【藤津郡塩田町辺田地区】

現地調査レポート

1TE99200 藤川卓也

村の名前 塩田町辺田

聞き取りをした人 松尾正道さん

 

村の部落 

マエハン(前班)、

ウラハン(裏班)、

タチハン(立班)、

ミセハン(店班)

 

 

水の利用について

 南権現神社に年に一度お参りに行く。今年は7月20日に行ったらしい。辺田はため池の水を利用している。神社には辺田の4部落と谷のやしき(屋敷)と南でお参りに行く。谷の方は熊野権現神社にお参りに行く。

 

 

 午前中に谷を調査した後、午後2時から区長さんである松尾正道さんの家を訪れた。おそらく50歳くらいの方であった。私たちをやさしく迎えてくれた。

 

 以下、順に説明していく。まず辺田の区分について

 

 辺田は大きくマエハン(前班)、ウラハン(裏班)、タチハン(立班)、ミセハン(店班)という4つの班にわかれる。松尾さんのお宅はミセハンに位置していた。聞くところによると、昔は店が多かったからそう呼ばれるようになったそうだ。しかし、そのほかに関しては、語源は分からないそうだ。地名に関してはほとんど分からないということだったが、谷のほうは詳しく教えていただいた。松尾さんは小さいときから辺田に住んでいるが特に古い名前があるようでもなかった。もともと辺田は田よりも民家の方が多いので、あまりないのかもしれない。それと辺田には山も含まれていたので、山の呼び名を聞いてみたが特別何もないらしいので、呼び名はわからない、ということであった。そこで水利用に関して尋ねてみると、辺田のほとんどの田は塩田川からではなく、山のため池から水を引いていることがわかった。以前は谷のほうは水害などがよく起こっていたが、辺田は塩田川が氾濫しても影響はなかったということだった。特に山の立山ため池は辺田と南から、水役と呼ばれる人が2人ずつの計4人が2年交代くらいで管理していることがわかった。このため池は辺田だけではなく南地区にも使われているので、毎年、南権現神社にお参りに行くことになっているそうだ。今年は7月の20日に行われたそうだ。南権現神社の近くに遺跡があり、川に近い遺跡は黒い石でできた高さ3〜4メートルくらいの遺跡である。これはなんですか?と尋ねると、塩田川の圃場整備の時の記念碑だと教えてくれた。昭和49年から51年の間に圃場整備が行われたそうだ。もう一つの遺跡は一回り小さく、南無阿弥陀仏と書かれていたが、なんの遺跡なのかは分からないそうだ。土手のほうにも実際に行ってみた。川幅は広くいわゆる河岸段丘であった。昔から、大きく川の流れが変わっていたということはすぐに分かった。現代は圃場整備で土手がつくられ、上流にはダムも建設されことで、ほとんど水害はなくなったそうだが、話を聞くとやはり昔は水害とともに暮らしていたことがよく分かった。景色も一面田ばかりで、米の産地であることはよく分かった。特に酒は有名らしく、都会にも出荷されているらしい。近くにも酒屋があり、佐賀のお酒という看板をみかけた。現在も酒の銘柄は2つほどあるそうで、やはり良い米と水があるからなのだろう、と思った。水といえば、もうひとつこの地域で有名なのが有田焼の土を産出していることだ。昔から、焼物の土を産出していて、車がなかったときは船が塩田川をのぼってきて、土を運んでいったそうだ。現在は、船は使わないが、まだ土を販売しているところはあるそうだ。松尾さんのお宅にお伺いする途中に煙突をみたが、それは焼物の釜の煙突だったらしい。現在は土の販売だけで、焼いているところはないらしい。

 

以上が、辺田地区に関して調査して分かったことです。



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