| 圃場整備記念碑 | 当地区は山間地域で圃場は狭小にして高低差甚だしく旦う農道、用排水路等未整備で湿田多く機械化、農地の集団化農業の近代化を推進し、農家経済の安定を図るためには地区民一同土地基盤の整備を痛感し、昭和61年、62年度土地改良総合整備事業として国の採択を受け、昭和63年3月に完工。 事業主体 塩田町
 地区面積 12ヘクタール
 受益者  45名
 総事業費 146,450,000
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| しこ名について | | 村の名前 | しこ名一覧 |  | 光武(西山付近) | 牛石(ウシイシ) |  | 光武(中久間付近) | 後山(ウシロヤマ) |  | その他 | 代木(シロキ) |  |  | 古子(フルコ) |  |  | 藤原(フジワラ) |  |  | 藤木(フジキ) |  |  | 本志田原(ホンシダハラ) |  |  | 十九谷 | 
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| 水利について | 光武・・・・・水源(入江川) 昔は田から田へ水を配水していた。今は機械や車のため道路や用水路を作ったため田んぼの面積はかえって狭くなったという。約2割8分も減ってしまったと困った感じで言っていた。どうやら、圃場整備の印象はあまり良くないらしい。
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| 農薬について | 昔は虫除けに菜種油を撒いたというのは本当らしい。今は農協から必要な分だけが配布され、決まった量だけ散布するらしく、作っている当人にはどんなものなのかも分からないらしい。 | 
| 牛について | やはり1軒に1頭は牛を飼っていたらしく、機械を導入する前は牛に田んぼを耕せていたらしい。機械は高価だが買わざるを得ない。なぜなら、人手が足らず若者もいないため年よりだけではやっていけないかららしい。とにかく若者がいなくて欲しいみたいだ。家で働かんかともいわれた。 | 
| 1994年の旱魃について | 農協からの保障はなかったとのこと。なぜなら2割以上の被害はどの田においてもなかったらしい。旱魃があってもある程度の被害がなければいつもと変わりないのだ。 | 
| 水の配水について | 山間部なので、上の方の田から水を入れていくのが普通。また、上の方の田が面積が小さいため水をあまり使わない、どちらかというと下の方の田が水不足になっていたらしい。足らないときは、全体的に田の水の量を減らすらしい。惜しいことに、それでも足らない時のことを聞いてなかった。 | 
| 祭りについて | 一年を通じて、収穫の時期(11月)に毎年祭りがあるそうだ。 | 
| あぜについて | あぜに大豆や小豆を植えていたそうだ。少ない耕地で少しでも収穫するのが目的だと言っいたような・・・あまり覚えていない | 
| 井戸について | 今使っている井戸を見せて頂いた。今も井戸水が豊富で8mくらいの水があった。水は実際に手に触れるととても冷たく飲めた。というよりも 飲ませてくれた。昔も今もどの家も井戸を掘っていて、生活用水として使用していたらしい。 | 
| 田の番号について | 今(昔も?)は田ひとつひとつに番号が付けられていて、収穫量を記録している。 (例:牛石○○番、後山××番)
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| 全体の感想 | 一日暑く、しかも話を聞く人が決まっておらず最初は途方にくれた。しかし、どの人も、名前を言えば家がわかるらしく、住宅地図がなくとも、なんとかなった。あいにく生産組合長、ぞくたく員どちらも不在で通りがかった家の人にたまたまはましを聞けたのはありがたかった。一日よく歩き、本当に歩いて歴史を考えた一日であった。    (村上) 生産組合長の不在、MDレコーダーの故障、住宅地図を忘れたなど、いろいろトラブルはあったが何とか現地の人に話を聞くことができたのでよかった。話を聞いた後で、光武地区が用意した地図でカバーできていないほど広かったのに驚いた。準備不足だった気はするが、自分の足でよく歩いて調べることができ有意義な一日だった。
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