佐賀県サガケン鹿島市カシマシオト 福田フクダ 弘恵ヒロエ 矢野ヤノ 史子フミコ
柴田シバタ 智美トモミ
 ロッポンマツからバスにって鹿島カシマかったワタシたち。バスをりると、そこには有明海アリアケカイヒロがってい
た。事前ジゼン連絡レンラクにより公民館コウミンカンお話オハナシをうかがうことになっていたので、場所バショ確認カクニンのためにまず公民コウミンカン
カンへ。すると、うしろからシロケイトラックがやってきた。そのトラックにっていたのはなんと、
今日キョウお話オハナシをうかがう音成オトナ区長クチョウ上野ウエノさんだった。偶然とはおもしろいものだ。またあとでおうと
言って、上野ウエノさんはっていった。さて、公民館コウミンカン場所バショ確認カクニンしたワタシたちは、昼食チュウショクをとるためにマエ
もって調シラべておいたミチエキかった。展望テンボウレストランむつごろうで、干潟ヒガタ寿司ズシべた。ちらしチラシズシ
寿司スシだった。レストランのナカ質問シツモン事項ジコウをまとめたワタシたちは、時間ジカンオクれないように公民館コウミンカンへ。
 公民館コウミンカン到着トウチャクすると、そこにはスデウエノ
さんが。上野ウエノさんにんでいただいた
長老チョウロウカタ公民館コウミンカンナカつことになっ
た。そうつことなく二人フタリカタ登場トウジョウ
北村さんと樋口ヒグチさんのお二人オフタリだ。本当ホントウ
もう一人ヒトリんでくださっていたそうだが
その人ソノヒト用事ヨウジがあったらしい。
「それでは時間ジカンになりましたのでハジめた
 いとオモいます。」「こんにちは。」
「こんにちは。」全員ゼンインソロったところで
最初サイショ自己ジコ紹介ショウカイ上野ウエノさんは68サイ
樋口ヒグチさんは74サイ北村キタムラさんは81サイ
まずは上野ウエノさんが、こちらがオクった手紙テガミ
んで、ほかのカタ今回コンカイ調査チョウサ趣旨シュシ
説明セツメイしてくださった。
 ちなみに上野ウエノさんのムスメさんはキュウダイダイソツ
そうで、ワタシたち一同イチドウ親近感シンキンカンオボえた。
 アザ資料シリョウ上野ウエノさんが配布ハイフ。わざわ
用意ヨウイしてくださっていた。
 音成オトナ地区チク扇状オウギジョウヒロがった土地トチで、ショ
タイスウ140人口ジンコウ505メイ農村ノウソン
漁業ギョギョウフクむ)、と上野ウエノさんが説明セツメイして
くださった。
お話オハナシをうかがった上野ウエノ英幸ヒデユキさん(68)、樋口ヒグチロクさん(74)、北村キタムラ栄一エイイチさん(81)。ヒダリから。
大字オオアザオトとここの音成オトナとは
 チガう。大字オオアザオトはとてもヒロ
 いからね。」
 このあたりはもとは七浦村
で、ロッカチョウソンが合併して鹿島カシマ
カシマシとなった。
コトワっておきますが、この
 はですね、少々ショウショウ年寄トシヨ
 さんでもからなかったり
 する。かる部分ブブン説明セツメイ
 ます。」
 オト農業ノウギョウ漁業ギョギョウムラで、
稲作イナサクよりもみかん栽培サイバイサカ
だそうだ。ジョウ整備セイビマワりの
ムラクラべるとオクれていてる。
しかし、明治メイジスエから昭和ショウワ
ハジめにかけて耕地コウチ整備セイビオコナ
れていた。アマ子神社コジンジャにはその
ウエホウみかん畑ミカンバタケヒロがる トキ記念碑キネンヒてられている。
 今後コンゴは、長崎ナガサキケンから処分ショブンしなければならない残土ザンドをもらって、肥前ヒゼン七浦ナナウラエキマワりをジョウ整備セイビ
ようということらしい。これは2〜3年後ネンゴオコナ予定ヨテイだそうだ。音成オトナでも高齢化コウレイカススみ、跡継アトツ
不足フソクしているために、圃場ホジョウ整備セイビオコナわなければやっていけないらしい。
 しこ名シコナのことについてタズねると、ここ音成オトナ稲作イナサクよりみかん栽培サイバイサカんなためか、トク
