歴史と異文化理解A レポート 松本 佳道 渡部 真大 <佐賀県大川町井手口についての調査記録> 1)村の水利 井手口では、水田にかかる水は、溜め池と井手口川から、主として水をひいている。又、井せきとしては、中島井せきがある。 用水に関しては、井手口だけでなく長野や宿のような井手口川の下流に位置する地域にも共有されていた。 具体的には、井手口が30軒で、他の村では10軒ぐらいが用水を使用していた。 又、水の配分には、特別なルールはなかった。昔は、水番さんがいて、個々の農家へ水が一様に行き渡るように管理していたので、この村では、水争いはおこらなかったようだ。(水番さんは、給料をもらっていたらしい。)井手口に関しては、特別に水利の強い地域はない。 4年前に深刻な渇水があったが、川や溜め池が干上がった井手口では、手の打ちどころがなくただ雨が降るのを待つばかりであった。おそらく、昔、渇水があった時も、同じような状態においこまれたであろう。又、時間給水を行ったり、犠牲田をつくるようなこともなかった。 井手口では、過去、渇水だけでなく、井手口川付近で洪水もあった。 2)村の耕地 井手口にも昔は、大地主がいて土地を管理していたが、農地革命以降は、農地が個人に分配されて、個人が管理するようになった。 収穫量については、 他の田と比べて、特に米がよくとれる田はないが、土地が肥えているなどの理由で、割とよくとれる田もあるそうだ。 肥料については、戦前では牛の糞や、草を牛にすかせたものを肥料としていた。ちなみに、畑は人糞を使用していた。 戦後、化学肥料を導入してからは、戦前と比べて米の採れる量に歴然の差があり、昔は、4俵採れていたのに対して、今では、その倍8俵も採れている。 3)村の生活に必要な土地 井手口は、周囲を山に囲まれている緑の多い地域で、その山林は、今も昔も個人個人で所有している。燃料となる薪は、その山林から調達していた。現地調査で、家々をまわった時、薪がたくさん積み上げられている光景を何度も目にしたことから、現在でも、数軒で薪が使われているようだ。 話を聞いて驚いたことには、昔(昭和30年頃)、井手口の近くに炭抗があり、人口も多く村が栄えていた。なかなか質も良かったが、石炭から石油へのエネルギー革命によりやむを得ず閉山するに至った。閉山してからは、炭坑で働いていた人は、別の地に移り住んでしまったため、人口が減ってしまった。ちなみに、炭坑で働いていた人が、農業に従事し、その地にとどまることはなかった。 4)村の道 村の人の話によると、昔の学校道があるということだ。「ooノウテ」と呼ばれる道はあったかと聞くと、どの人 知らないと答えた。 又、古道では、米・野菜・薪を運び、時に他の村にそれらを売りに行くこともあった。 5)米の保存 次に米の保存についてであるが、昔は米を俵にいれて、米蔵に保存していた。今では、米袋に入れて、納屋に保存し、専門的に米蔵をもっている人は、もういなくなった。売るときは、良米を選び出し、その保存の仕方は、特に、普通の米と変わらない。 6)農作物 現在では米の他に、果物・野菜の栽培と畜産を行っている。井手口には梨選果場があり、井手口周辺では、梨が多く採れるようだ。又、僕たちが訪ねた松本さんの家では、米なす(夏から2月頃まで)や、ビニルハウスでいちご(冬から5月頃まで)を栽培していた。ビニルハウス栽培には、多大なお金(年間500万円ぐらい)と労力が必要とされるという話だった。又、井手口では種もみが有名で春口(しこ名)で、一番よくできるそうだ。 7)村の過去 昔は、収入を得るため、焼畑農業なども見られたが、今では一切行われていない。一部、蚕の養殖も行われていた。煙草、林業などは、昔からあまりさかんでなかった。 現在、麦はつくっていないが、昔はいくらかつくっていて、多いときで、主食の3割をまかなっていた。90代の人に聞いたところ、ひえは、つくりも、食べもしなかったそうだ。 電気が来たのは、戦前で、プロパンガスが来たのは、30年くらい前だったそうで、はっきりと何年前ということはわからなかった。出稼ぎはしていなかった。 8)村のこれから 話によると、農業は後継者不足のため、今後ますます衰退していく傾向にあるが、ビニルハウスは、投資料が高くつく反面、得られる収入が多いことが望まれるため、増加傾向にあるそうだ。又、平成2年前には村おこしとして農協青年部で、花火大会・綱ひき・盆おどり・虎まわしなどが行われたということだ。 9)しこ名 ツルダ ツヤ(90歳)、ナカシマ ミサオ(78歳): ハルグチ(春口)、テメシカ・・田のしこ名 大浦 大助 : ウラダ(浦田)、ナカシマ(中島)・・井せきのしこ名 シマノハシ・・井手口橋のしこ名 エゴビラ(エゴ平)、カメンタン(亀ノ谷)・・山のすそのしこ名 ナカオ(中尾)、コバル、マイヤマ、カンノンヤマ(観音山)(ツジヤマ)・・山のしこ名 原 利雄 : ハル・・土地のしこ名 原 清治 : ヒガシ・・土地のしこ名 中島 正行 : ユフネ(湯舟)(温泉が豊富に出たことから名付けられた。)