★ 下古賀(佐賀県伊万里市)の旅★

村の名前;佐賀県伊万里市大坪町下古賀
話者;山下 恒夫 (昭和10年生まれ 63歳)
中島三男 (昭和09年生まれ 64歳)
池田安一 (大正01年生まれ 88歳)

調査者;野田 倫子
出口 友穂

<しこ名(カタカナ)一覧>

★ 田畑★ 小字 雁谷 のうちに  ガンダン
小字 山田 のうちに  ヤマダニ、 ウウフケ
小字 落合 のうちに  オチアイ
落合の由来・・江藤新平と官軍の戦いである佐賀の乱で住民が逃れたところ に由来する。 小字 堤久保 のうちに サゲンクボ、 サキンクボ
小字 柏別 のうちに  カシワケ
小字 勝根尾 のうちに カンネオ
小字 堂本 のうちに  ドオノモト
小字 堂本・五本松 のうちに チャーバ(田の総称)
小字 五本松 のうちに ゴホンマツ
小字 二本杉 のうちに ニホンスギ
小字 戸五朗 のうちに トゴロウ
小字 上ノ山 のうちに ウエンヤマ
小字 糸屋敷 のうちに イトヤシキ
小字 今岳原 のうちに クスノキバ

★ 山★
小字 狸山 のうちに タヌキヤマ
小字 黒木谷 のうちに クロギンダニ
漢字は谷と書くがこれは昔(タニ)という村があったから今でも残っている のである。

★ 谷★
小字 梅木谷 のうちに ウメノキダニ

★井樋★
小字 寺前 のうちに イデンカワ
小字 山田 のうちに ガブロ
小字 戸五郎 のうちに ゲンギャロ
井樋 は古賀では、(いび)という

★堤防★
小字 梅木谷 のうちに ウドランツツミ
小字 今岳 のうちに イマダケンツツミ

●村の水利●

★使用している用水の名前 用水源  共有している他の村 梅木谷          伊万里川   下古賀 今岳           伊万里川 堤久保          伊万里川 戸城堤          伊万里川 用水は風船で水を堰き止めて取水し、いらない時は風船をしぼめて水を流す。

★昔の配水の慣行、約束事・昔の水争いの有無

用水は、昔から、下古賀と上古賀で共有してきた。
その配分は、村の選挙で選ばれた「責任者」が管理した。1年単位で手当ても与えられる。
誰でも管理できる訳ではない。 ↑ 『水番』と呼ばれた

上古賀は川の上流にあるので水利には強かった。(水の恩恵は上が早い)
下古賀はその後だったので、比較的水利には弱く、また、人口も増えたので
そこから古賀は、上と下に別れた。
明治中頃まで1つの古賀だった。その頃の代表者は一人で(総代)といった

昔から水は、堤から落として得ていたので、ポンプは使用していない。
ポンプで水を上げるのは、寒波の時だけ。

過去に下古賀との水争いがあった。こっそり夜中に自分の村の方に水を送ることもあった。
しかし今は、村全体で決められた「水番」が責任を取ることになっているので、 公に水争いは起きていない。

1994(平成6)年の大旱魃では、役員会でいつもよりも多い数で「水番」を決め (日当が与えられる)、振り分けて、平等に時間配給を行った。
一つの田に水を入れたら、そこは止めて次の田に入れる。しかし、その被害は大きかった。
もし、40年前にこの大旱魃が起きていても、今回と同じ方法で対処していただろう。 そして、今は用水の工事を進める計画を申請中である。

現在、村の境界になっているのは、伊万里川である。(地図参照)

● 村の耕地●

昔この村で米のよく取れるところと、あまり取れないところが存在した。(地図参照)
乾田(麦が取れる田) : 7.5俵 〜 8俵/反
湿田(麦が取れない田) :(山手にあるが少なく、裏作もできない)
今は、9俵 〜 9.5俵

良い田<1級田>;517ha 個人差がある。
悪い田<2級田>;162ha 山の近くの旧田・雑地

化学肥料が入る前;草刈り(畜産から)→たい肥 質は良く、たくさんできる。
古賀は、酪農地帯(森永乳業)であり、酪農家に牧草を任せ、乳牛を飼わせる代わりに たい肥をもらった。
化学肥料が入った後;収穫量は増えたが質が落ちた。
今でもたい肥を使っている農家もあり、やはり質は良い。
入り会い山は、『原野』と呼ばれ、そこから薪などを取った。(地図参照)
原野は、山と田の間の 木の生えていない所である。
昔、薪は 原野、または、個人の山で取り、町へ売りに行った。
今はガスが普及し、薪は取っていない。

●村の道●

赤道(あかみち)と呼ばれる一人で通れるような道がある(国でも認められている)
隣村へ行く道等(地図参照)
い 昔、古い道を、米、麦(裏作)、大豆が運ばれた。

● 米の保存●

米は亜鉛鉄板で作った缶に入れて保存。これで、鼠や虫も防げる。 しかし、乾燥の悪いものには虫がつきやすいので、表面に防虫剤をのせる。 籾は普通脱穀して保存した。
●屋号●

屋号は油屋のように、商店とかのみで農家にはない。油屋は、椿油を扱い食用あるいは髪 の毛に使われた。
しかし、明治43年には椿は切り倒され水田になった。

● 村の過去●

50年前米以外の現金収入として
・ 葉煙草の生産;戦時中には終わった。
杉、ひのき、松の苗→国の収入
・ 牛乳;10軒で100頭 (酪農)
・ 養蚕;1軒

● 村の今●

上古賀;97戸 隣保班7組
下古賀;80戸 隣保班7組
それぞれ、10〜15軒くらいで1つの隣保班をつくっている。


シノキハラグミ ( 椎木原組 )
イトヤシキ ( 糸屋敷組 )
ワダ ( 和田組 )
テランマエ ( 寺ノ前組 )
ナカドオリ ( 中通組 )
カキゾエ ( 恒添組 )
ニシ ( 西組 )

<一日の行動記録>

地図を見ながら歩いていたら、相手の方がわざわざ車で迎えに来て下さり、軽トラの後 ろに乗せて下さった。それで、炎天下の中風が気持ち良かった。
公民館に集まって下さり、最初から話がスムーズに進んだ。山下さんが、地図をよめたの でとても助かり、お世話になってしまった。
また、ジュースやみかんなどが用意をしてあり、いたれりつくせりであった。 本当に親切にして頂き感謝の念でいっぱいである。
このような調査は初めてだったので心配も少しあったが、今度の調査では、相手の方がと てもいい人達ばかりだったので多くのことを教えて下さり、いいレポートができたと思う。 事前に聞くことなどをまとめておいたのもいい結果につながったと思う。