<伊万里市探索  西大久保>

目的  昔の貴重な資料を、伝え手がないままに忘れ去られることがないように次の世代へ残していくため

調査地  伊万里市西大久保

観察者
工学部 建築学科  和久田 昌浩
             原田 芳博

 私たちが訪れた西大久保はバスを降りた大きな道からは遠く離れずいぶんと山の方に入ったところにあった。周りをぐるっと山に囲まれ田が上の方から段々に形成されており、山の上の方はみかんなどの畑に使われていた。尋ねる予定だった区長さんが不在だったため、村の人に話しを聞いてまわる程度のことしかできなかったが、その人たちに話を聞こうとして向こうから真っ先に返ってきたことは「地すべり」のことだった。どうやらここの人たちにとっては昔の田や水路のしこ名のことよりも「地すべり」のことのほうが相当印象が強いらしい。「地すべりで田がつぶれて昔のしこ名はわからない」という人もいらっしゃった。
 「地すべり」は昭和26年2月16日に1回目が起こり約70丁部が、昭和32年7月6日に2回目がおこり約15丁部が全滅し死者も出たらしい。毎年7月6日には慰霊祭が行われているそうだ。話を聞いた人の中には「地すべりのために西大久保から西分(にしぶん)に移転してきた」という人もいらっしゃった。


観察を終えて

 手紙がうまく届かなかったためか、尋ねる予定だった区長さんが不在だったためしこ名のことなど詳しい話はあまり聞くことはできなかった。村の人たちとはなしていて方言がきつくて私はあまりうまく聞き取れなかったのだが、独特の文化が残っていることは自分なりには理解できたつもりだ。