【東脊振村大曲・坂本】
歩き、見、ふれる歴史学 現地調査レポート
1LA99004 赤崎慶彦
1LA99003 青山斉史
<大曲>
聞き取りした相手:大曲区長 古川数義氏、元理事長 古川正人氏
《しこ名一覧》
・小字亀作のうちに
テイメイ、シュルメン(知面)、テンジョウダ、ウーボイ(大堀)、ムラヤ、フタツバシ、オニガシマ(鬼が島)、ハチマン(八幡)、ノダ(野田)、タケノコ(竹の子)、マツバラ(松原)、マガイダ(曲田)、ヤクッサン(薬司さん〔薬師さんヵ:入力者注〕)、ロクンヤシキ(六屋敷)、サンジュウロク(三十六)、イシバシ(石橋)、イジイ(湯尻)、ネコボイ、ケンカイデ
・小字柏原のうちに(亀作から続いているものもある)
サンジュウロク(三十六)、ケンカイデ、ナカノ(中野)、シングウデン(新宮田)、バクリューンタイ(濁流谷)、
《シュウジの名前》
西シュウジ、北シュウジ、中シュウジ、南シュウジ、東シュウジ
《その他》
村に電気が来たのは明治の終わり頃で、大正に近い頃だったらしい。昔の電気は暗く、近づいて見なければついているのか、ついていないのか分からないくらいだった。それに、村の電力は水力発電によるものだったため、干ばつの際には電気が供給されないこともしばしばだった。それゆえ、電気が来てもしばらくはランプが活躍していたとのこと。実際に使用していたランプも見せていただいた。実際に見たものは想像していたものよりも大きかった。そして、何ともいえない人間臭さを持っていた。古川数義氏の話によれば、前の日に溜まった煤を毎朝磨くことが日課だったということだ。
この大曲という地域は、土地の質は肥沃で稲作には非常によいらしいが、ただ一つ問題点がある。それは水である。この地域は昔から干ばつに悩まされてきた。昭和14年の干ばつのときは特にひどく、収穫はゼロに近かったそうだ。このような干ばつの際には、「水げんか」というものが起こった。川上にあたる上石動や下石動との間で契約をとりかわし、下流に水を流すようにお願いするのだ。もちろんタダというわけには〔いかずヵ:入力者注〕事実上は水を買ったようなものだったらしい。
次に村の風俗や習慣についてふれておく。昔の遊びは、果物をとって食べたり、こまを回したり、「くぎでんぼ」と呼ばれる遊びや羽根つき相撲などがあった。けんかも一種の遊びのようなものだったとのことだ。また、子どもは家の手伝いをして、勉強などしなかった、というか親がさせなかったというのが正しいようだ。その頃、靴はあまり普及していなかったとのことだが、そのかわりの「あしなか」と呼ばれる自作の草履を履いていたそうだ。
ところで、村にはどんな祭りがあったのか。春と秋には「彼岸おこもい」、12月には「乙護法(おとごほ)神社祭り」、3月15日には「おかいさん祭り」というものがそれぞれ現在も行われている。おかいさん祭りとは、おかゆを炊いて放置し、そのカビ具合でその年の収穫を占うというものだ。昔は村のあちこちで神様をまつっていた。そして、病気などのたびに神様を祭っていた。大曲にははしかが治るという神様の像があり、他の村からも訪ねてくる人が少なくなかったとのこと。現在までにこうした神様があちこちで人間の科学という力によって消されているということを実感した。少し寂しい気がする。
最後にぶしつけな訪問にも拘らず、快く答えてくださった古川数義氏、古川正人氏に、心から感謝の意を表する。
<坂本>
聞き取りした相手:坂本区長 三好恒久氏
《しこ名一覧》
ヨコミチ(横道)、カミサカモト(上坂本)、セト(瀬戸)、ナカジマ(中島)、ミヤタ(宮田)、ナカオ(中尾)、ジョウノヒラ(城平)、ヤマンカミサマ(山神様)、チャヤ(茶屋)、ヒヤーシ(平石)、テラヤマ(寺山)、ミージャク、ヤシロヤマ、ウラト(裏田)、キシノウエ(岸の上)、クボ(久保)、タテイシ(立石)
《シュウジの名前》
カミシュウジ、ナカオシュウジ、タナカシュウジ、ナカシュウジ、シモシュウジ
《その他》
現在の状況としては、米だけ専門の農業と役所勤めにより生計を立てている。脊振山は茶の産地として有名だったが、現在は後継者不足に悩まされている。昔は山仕事も盛んだったのだが、その山仕事で作られる木材・木炭があまり使われなくなったため、役所勤めの人が多い。三好さんの話によれば、今や農業は廃れる一方であり、生産調整(減反)が進行する一方だという。
村に電気が来たのは今から約70年前で、松隈の水力発電所によるものだそうだ。
次に村の風俗・慣習について。村には魚がどうやって入ってきたかというと、終戦後に魚屋ができるまでは、魚はリヤカーで持って来たそうだが、その魚というのも塩鯨などの塩物で、生の魚を食べる機会はなかったらしい。米の保存については缶や瓶に入れて保存したとのこと。遊びについて聞いたところ、仕事が忙しくてあまり遊ぶ余裕などなかったが、楽しみとしては、青年会館(今でいう公民館)で囲碁を打ったり、将棋を打ったり、談笑したりして楽しんだとのことである。
祭りとしては、12月20日の山の神様祭りだけが現在まで伝わる大きな祭りだとのこと。昔は大祭りという村人総出の祭りがあったが、現在はないとのことだ。
三好氏の話の節々に、「今はもうなか…」という言葉が出てきた。今回の調査を通じて感じたことは、人間とそれを取り巻く環境は確実に変化を続けているが、それはよい意味の変化だけではないということ。そして、私達は今日もまた何かを失っているのかもしれない…。
最後に、予定の時刻に遅れたにも拘らず、快く応じてくださった三好氏に感謝の意を表する。
《当日の行動》
9:00集合・出発→10:30到着・調査範囲確認→12:30昼食→13:30調査闘始→16:00終了