑)―

「赤い犬は、ありゃうまかばいって言って、赤い犬のほっつきよっぎんたすぐ殺されよった。」

「牛が火葬場のよこしにあったもんね。牛が死ぬぎ、夜はくさん、おんちゃんたちのカンテラさげて、のぶなったい山さん、なんのその牛の死んどっぎ、その肉ばとりやたいね。中島しげきさんとこは、牛の死んだてやんね、そいば忘れきらじさ、山さん行きないたわけ、そいば見ぎゃくさんね。そいぎ骨ばっかなっとったてやもん、もうぐらいきた、ねつきないた。

―(笑)―

かわいがりよった牛の死んだけんね、どがんなっとろかって、見に行きないたぎんたなんもなかったって。肉ば取ってしまわれて。」

―(笑)―

 

圃場:

圃場整備する前は、海水が田に入ってきていた。一本松、二本松、三本松、四本松まである。

 

御神松(オンガンマツ):

「こまーかときからこの呼び名。松の木のふとーかとのあった。」

 

へび:

くちなわと言っていた。家に一匹は主としていた。家にいるねずみなどをとっていた。

 

大旱魃:

鹿島川から水をポンプアップして、水を引いていた。鹿島川があったため、ほかの村よりは、被害が小さくて済んだ。(その逆に他の村よりも水害が多かった。)雨乞いは、特になにかするわけではなく、浮立をしていた。

 

昔の若者:

青年団のなかでは、ヨバイがはやったことがあった。今のように付き合うとかゆうようなのではなく、片思いか両思いというようなものだった。

 

村のこれから:

「後継者不足で、全く先のことは分からない。個人でやっている耕作を共同ですることになるか、何人かの人に請け負い的にやってもらうことになるのか、どうなるかは分からん。百姓ほど先の見通しの暗い職業はない。明かりが見えない。」

―暗い表情で、本当に後継者不足に悩んでおられるみたいでした。―



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