しこ名シコナはないということだった。サキクバっていただいたアザ一覧表イチランヒョウながら、しこ名シコナセツメイ
メイけた。しこ名シコナのことは「あざな(あだな)」ともばれていた。
西浦ニシノウラ(にしのうら)のあすこんあたりは、アミダメちゅうてわしたよ。それがあだなたい。」
樋口ヒグチさん。「ゲンタロウは大宮オオミヤ田尾タオのこあざさ。」と上野ウエノさん。音成オトナだけではなく、まわりの
地区チク地名チメイ説明セツメイしてくださった。
条例ジョウレイまっとうとくさね、こりゃあ。」と、小字コアザヒョウながらつぶやく上野ウエノさん。しか
今回コンカイ調査チョウサするのは条例ジョウレイまっていないホウしこ名シコナ。「ジョウツノ(じょうつの)はジョウカク
びよったけどね。シロンともいよったたい。」と樋口ヒグチさん。「神社ジンジャウエのゴンゲンサンの
ウエていうていっちょトオりよったもん。」と、これも樋口ヒグチさん。どうやら樋口ヒグチさんはこのあたりに
とてもクワしいようだ。「地図チズウエではどこらへんにあたりますか?」といかけると、「あっち
西浦ニシノウラホウイマ神社ジンジャ合併ガッペイしとるけどねえ。あすけぇゴンゲンてうて、こうの西浦ニシノウラ部落ブラク
だけの神社ジンジャがあったくさ。そ
こをゴンゲンウエていよっ
たもんね。」と樋口ヒグチさんが
うと、「ゴンゲンサン。」と
北村キタムラさん。「そそ、ゴンゲン
サンゴンゲンサン。」と樋口ヒグチ
さん。「西浦ニシノウラのところにゴン
ゲンサンちってあるとよ。」
北村キタムラさん。「西浦ニシノウラにね、あ
の、ワタシたちがどもの、ムカシムカシ
イケがあるのね。そこに全部ゼンブタネ
があるやつはアラいよったとよ。
そこをね、タンガワ(タネカワ
っちゅうとね。」と北村キタムラさん
うと、「ちょっとうと
タネガワたい。だいたいタネガワ
じゃもんあすこは。」と樋口ヒグチ
さん。
アマ子神社コジンジャにある耕地コウチ整備セイビ記念碑キネンヒ人手ヒトデカズ年数ネンスウナドかれている
アマ子神社コジンジャ正面ショウメン
黒木クロキてあるじゃろう、そこにねえ、あのタカいとこ
ろにねえ、ヤクササンちゅうてねえ、神社ジンジャのあった
わけ。」と北村キタムラさんがうと、樋口ヒグチさんが「そんな
もんある?」。「イマもある。ヤクササン。」と北村キタムラ
さん。「いまもヤクササンてうけどイマどもタチ
ゴンゲンサン、ゴンゲンノウエ はあんまわんもんね。」北村キタムラさんによると、最近サイキン
どもはあまりしこ名シコナ使ツカわないらしい。「カゲヒラもモリサンて。」「黒木クロキシタカゲヒラいてあ
るじゃろ。」と、それぞれ樋口ヒグチさんと上野ウエノさんが説明セツメイしてくださった。「ここの地区チクはね、8つの
ハンがあるわけ。黒木クロキカゲヒラ。それから4つ5つがってナカモン(なかもん・ちゅうもん)。それから
クロちゅうのがあるじゃろ。そのシタホウ西浦ニシノウラ西浦ニシノウラがね、現在ゲンザイ西浦ニシノウラヒガシ西浦ニシノウラナカ西浦ニシノウラシタとね
なるわけ。全部ゼンブで8つ。」と上野ウエノさん。この7つにもう一モウヒトクワえた8つが音成オトナ地区チクハンだそうだ。
「そしてね、そこにちゅうもはん(中門チュウモンのこと)てあるやろ。そこにね、ムカシからおたくんがこまか
トキから、なんからんけど、カミさんがおるとをマツってあるとね。そこばね、マンプトサン(マンブツ
ん)ていうね。」と北村キタムラさん。「マンプトサンマンプトサンてほら、だいたいマンボトケ(マンブツ
やんね。そこは。やけどマンプトサンマンプトサンていおった。ちょっとえばマンブツサンた
い、そこは。」と樋口ヒグチさん。
「マンブツ」が最初サイショナニのこと
なのかさっぱりからなかっ
ワタシたち。樋口ヒグチさんの「ホト
ケ」の一言ヒトコトでやっと「マンブツ
ん」がナンなのかかった。ヒグチ
