下田浩貴
武吉秀
私達2人は今回,
指定の時間までにはまだ時間があったので,井手の近辺を歩いて回
った。そして指定の時間になったので,手紙を送っていた堀さんの
家を訪ねた。だが,訪ねた堀さんに「手紙に書かれていたことは,
私には全くわからんよ。」と,追い返されてしまった。でも,私たち
はこのまま追い返されてしまってもどうにもならないので,堀さん
にここの土地に詳しい人を教えてもらった。それは吉田さんという
方だった。そこで,私たちはそのままその吉田さんを訪ねてみるこ
とにした。訪ねてみるとご家族の方はいらっしゃったが,当人は外
出していた。訪ねたとき,ご家族の方に「明日くるんやなかったん
ね。」と,不思議なことを言われた。「多分それは違うところで,私
達は九州大学のものなんですが…」と,私が言うと,「明日くる人も
九州大学っていいよったよ。まあいいよ,帰ってくるまで家の中で
待っときなさい。」と,家のなかに案内してもらった。その後,少し
して吉田さんが帰ってきた。「明日くるんじゃなかったんね。それに
女の子2人って聞いとったよ。」と,吉田さんにも言われ,どこかで
見たことのある手紙を,私達に見せてくれた。「どうしてだろ。」と,
不思議に思っていたら,吉田さんが,「女の子が来るって聞いとった
から,少し緊張しとったけど,まあ男のほうが話しやすいね。(笑)」
と,言われた。
まずはじめに,しこ名について訪ねたのだが,吉田さんは昭和生
まれで,またもともとこの土地に詳しいわけではないらしく,聞き
出すことはできなかった。ほかに詳しい人を紹介してもらおうとし
たが,大正生まれの人は,この地区には今では入院しているか,も
うお亡くなりになっているらしく,病院までおしかける気には私達
はなれなかった。
次に,吉田さんは村の水利について話してくださった。そのとき,
『県営圃場整備事業化北鹿島地区の概要書』を吉田さんに1部譲っ
てもらった。これは,明日来る人達のために用意したものらしいの
だが,余分があったので1部譲ってもらった。吉田さんは戦後この
地区の整備事業の最高責任者だった。本人はあまりしたくはなかっ
たみたいだが…。水路は柳瀬頭首工から北鹿島まで引いて全体に行
き渡るようにしていた。ただ当初は,全体に行き渡ってなかったら
しい。というのは,最初のほうに水を得られる人達が自分たちが使
い終わった後は下に流さず,そのまま鹿島川へ流していたらしい。
そこで,全体に行き渡るように使い終わったら,鹿島川に流すので
はなく,下まで流して湛防藤津東部第一排水機場で水をためて一括
して流すことにしたらしい。これにより全体に水が行き渡るように
なったらしい。この整備事業には裏話があるらしく,その1つが,
当初この事業に中村地区は参加しなかったらしい。吉田さんは呼び
かけたが,中村地区は断固として拒否したらしい。だが,出来上が
るにつれ,自分たちも整備して欲しくなったのか,後からまた中村
地区もしてくれと言われたらしい。2つ目は,土地の整備により元
の土地と比べて,広さに差が出てきて,その差を埋めるためにお金
を支払ったらしい。整備事業はきれい完成したが,その後鉄道,国
道が通り,今のような斜めの田が出来てしまった。そのことに吉田
さんは,少し不満があるようだった。
その後吉田さんは,戦時中のことを話してくれた。吉田さんは軍
に入隊するときのテストでとても成績が良かったらしく,上官に,
「国のためにもがんばれ」と言われ,吉田さんも,「はい。」と返事
したらしい。がしかし,ある人に入った後のテストでいい点を取る
と太平洋の魚のえさになるよと聞き,わざと悪い点を取ったらしい。
そのことで上官に怒られ,靴のかかとでぼこぼこにされたらしい。
その後,そのテストでいい点を取った人は本当に魚のえさになった
らしい。
その後は満州での話をしてくれた。満州では戦後ソ連が進行して
きて,吉田さんもソ連に連れて行かれそうになったらしい。でも,
体が悪い人は連れて行かれないらしく,吉田さんは別にどこも悪く
ないのに腹が痛いと言い,ソ連に行かなくてすんだらしい。この軍
の話と満州での話の後,吉田さんは,「人間まじめに生きるだけじゃ
いかんよ。容量よくいきにゃ。」と教えてくれた。
その話の後,吉田さんの父がこの近辺の昔の資料を持っていたら
しく,それを吉田さんが祐徳稲荷神社のとなりにある祐徳博物館に
預けたという話が聞けたので,そこに行ってみることにした。でも
かなり遠いというので,気を使ってくれたのか吉田さんが送ってく
れると言われた。私達は少し迷ったがその言葉に甘えることにした。
車に乗っている間,本当に遠いので,車に乗せてもらって本当に良
かったと思った。その後,博物館を訪ねたのだが,その資料は宮司
さんの許可がないと見ることができず,結局見ることはできなかっ
た。吉田さんは,「私が預けたのにどうして見れんのか。」と,不満
を漏らしていたが,これも仕方のないことだと思った。その後,集
合場所まで送ってもらい,吉田さんと別れた。
今回,目的のしこ名は結局分からなかったが,いろいろ経験にな
り,また純粋に面白かった。そして,いろいろお世話になった吉田
さんに感謝したい。いきなり何の連絡なしで訪ねてとても親切にい
ろいろ教えてもらった。それだけでなく,祐徳稲荷神社まで送って
もらった。実際,私たちが逆の立場であれば,ここまで親切に相手
を迎えることができただろうか。そんな自信は私たちにはない。何
度も言うようですが,吉田さんには本当にお世話になりました,有
難うございました。機会があれば,また訪ねてみたいと思います。
その時はまた,よろしくお願いします。今回の経験が今後の糧にな
るようがんばりたいと思います。
今回お世話になった方 吉田さん:昭和2年生まれ