・・土地のしこ名 <行動記録> 午前10時半頃、バスを降りた僕達は、訪問先の松本丈司さん宅へ向かった。住所は分かっていたのだが、どこに家があるのか分からなかったので、井手口公民館の近くでゲ-トボ-ルをしていたお年寄りに家の場所を尋 ねたところ、親切に分かりやすく教えてくれた。どうやら、この辺りで誰がどこに住んでいるか熟知しているようだった。そして、言われた通りに山道を歩いていくと、数分で松本丈司さん宅に到着した。 松本丈司さん(45歳)は、とても忙しそうにしていて、あまり僕達を歓迎してくれていないような感じだった。しかし、そんなことは気にしていられないので、さっそく玄関で話を伺うことにした。松本丈司さんは、大川町史やいろんな資料を事前に用意してくれていたけれど、やはりまだ若いせいか、昔のことについての質問の答えはあいまいで、しこ名も全く知らないようだった。1時間ぐらい話を伺った後、松本丈司さん宅を後にした。 しこ名を1つも収集できなかったことに危機感を感じた僕達は、お昼ごはんを食べるのを少しおあずけにして再び ゲ-トボ-ル場にもどり、お年寄りに話を伺うことにした。ところが、昼前にあんなにたくさんいたはずのお年寄りが2人だけになっていたので、そのお2人〔ツルダ ツヤ(90歳)、ナカシマ ミサオ(78歳)〕に話を伺うことにした。ツルダさんと ナカシマさんは昔の水利やしこ名を2つ教えてくれた。お2人ともとても若々しかった。 そうこうしているうちに、1時半頃になっていたので、遅いお昼ごはんをたべた。 その後、初めて伺ったのは中島秋太さん宅であったが、留守だった。そこで、井手口川橋のすぐそばにある大浦大助さん宅を訪問した。大浦さんは、とても親切だった。(麦茶をくれたし、扇風機もつけてくれた。)大浦さんにはしこ名を中心に尋ね、しこ名を8つ収集できた。 その後、行動範囲をもっと広げるために、大川梨選果場の方向に向かった。その途中で、5軒ほど訪問し、原清治さんと原利雄さん宅でしこ名を1つずつ収集した。やがて大川梨選果場にたどり着き、そこを少し過ぎたところにあるお宅を訪問したところ、「ここは井手口ではない。」と言われたので、ひきかえすことにした。その頃時間は2時半ぐらいで、暑さのため相当バテていたが、しこ名を集めるためがんばった。やっと井手口川付近までひき返し、4軒ほど訪問したが、どこも留守だった。残り時間が少なくなってきたので、最後に1軒だけ訪問しようということになり、中島正行さん宅を訪問し、なんとかしこ名を1個収集した。 <調査の感想> 7月5日に現地にバスで行き、暑い中、見慣れない地図を見ながら、現地を調査するのは、本当にたいへんでした。でも、しこ名を聞くため、農家を一軒一軒まわり話を聞いたことは、なんか営業マンになった気分がしていい経験になったと思いました。 初めに、訪ねていった家の人は、なんとなく機嫌が悪そうに感じたので、とても聞き出しにくかったです。でも、村の話をするにつれて、しだいに話がはずんでいったように思います。調査するにつれて、暑さがだんだんとましてきてその折、ある家を訪ねた時、麦茶を出してくれたことは、とても有り難く思いました。 しこ名を集める際に村まわった時、お忙しい中、皆さん10から15分ぐらいの間僕たちの話につき合ってくれたことに本当に感謝します。 今回の訪問で学んだことは、人に、自分の本当に知りたいと思うことを聞き出すのは、案外と難しいということです。近い将来、きっと初めて会う人を訪ねたり、その人に何かを頼んだりする機会があると思うので、今回のことを少しでも役立てていこうと思いました。 (渡部 真大) 暑さで頭がくらくらし、じっとしていても汗がふきでてくるほどの真夏の日に、僕たちは井手口を訪れることになった。現地にいけばなんとかなるだろうという期待に反し、調査は難航した。数時間歩き回ったりと、つらいこともあったが、けっこう楽しい時間を過ごすことができた。 まず、何といっても井手口の景色が素晴らしかったことが印象深い。井手口は、周囲を山に人も温和な人が多かったし、意外に子どもの数が多かったのも驚きだった。彼らが、野球やカン蹴りをしている姿を見て心が和んだ。また、30度を越える暑さにもかかわらずク-ラ-や扇風機を付けずに過ごして いるのを見て、自然と共生しているという感じがしてちょっと感動した。家の窓を全部開けっ放しにしているのも、開放的で田舎ならでわだなあと思った。普段、都会で生活していると、このような些細な事でも見逃してしまっているのが惜しい気がする。こういう事を感じられただけでも来たかいがあったと思う。 それと、僕たちが調査したことが何らかの役に立てたらうれしい。 |