クチさんはさらに「マンのホトケ
めたさそこに。マンフト
サンマンフトサンちゃこっち
言葉コトバたい。」とツヅけた。
島原シマバラランであんのんだと
こてやけんばい、だから
とをめとったい。マンボトケ
言いイイヨよると。そのよ、マ
ンフトサンマンフトサンて
やあ、こっちのあだなは。」
樋口ヒグチさんによるマンフトサン
由来ユライ説明セツメイ。それにツヅいて
北村キタムラさんの説明セツメイハジまる。 タンガワ(タネカワ)の写真シャシンチカくにはウシっているお宅オタクがあった
「そこはね、そのマンプトサン
ちゅうのはね、なんかそこにい
たずらたんごたぁたね、あの、
バチがあたっとるよ。」樋口ヒグチ
んも、「エラヒトんどるから
ね。」と。北村キタムラさんは「病気ビョウキ
たりんだヒトもあるけんね。そ
れにおしっこしたりしちゃ、ビョウ
したりしちゃあヒトもおる。」
ツヅけた。「なんかの因縁インネンがあ
るとよ。」と樋口ヒグチさん。「イマ
もね、そこはきれいに掃除ソウジして
ね、マツつっとるさ。」と北村キタムラ
ん。このような歴史レキシのある場所バショ
巡り会メグリアえたのはオドロきだった。
たたりがあるというのは実際ジッサイ
ったことがないのでからな
いが、いたずらなどで死者シシャグロウ
マンプトサン。そのどおりの場所バショ することがないように、当時トウジ
人達ヒトタチカンガえたのかもしれない。もちろん、イタみの気持キモちをこめて。
「いろいろあるんね。・・・神社ジンジャマエのもとのヨコミチごたあれ、あのミチは、あの通路ツウロは、ムカシ殿トノさん
タチのおらしゃるところじゃ、あれをイガサミてわしたもんね。イガサて。」と樋口ヒグチさん。すると
北村キタムラさんが「イガサ?」。「イガサミチイガサミチていおった。ここ殿トノさんタチトオるとばくさミチ
たい。ムカシ。この神社ジンジャマエこからもとこうちょっとかミチの、イガサミてそうう。ミヤドさんと
こからのミチたい。」樋口ヒグチさんが北村キタムラさんにそう説明セツメイなさった。北村キタムラさんが、「それからね、ここに
ね、トナリ部落ブラクトキにね、ムカシ通路ツウロがね、シカンサカてあだながあっとよ。シカンサカちゅうて
ね、ここ近道チカミチやったと。ワタシたちが小学生ショウガクセイトキね、こんば近道チカミチていうてね。」とおっしゃると、上野ウエノ
さんが「サカやもんね。」と。それでシカンサカというらしい。
 上野ウエノさんが音成オトナという地名チメイ由来ユライについて説明セツメイしてくださった。「(小字コアザヒョウながら)ここ
にね、ふりがながけられとろう。これですね、これは、何故ナゼかというのは、イマ当たり前アタリマエになっ
たけど、コンピューターが流行ハヤったでしょう、電算デンサン処理ショリが。そいで、コンピューターに打ち込ウチコむに
は、タダしい名前ナマエを、読み方ヨミカタ打ち込ウチコまんばいかんと。そういうことんなってね、年寄トシヨりさんはオト
ナシオトナシとうとったけど、イマはオトナリとけて、オトナリという読み方ヨミカタをおさえたんです
ね。しかしこの中コノナカにもですね、このはですね、部落ブラクタノんでけとうとですよ。」ツヅいては
北村キタムラさんによる説明セツメイ。「しか
しね、イマこの部落ブラクはね、オト
ナリやもんね。ムカシはね、オト
ナシオトナシてあったもん。」
「それがね、具体的グタイテキえば、
七浦ナナウラムラていうのが明治メイジ10ネン
にできた。そんトキイマオト
ムラていうのが、おとはオトに、
なしは無職ムショク。それで音無オトナ
ムラて。それから飯田イイダイマイイダ
合併ガッペイして、七浦ナナウラソン
ますとう、これはうちの、
ムラ記録キロクがあります。アキらか
にオトナシと。」と、フタタウエノ
さん。「よほどオトのなかこ
とはなか。」「オトがあっても
音無オトナと。」とジョークを
