塩田町 西山
小字 西山のうちに シンザンコガ(新山) ウシロガワチ カナジコガ ニシコガ ガラン バンタク コガクラ (小ヶ倉)
(武雄市との境界付近に) カベウラ チマキデ
小字 明神籠のうちに ナガタ (長田) ミズマチ ゼニガメ(銭亀) シケンマチ(四軒町)
小字 代木のうちに ソウバダン
小字 牛石のうちに ハッセダ

用水 特に名前はついていなかった、 一部に サルワタシ(猿渡し) マアライガワ(馬洗い川)

屋号 小字 西山のうちに イシバシ(石橋) サンダンダ(三段田)

その他 (目印など) モチマル…くすの木 ルスドンノモイ(ルスドンの森)

下田 虎市さん(大正15年生まれ)、大重 恒(九州大学3年)、丸山 太一(九州大学3年)
以下 下田、大重、丸山

下田「ここんところは減反の事が大きいね。減反をして残ったところを反数で割って振り分ける方向でしよる。集団減反するところはある程度補助金もでるけど、この>辺じゃ難しい。減反すると、裏作で大豆とかつくらんといかん。
大重「窯業をしてる人が多かったんですか」
下田「うん、窯業はこの辺いったいそうだった。」
大重「水はどこから引いてきているんですか」
下田「水は墓地の向こうの山から湧き水がでようる、それを引いてきとうもんね。で、雨が降った時には、牛の後ろにすきをつけて、ホリャホリャて峠をのぼりょった(笑)」
大重「旱魃の時とかはどうだったんですか」
下田「水げんかとかようおこっとた。バケツで水をくみとりよった。今は機械でわけなかもんね」
丸山「山などに、皆の間で呼ぶような名前がついてたりはしたんですか」
下田「あるよ。ここに祇園山ゆうて、今月(7月)の15日にも祭りがあったけんどね。」
大重「この、祭りはどんな人たちが行ってたんですか」
下田「ここは、コガでしよった。」
丸山「あと、大きな木とか目印にしてた様な物はありますか」
下田「んーとね、モチマルのとこに楠木の太いのがあったいぇ。モチマルの人形がまのところにね。」
丸山「昔はお米とかはどのようにして保存してたんですか」
下田「もみのままでおいとくと案外よかもんね。麦とかは、沖縄のあわもりをしこむかめにいれておいてあった。今は丸升だけんど、昔は角升ではかってね。小麦、裸麦、そうやってなおしよった。麦でね、まんじゅうしたりうどんしたりしよったけん。」
丸山「昔の若者はどんな遊びをしてたんですか」
下田「遊びねぇ、よそのスイカちぎったり、それからももばちぎりよった」
大重「自警団とかはなかったんですか」
下田「自警団はなかった。青年学校でいろいろば農事教育、泥をあげたり、柿を植えたりスイカを作ったりしよったとよね。土ばっかりのところを耕してさ、肥料がなかったけんね、そして、肥料もね、ヒャッカイちゅうて、今野有明海から魚、持ってきよった、酒樽にいれてね。かめにいれて密封して腐らしてね。それとか草とか切ってね。肥料がなかったけんね。」


下田「田ん中に全部ふってさ、そして牛でしよったけんね。時間がかかったけん、今は機械でね」
丸山「お祭りはどんなかんじなんですか」
下田「祇園のときはね、祇園まんじゅういうてね、酒んかすば、酒のまんじゅう、ぐつぐつ沸きよるのをね、しぼっておいとくと膨らむもんね、醗酵して。そんときこねて祇園まんじゅうしよったと。まつりにいって彼女をみつけたりしよった。普段はも接触はなかけん。」
丸山「昔は農薬はないですよね、当時はどのようにしてたんですか」
下田「よか質問(笑)。缶ビン、酒の缶ビン、あれにね灯油とさ菜種油を混ぜてさ、滴れたら足でけっていくさ。ほいでとりよったと。」

太陽がちょうど真上に昇る頃、佐賀県塩田町に向けて出発した僕らのバスが目的地に到着した。僕たちは、訪問先の下田さんとの約束の時間のp.m.12:30の1時間半前に下車をしたため近くの公民館で昼食をとって時間を潰すことになった。しかしその間も少しの緊張と早朝の出発による疲労のせいか、ただ時間を持て余していた。
 約束の時間となり、下田さん宅へ向かうと、下田さんは家の軒先に腰掛けて僕たちを出迎えてくださった。さっそくお邪魔して下田さんの話を伺った。1時間余り経過して話しも一段落ついたところで、下田さんの誘いもあって、僕達は、お伺いした場所を見に行くことにした。下田さんは、猛暑の中1時間以上案内してくださった。下田さんの年齢を察すると、この厚さの中、1時間以上歩き回ることは大変なのではないかと心配にもなったが、そんな様子はこれっぽっちも見当らないほどで、僕たちの方が遅れをとるくらいだった。
 見物が終わると、再び下田さん宅へ戻り飲み物をいただいた。そして下田さんの家の前で記念撮影をし、下田さんとお別れする時間となった。さんざんお世話になった上にお土産に庭で育てたトマトまで戴いた。さらに、下田さんの車でバス停まで送っていただいた。
 つかの間の時間ではあったが、下田さんの人柄に触れ、塩田町の歴史を理解したと実感した。そして、僕達は名残を残しつつも、大学へと向けたバスに乗り込み帰路に着いた。