塩吹

1EC00034W 岡元勝彦
1EC00043P  城井敏行
1EC00047R  銀島俊泰
1EC00052S  小宇佐昌秀

  まずお話を伺ったのは坂本貞信さん。こちらの不手際で手紙を送っていなかったのでいきなり自宅を伺うことにしました。
塩吹の位置は地図があって大体の位置はわかっていましたが少し迷ってしまいました。地元の人に聞いてやっとわかりました。
そうこうして何とか坂本さんの家に辿り着きました。坂本さんはそれほどお年を召しておられなかったがしこ名の説明をすると、いくつか知っていらっしゃたようでお話えを伺うことに。まず塩吹では堤(田んぼなどに水を引く水源地のようなもの)は二つあるそうで一つは板の平溜池、もう一つはチュウラ(千浦)。他にはヒラヌタニとサイアンタニという谷があるそうです。ご存知だったのはそのぐらいで、「もっと詳しい話が聞きたいなら森先生が詳しい。」と教えてくださったので坂本さんにお礼を述べた後、森先生宅へと向かいました。
森先生のお名前は森敏治さん、森さんは地元の小学校の元校長先生で、塩吹に関して色々とまとめる作業(ちょうど今回おこなった調査のようなこと)をやってらっしゃる方だったのでとても話を聞きやすかったです。とても感じのよい方で、僕らが「大学の授業で山や谷、田んぼなどの地元の人たちの間でだけ呼ばれているしこ名というものについて教えていただけませんか?」と切り出すと「じゃあどうぞあがってください。」と言われ話を伺うことになりました。居間にあげていただき、「暑いでしょう?どうぞ召し上がってください。」とお菓子や飲み物をだしていただいた。
森さんは学校でコピーした地図が少し古いものだったので、親切にも新しい地図と学校の地図を併用しながら説明してくれました。
「この地図でいうとこれが県道でしょ。これが県道ですよね。今この橋を付け替えしよるばってんが。えっと私の家はここになるのかな。ここになるんですね。これやろ。この家やろ。ここに家が一軒あったけどうちが自動車小屋にしとうけん。えっとこの付近は大体いわゆる集落の名前は塩吹ですよね。おなじ塩吹の中でも色々と何があって。例えばここの谷、ここがシロヤマって言いますもんね。やっぱこれ、城があったと思います。城と言ってももちろん小さな砦でしょうけどね。そして小さな名前からいうと、えーと、この谷、ここの谷をガンピュウダンですね。ガンクビ(雁首)だっちゅう意味だと思うんですよ。それから、塩吹、ここにトウドアン(唐渡庵)ていう庵寺がありますもんね。浄土真宗のお寺ですけど。トウドアンていうのは唐に、中国ですね、唐の国。それから、ドは渡る。唐に渡る庵、ていうんですよね。唐渡坊って言う、今で言うとおそらく山武士がたぶんおられたと言い伝えられておりますけど、ちょっとその件はっきりわかりません。それからこの付近の谷をですねー、えーと、ヌゲンタニっていうかな。たぶん昔山崩れかなんかしたんだと思いますけど。それから小さなしこ名でいえば例えばここに小さな道がありますよね、ちいさな坂道になってますけど、これを、ちょっと待ってくださいよ。」
ここで森さんが資料を探している間、奥さんが「麦茶よりジュースのほうがいいやろ。」とだしてくれたので少し休憩を取りました。
「この付近、これがサキノイッポさんがある道で、ここに、こっちになるかな、ここにこのモッギョウダニ、あのー浄土宗あたりであの、ちゃんとした名前で、モッギョ。あ、モッギョザカか、モッギョザカ。何か本能寺の木魚をそこから下した、という説があるようです。」
ここで森さん夫婦が「どうぞ足を崩して、楽にしんしゃい。」といってくれたので足を崩してお話を伺うことにしました。
「えーと、それから、あと私、他にあまり知らんなー。わたし塩吹で生まれて塩吹でそだってないもんだからですねー。他に知らんかにゃ。ヌゲンタニ、ガンピュウダニ、モッギョウザカ、地名。」
と奥さんに質問。すると奥さんはわらって「知らん。」と返しました。奥さんはご存知ないようなので森さんが引き続きお話を聞かせてくれました。
「もちろん字ではイタンヒラとか何とか色々ありますけどね、字名は。それからー、ここの付近、これはー、元の道、元じゃあなくて、現在なんですね。現在の・・・。」
ここで奥さんが僕たちに「どこらへんを調べてるの?あっちこっち部落を?」と質問されたので「塩吹と万才です。」と答えると「あ、塩吹と万才を、もう万才は行かれた?」と森さん。「まだです。」というと、
「あ、まだ。万才は今日グランドゴルフをしよったけんおらっしゃらんかもわからんなあと、年配の人は。・・・この付近はゲンゾウっていうのが一つあるんですよね。この川の向こうに。ゲンゾウ。ゲンは源、ゾウは蔵、そう源蔵。っていうのが、源蔵さんっていう人が新しく開いた土地だと伝えられています。それからこの付近が、ここがむかしの塩田川の二重堤防のあとですもんね。あのー、二重堤防の、トリノハガサネ(鳥羽重ね)って言うんですよ。鳥羽重ねの二重堤防の遺跡です。これだけしか、町でこれだけしか残ってないみたいですね。けっこうここから、あのー、入水地なんですね、ここが、塩田川の。だからあの、だからここの川が増水するとここから水が逆流してここに水がたまるんですね。そして川の水がずっと減ってくるとこの水が流れてくるというような入水地がもう塩田町の場合には、あのー、昭和の初期、一桁ぐらいにはもう各地にあったのが、えーと、堤防を強くするという、その通りの建設所の方針でぜんぶ取っ払ってしまって、今残っているのはこれだけですね、鳥羽重ねだけ。なんか他に・・・。」