サンカタ。おもわずワラいがこみコミア
げてきたワタシたち。ったトウニン   みかんにカンする催し物モヨオシモノがあるらしいオレンジヒル
ニンワラっていた。
ムカシはね、あのトーギー、トー
ギーていよった。」と北村キタムラ
ん。「カズオさんがたんとこ、
ヒラキヒラキて。」「ムカシね、カ
ズオさんがた、ここにね、ミセ
あったもんね。その、その辺ソノヘン
トーギー、トーギーとか、トー
ギてうてね。」樋口ヒグチさんのヒ
ラキの説明セツメイと、北村キタムラさんのトー
ギーの説明セツメイ。「カズオさんがた
庄屋ショウヤやったけんがあすこばウミ
ばヒラキて、ヒロうなっとったと
ころ。」「ショウヤケ、ショウ
ヤケて。ニシサンてうところ
にね、」「西浦ニシノウラよ。」「ああ、
西浦ニシノウラか。西浦ニシノウラにね、ショウヤケ
ショウヤケていよった、一軒イッケン
イエばね、そこはね、ムカシ庄屋ショウヤ
トーギー。イマはサイクリングショップ。右手ミギテウミ よった。庄屋ショウヤムカシ庄屋ショウヤ
やろ?庄屋ショウヤしよったと。そいで、この庄屋ショウヤば、ショウヤケ、ショウヤケ。そうやけんね、こっちの
ほうば、ショウヤケて。」「そんなあだなあったよ、いろんな。」樋口ヒグチさんと北村キタムラさんが交互コウゴセツ
メイしてくださった。ここで上野ウエノさんが整理セイリのために、こちらがオクった手紙テガミ再読サイドク。そして北村キタムラさん
が、「それにはね、ここにユアラ(湯原ユハラ)はんてあるじゃろ、ユアラ(湯原ユハラ)。」とおっしゃると、
「いやいや、ユアラ(湯原ユハラ)はない。」と上野ウエノさん。「あすこはもう、何本ナンボンよ。黒木クロキトウゲからば、
あぜになっとーけ。」と樋口ヒグチさん。「ヒョウ小字コアザヒョウ)のシタから3番目バンメ、2番目バンメサンボンジュウ五本ゴホンとあ
るでしょうが。これがユアラ(湯原ユハラ)。やけんユアラていう小字コアザメイはない。」と上野ウエノさん。ユアラ
というのは正式セイシキ地名チメイではないらしい。樋口ヒグチさんが北村キタムラさんに、「あんたはやっぱほんな百姓ヒャクショウばし
とらんけん。」とおっしゃる。北村キタムラさんが自分ジブンムカシのことについてカタってくださった。「ワタシはね、
チイさいときからね、小学校ショウガッコウ卒業ソツギョウしてからね、あの、ワタシおらんかったけんね、ずと、兵隊ヘイタイナガかった
けんね、ワタシ全然ゼンゼン終戦シュウセン引き上ヒキアげてきとうわけよ。戦後センゴ。それであんま、らんのたい。あのね、
区長クチョウさん(上野ウエノさん)が、長老チョウロウじゃけ、てくださいて、それでたとやけんね。」ずっとにこに
こほほえんでいらっしゃる北村キタムラさんが兵隊ヘイタイっていたなんて、あまり想像ソウゾウがつかなかった。ワタシ
ちは意外イガイさと、戦争センソウオモさにオドロいた。
 「あだなは大概タイガイうてしもうたもんね。」と北村キタムラさんがおっしゃったので、ワタシたちはツギ質問シツモン
ハイった。「ムラナカをいくつか
けて、名前ナマエいていると
いたのですが、それをオシ
てください。」すると上野ウエノ
んが、「ハンはさっきうたよ
うにあるよ、8つ。ね。8ハン
ハンメイイコール古賀コガメイと。そう
でないのはイマちょっとうた、
ユアラ。お湯オユに、ハラ
くと。これはムカシ、そっからシタ
お湯オユよったらしいとい
うことをいとる。そのハン
班名ハンメイはユアラですけど、小字コアザ
からったら、サンボン拾五本ジュウゴホン
てこの、ホン表現ヒョウゲンしてあるも
んね。あと、これは一本イッポンから
ジュウキュウホンまであるわけよ。これ、
サンボン拾五本ジュウゴホンだけがこの、オト
地域チイキにある小字コアザメイで、あ  ヒラキ。オオきな民家ミンカがあった(オクホウえているイエ) 
ジュウ何本ナンボンていうのはトナリ部落ブラク
にある。一番イチバンからざーっとね。あとは、これ(小字コアザヒョウ)でいけば、中門チュウモン(ちゅうもん)。中門チュウモン
う、これが、このイエが、七浦ナナウラ村長ソンチョウをされとったい。そいで、そことの通用門ツウヨウモンの、出入デハイりの関係カンケイ
で、ナカモンというのに位置イチした、俗称ゾクショウはチュウモンチュウモンてうけどね。」ジツはさきほどオシ
ていただいた8つのハン名前ナマエは7つしかなかったので、ここでタズねてみた。そのもうひとつは、さ
きほど話題ワダイノボった湯原ユハラだった。
 ツギに、ミサキイソハマ浅瀬アサセイワシマナドがないかを質問シツモンした。上野ウエノさんが「こりゃ、あの、うち
の、この区域クイキにはないもんね。オトには。しかし、トナリにはタトえばビワンコ、ビワミサキていうて、イマ
埋め立ウメタてになって、道路ドウロギワになっとっけど、ムカシミサキになっとったと。うちの音成オトナにはない。」とコタ
をくださった。シオナガれや、海中カイチュウについても、トクにないらしい。引き潮ヒキシオトキにだけアラワれる
イワについていてみたところ、「うちにはないけど、沖の島オキノシマっていってね、鹿島市カシマシでも、七浦ナナウラトク
先祖センゾ伝来デンライマモってきているところがある。」この沖の島オキノシママツって、毎年マイトシ旧暦キュウレキガツ19ニチヨルコトシ
トシは8ガツニチヨル七浦ナナウラ夏祭ナツマツりがオコナわれるそうだ。昼食チュウショクをとった展望テンボウレストランムむつごろうに
も、そのことをらせるポスターがってあったことを思い出オモイダし、そのことをクチにすると、樋口ヒグチ
んがウレしそうに、「あったろお。」とおっしゃった。
 漁法ギョホウについてタズねたところ「たなじぶ」と漁法ギョホウがあったらしい。これについては「鹿島カシマギョロウ
ロウ習俗シュウゾク」というホンクワしくいてあるそうだ。そのほかには「サゼ」という漁法ギョホウがあった。小魚コザカナ
いつめてる、秘伝ヒデン漁法ギョホウなのだそうだ。
 北村キタムラさんが、ナツ行事ギョウジについてクワしくお話オハナシしてくださった。よその部落ブラクらんけどね、このオト
部落ブラクはね、ワタシたちが小学校ショウガッコウトキね、8ガツボンカエトキにね、しょうろうブネムギわらでツクってね、
それに、ホトケさんにあげてあるいろんなものを、そしてそれをフネにのせて、ウミナガしにきよっ
たい。しょうろうナガしちいよった。これはどこでもはなかろうオモっとうよ。」ツヅいて上野ウエノさんが、
ムカシ簡単カンタンにしよったけど、イマはもう、しょうろう船ショウロウブネツクムギわらなんかはないから、フネ大工ダイク
んにタノんで、ベニヤイタツクって、この部落ブラク一艘イッソウですよ。ま、それは、先祖センゾタイするひとつ、尊敬ソンケイ
気持キモちをアラワしとう。一方イッポウではね、そういうことをすればウミヨゴれるとかキタナくなるとか。」と、サイキン
キンのことについてお話オハナししてくださった。サラツヅけて樋口ヒグチさんがおっしゃった。「そ、そやけん、
ムギわらやてイマげて引き出ヒキダして、そんバンげてもうやしよったい、ウミで、フネぐっとこで。
ムカシナガしてしよったばって。それがせんもん。」伝統的デントウテキ風習フウシュウくなってしまうのは、サビしいこ
とだとオモうが、それだけではすまない現状ゲンジョウがあるようだ。
 フネける海岸カイガン特色トクショクについてタズねると、イマ漁港ギョコウ整備セイビしてあるとのことだったので、ムカシのこ
とについていてみた。すると北村キタムラさんが、「ムカシはね、イカリろしてね、そいで、オカ(おか)にこ
ツナいで。イカリろしてね。」と。トクめやすいヤスいところやめにくいところがあったのでは
なく、めるところにめていたらしい。
 ツヅいて、水田スイデンミズはどこからいているのかをタズねた。これは上野ウエノさんがわざわざ調シラべにって