ここで奥さんにどうぞ麦茶を飲んでください、と勧められ少し休憩を取ることにしました。休憩のあいだ、森さんが「去年はあちこちばらばらになって聞いてたみたいですね。」と言われたので「あ、今年もです。」と僕たち。続けて「こういう風なことが一つの単位になるんですか?」とか「科は皆さん同じなんですか?去年は違うみたいでしたけど。」など、大学の話やちょっとした世間話などをしてしばらく時間を過ごしました。
それから今度は水の管理のことを尋ねました。
「水の管理、ああ、水の管理ね。塩吹の場合にはねえ、ここに塩田川があるけれども、この塩田川の水をほとんど使っていないんですよ。というのは田んぼが高いもんだからね、だからこの鍋野川、もう少し大きい地図を持って来ようかね。」この間にも奥さんにお菓子を出していただいて本当にお世話になってしまいました。新しい地図を持ってきてもらっていただいたがまた同じ地図で話の続きを伺うことに。
「えーと塩吹がここですもんね、これが塩田川。これはたぶん古かみたいね。それでこのイズ池なんか今はありませんもんね。えーと、堤と言ってるんですけど、ここに堤があるんですよね、イタノヒラ堤(板ノ平堤)といって。この地図から言えばもう少しこちらのほうですかね、(ちなみにイタノヒラ堤は塩吹にくる途中少し迷ったので偶然そのときに見ました。)これ持って行かれてよかですよ、これに書かれてよかですよ。(地図を頂きました。)ここの堤とこの谷がずーっとありますもんね、今、採石場になってるけど。その上のほうにあのー、チュウラって言う地名がありますけど、チュウラ、千浦、千の浦って書きますけど。えーと千浦の堤はこれかなー、ん、ここにある、これこれ千浦って言う堤と、ここに書かれていいですから、板ノ平堤と、それから、ここに鍋野って言う集落がありますもんね、江戸時代は鍋野村っちゅうんですけどね。この鍋野村からこう小さな小川が、この付近では、あのー小さな川のことをタンゴって言うんですよ。鍋野タンゴ。字はどう書くかな、字はちょっと、私は知らん。ただタンゴ、タンゴって言ってた。たぶん谷の後って言う字がなまったんかな。その鍋野タンゴの水をところどころに小さなあれがあるんですよ、イゼキが。そしてそのイゼキからここに上げてくる。この付近とこの付近にイゼキがあって、イゼキってわかりますか?川をせき止めたと。そのイゼキから水を上げたと。だからあのー塩吹の場合は田植えも何月何日からっていうのを区長が決めるわけですね。そして今年の場合は17日からだったかにゃ。まず水流しというのがあって、で、水流しの前に溝さらえ、溝をきれいにさらえるわけね。流れるように、農家の方が出て。そして水流しをしてそれから田植えっていうようなそんな順序になってるわけですよ。」
森さんも区長を経験されたらしく田植えの日程が書かれたものを見せていただいた。他には昔の出産や誕生に関するお祝いなどについてお話を伺った。昔の出産は産婆さんに行ってもらっており、森さんの子供さんは産婆さんに立ち会ってもらって生まれたそうです。誕生のお祝いとしては、
(1)名づけ祝:誕生後九日目、赤飯を炊いて重箱に詰め、名前札をそえて親類や古賀に配る。
(2)日晴れ祝:男児は30日、女児は33日、親類を招いて祝う。客は、おびきんと言って、初衣と書いて反物を贈った。
(3)むこづき:生後1年目の祝で、餅をこしらえてその上に小豆をまき、男児にはわらじ、女児にはぞうりをはかせて、上から踏ませた。
(4)おびとき:生後2年目の誕生祝。親類を招いて祝うが、客は子供帯を贈る。この時、子供のつけひもをとった。
などがある。ほかにも結婚のときの祝儀は、「嫁の方はお茶がくると、嫁側の親類・古賀・知人をまねき、ちゃびらきといって、お茶を披露し、宴を開いた。また、嫁の友人を招き、嫁ふんみゃあといって祝宴を開いた。嫁が家を出発するとき、うったち膳をして食べる。たんす・長持等嫁の近親者が担い、宰領人がつき、荷物には嫁側の紋の入ったゆたんをかぶせ長持唄を歌いながら婿の家に赴く。荷物は嫁側・婿側それぞれ唄い納め、長持担いには酒肴をもてなす。」というものであったようです。以上のように森さんからは大変多くの話を伺うことが出来とても良い経験になりました。さすがに授業で言っていた夜這いについては聞けませんでしたが幅広く質問でき十分調査できたと思います。これもひとえに森さんご夫妻のおかげだとおもっています。話に飲み物やお菓子にと色々とお世話になりました。ここでお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。