くださっていた。このあたりのミズは、奥山オクヤマ頭首トウシュコウミゾ)という、上流ジョウリュウに8キロキタにあるところから
4つのつつみにけていているそうだ。4つのつつみというのはそれぞれ、ハナ(はなとり)、
笹原ササハラ飯田イイダ奥山オクヤマという名前ナマエで、奥山オクヤマ頭首工トウシュコウミズ奥山オクヤマのつつみにき、それをほかの3つにワタ
ているそうだ。いまは電気デンキ使ツカって分配ブンパイしている。ここからのミズため池タメイケにためて使ツカっているが、
ため池タメイケシタホウミズ泥土デイドがたまっていたり、ミズツメたすぎたりして使ツカえないらしい。ミズアラソいがあ
ったかをくと、とてもムカシにはあったようだが、イマはちゃんと取り分トリブンめているのでないという
ことだった。ムラナカでのミズアラソいもなかったそうだ。
 習慣シュウカンについて質問シツモンすると、
名前ナマエ 祈祷キトウ さなぶり 七浦ナナウラ夏祭ナツマツ ニイマツ大収穫ダイシュウカクサイ
期間キカン 田植タウえのアト 田植タウえのアト 旧暦キュウレキガツ19ニチ 旧暦キュウレキ11ガツ23ニチ
特色トクショク どこでもオコナわれる 田植タウえのイワ 戦前センゼンからオコナわれる 神主カンヌシさんを
ということをオシえていただいた。海苔ノリ不作フサクがあったりみかんが売れ残ウレノコったりしてここ最近サイキン大変タイヘン
しいが、夏祭ナツマツりは例年レイネンドオオコナうということだった。
 堤防テイボウについてタズねると、このあたりの地区チク干拓カンタク事業ジギョウについてはあまりチカラれていなかったそ
うだが、とりあえずは国道コクドウ鉄道テツドウ堤防テイボウわりとなっているそうだ。ちなみに鉄道テツドウは、明治メイジネン
諫早イサハヤから、昭和ショウワネン佐賀サガからツナがったもの。
 ここで、いままで聞き取キキトったしこ名シコナ・あだなを地図チズ書き込カキコ作業サギョウサイワい、サンカタとも地図チズ
るそうで、ワタシたちはとてもタスかった。埋め立て地ウメタテチハナシため池タメイケハナシキキナガラきながら書き込カキコんでいく。
ってきたゼンリンの地図チズに、クロっていないことが判明ハンメイした。「いるかな?いらない?」
とかいながらも、余分ヨブン地図チズってきていてかった。もしってきてなかったらとオモうと・
・・。
 上野ウエノさんに小字コアザ境界キョウカイ
んでいただいた。イエのまとま
りごとにかれているようで、
場所バショによってはヤマタニえし
て、かれてとんでいた。「ど
れかな?これかな?」といな
がら、地図チズサガす。クロ仁田ニタがな
かなかつからない。ワタシたちは
アセった。クロ仁田ニタオカさんという
名字ミョウジのひとばかりんでいるそ
うだ。「何処ドコまでかとわれた
らなかなか…。」といながら
上野ウエノさんが地図チズ境界線キョウカイセン書きカキコ
こんでくださる。「とにかくね、
イエは15ケン回覧カイランクルマって
オクる。ヤマタニえ、じゃけん
ね。」と上野ウエノさん。
 んぼによってれる作物サクモツ
音成オトナ選果センカジョウ佐賀サガみかんのハタっていた リョウチガうのかをタズねた。だいた
いどのたんぼもオナじようだが、地理的チリテキ地質的チシツテキ平地ヘイチトコロよりはれにくいそうだ。どちらかとい
うと、棚田タナダチカカンじ。1つのでおおよそヒョウハンオオいところではヒョウぐらいコメがとれるらしい。
 肥料ヒリョウについてもタズねてみた。「ウミにね、タケをさして。それにカイがつくわけよ。カイ。ジメキという
カイが。それを、んぼにまいておったの。もう一モウヒトつは、このへんで、ヒガタしてね。」そのほか、
ムカシイエナカ肥料ヒリョウツクるところがあって、そこでツクっていたそうだ。
 共同キョウドウ作業サギョウがあったのか、また、どういうものだったのかについていてみた。「なんでもそげな
とは、共同キョウドウで。」と樋口ヒグチさん。水路スイロなどは共同キョウドウっていたが、収穫シュウカクなどはオクれているヒトのところ
ハヤヒト手伝テツダうというカタチだったらしい。
 大豆ダイズなどをまいていたのかタズねると、「ムカシはまきよったよ。アズキやら、なんやら。」「最近サイキン
あぜもコンクリになりつつありよっけんね。」と樋口ヒグチさんと北村キタムラさんからコタえがカエってきた。
 オト自給自足ジキュウジソクムカシからなりたっていたらしい。いまは大豆ダイズなどをツクらなくても成り立ナリタつそうだ。
「そもそもここの地区チク産業サンギョウはね、漁業ギョギョウ最近サイキンのこと、農業ノウギョウ主体シュタイで、当初トウショ養蚕ヨウサン、それから煙草タバコ
で、イモ、そして、イマのみかん。」「果樹カジュ関係カンケイになってしもうたもんね、ぜぇんぶ。」と、上野ウエノ
んと樋口ヒグチさん。地図チズにのっている果樹園カジュエンのマークはスベてみかんらしい。
 1994ネンカンばつについてタズねてみたが、そう被害ヒガイはでなかったのであまり印象インショウノコっていな
いようだった。ただ、水道スイドウ自分ジブンたちで管理カンリしていたそうだ。雨乞アマゴいの儀式ギシキがあったのかをくと、
多良岳タラダケヤマにせんにんみゃい(千人センニンい)てことをしたことあるもん。あんなカンばつのときゃ。」
と、樋口ヒグチさんがおっしゃった。イマ神社ジンジャ祈祷キトウをするらしい。七浦ナナウラがちょうど人口ジンコウヤク1000ニン
ったから千人センニンいというそうだ。「効果コウカは?」とくと、笑い出ワライダ北村キタムラさん。「そのへんにゃ
らん。」と樋口ヒグチさん。
 害虫ガイチュウけにはナニをしているのかをくと、「そりゃあもう、BHCホリド。」と樋口ヒグチさん。「B
HC、ホリド??」とワタシたち。化学カガク農薬ノウヤク。なんだか現実ゲンジツテキ気分キブンになった。そのムカシは、松明タイマツ
て、クロ仁田ニタから海岸カイガンまでクダって、アツまってきたなどをやしていたそうだ。ほかにも、BHCホ
リドが一般的イッパンテキになるマエは、アブラ機械キカイ廃油ハイユ)をまいたり、誘蛾灯ユウガトウ使ツカったりしていたらしい。BHC
ホリドを使ツカうようになってから、タシかにノミとかムシとかいなくなったが、ホタルなどもいなくなってし
まったそうだ。
 共同キョウドウ作業サギョウお返オカエしをしていたのかいたところ、共同キョウドウ作業サギョウお互い様オタガイサマで、お返オカエしなどはなかった
そうだ。共同キョウドウ作業サギョウイマオコナっていないが、チュウ山間地サンカンチ指定シテイされたこのあたりでは、補助ホジョキンをもらっ
ているので、そのお金オカネ年間ネンカン730マンエン)をけて使ツカっているということだった。補助金ホジョキンは、半分ハンブン
維持費イジヒ、もう半分ハンブン個人コジンヨウで40〜50ニンけて使ツカっているらしい。海苔ノリは5ニングミツクってい
るそうだ。
 コメ何処ドコアツめていたのかをくと、ムカシノウカイアツめていたということだった。自家用ジカヨウコメは、
樋口ヒグチさんいわく、「ハンミャハンミャていおった。」。
 地主ジヌシ小作人コサクニン関係カンケイについてタズ
ねると、「そら、も、小作人コサクニンなる
ばかりゃもー、たいーてえのヒト
ねえ、個人コジンぎゃもう3ダンっとう
もうよか百姓ヒャクショウやった。みんな。そ
んくらいもう、よか百姓ヒャクショウやった。
我が家ワガヤっとるもんは。3ダン百姓ビャクショウ
ておったもん、ムカシから。」と、ヒグチ
クチさんがコタえてくださった。
 小作米コサクマイとしてコメはどのよう
コメだったのかをいた。「やっ
ぱよかコメばっかしよった。サンダン
マイ以上イジョウ。」と、樋口ヒグチさん。シツワル
コメは、みそ、醤油ショウユ団子ダンゴ、まれ
ニワトリウシウマエサ。「なんと
コメじゃけん。」とのこと。
 コメムギ保存ホゾン方法ホウホウは、オオきなカン
(10ヒョウ以上イジョウハイるもの)にれる。
オオきいイエではこのカンが2つあった。 干潟ヒガタ(7ガツニチ16時頃ジゴロ) 
ネズミはなかったらしい。タネもみは、「タネはもうワタシどもはとったこたあなかあ、農協ノウキョウに。そやけ
ツクらせよっと、農協ノウキョウが、タネは。むかしゃねえ、自分ジブンのでべよったよ。保存ホゾンなねえ、ハコにきちっ
といれてねえ。むかしゃ。むかしゃ、ハギバコてうてマツイタアツかとにれよったもん。フトハコの。
そやけんコメ保存ホゾンなそれがよかて。トースていよってん、我が家ワガヤでもみばすっとを。イマ使ツカわな
いけどね。」とのこと。(by樋口ヒグチさん)
 コメムギのことをタズねる。「ムギべよったよ。7:3くらい。」「アワべたことあるけどヒエ
はない。」
 ウシウマについていてみる。オスよりメスオオいらしい。博労バクロウにはだまされることもあったらしい。
「やーすうウマわれたり。」(樋口ヒグチさんダン博労バクロウはほかのムラからアラワれたそうだ。ウマ洗い場アライバもあっ
たそうだ。ウマ捨て場ステバは「ウマハカ」とっていた、と樋口ヒグチさん。ウシ洗い場アライバウマ洗い場アライバオナアツカい。ウマ
代表ダイヒョウしていた。
 トナリムラくときには、テラウラのテランサカをトオることがあったそうだ。トンネルのうえをトオ
こともあるらしい。「農道ノウドウ、ないしはドウ。さとみちていてね。」と上野ウエノさん。
 最後サイゴに、地図上チズジョウしこ名シコナ・あだなをまとめる。「ヤクササンはヨウフシャ(ヨウシャ)ていよっ
たもんね。」「マンプトサンていうのはね、このあたりなの。マンボトケ。」「ゴンゲンノウエの
なんたらていよった。」「ここはムカシ庄屋ショウヤのとこやもんね。ショウヤケ。」「これがゴンゲンサ
ン。」「タネガワじゃろ。イマ防火ボウカ用水ヨウスイになっとる。」「西ニシヒラのあのジョウノウエはシロンウエて
言いイイヨよった。」「なんてシロかねえ、音成オトナジョウいよったのが。」「島原シマバラランからんのが
とったい。それがマンボトケて無縁ムエンボトケ。」「ヒラいてツクったけんヒラキていよったんじゃろ。
ウミば。ムカシ。」「トーギーてうとは自転車ジテンシャよ。ウミべたでとぎれとっとばトーギーて。」「イガサ
ミちゅうとは殿トノさんのミチやもんね。」「シカンサキはイマのあすこじゃもん。七浦ナナウラ、しょうじんの。
国道コクドウべた。」「お寺オテラのうえやけんテランサカて。」
本当ホントウ今日キョウはありがとうございました。」「こちらこそ。」「ありがとうございました。」「お
じゃましました。」そしてワタシたちは公民館コウミンカンをあとにした。バスがるまでの時間ジカンワタシたちは写真シャシン
ることにした。「おおーっ、すごーい!!」アサたときには一面イチメンウミだったのに、夕方ユウガタにはすっか
いていた干潟ヒガタオモわず写真シャシンワタシたち。最初サイショはどうなることかとオモっていたが、無事ブジ調査チョウサ
み、あとはバスをつばかり。イソガしい時間ジカンいてワタシたちの調査チョウサ協力キョウリョクしてくださった上野ウエノ
ん、樋口ヒグチさん、北村キタムラさんのサンカタ感謝カンシャ気持キモちをかべながら、ワタシたちは干潟ヒガタながら、カエりの
バスが到着トウチャクするのをっていた。オト区長クチョウさんで、資料シリョウ用意ヨウイしたり調査チョウサったりしてくださ
った上野ウエノさん、物知モノシりで、なんでもかんでもオシえてくださった樋口ヒグチさん、ツネ微笑ホホエみながら、親孝オヤコウコウ
戦争センソウハナシをしてくださった北村キタムラさん。本当ホントウにありがとうございました。