歴史と異文化理解A 現地調査レポート 調査者 松浦 裕己 山下 周一 調査先 佐賀県伊万里市南波多町小麦原 話を聞いた人 野中 洋介 大正生まれ しこ名(カタカナ)一覧 小字 坂ノ下(さかのした)のうちに タカミ(漢字不明) 小字 清富原(せいとんばる)のうちに 不明 小字 畑田(はたけだ)のうちに 不明 小字 井手ノ原(いでのはら)のうちに 不明 小字 杉田代(すぎたしろ)のうちに 不明 小字 中ノ原(なかのはら)のうちに カユミ(漢字不明) マトバ(的場) しこ名(カタカナ)についての説明 マトバ(的場) 白山(はくさん)からやって来た侍たちが集まった 場所が清富原(せいとんばる)である。その侍たち が弓を射るための練習場として利用したのが、中ノ 原(なかのはら)のある場所である。その場所がい つしか的場(まとば)と呼ばれるようになった。 タカミ(漢字不明) 漢字とともに由来も不明。 カユミ(漢字不明) 分かった事はここが昔、畑であったということぐら いである。 しこ名について感想 しこ名は残念ながら3つしか集めることができなか った。本当はもっとあったらしいが、使用していた のはかなり昔のことなのでもう忘れてしまったらし い。別の人にも話しを聞こうとしたが、調査当日は 村祭りだったらしく話しを聞くことができなかった。 しかし他のペアの人達のしこ名の数を聞くと、もっ と粘ってくれば良かったと少し後悔している。 村の水利について 村の水はどこから、どのようにして取り入れているのか? 小麦原には専用の溜め池があるそうだ。府招下(ふまねきか) と言うらしい。溜め池には水番がいるらしい。水番は旱魃の時 は仕事がなさそうだが、旱魃になるとなおさら忙しくなるそう だ。どうしてかは良く分からない。 以前は溜め池だけから引水していたらしいが、現在は川からの ポンプによる引水も行っているらしい。 過去に水争いはあったのか? 水争いは1度もなかったそうだ。 4年前の大旱魃をどうのりきったのか? バケツで水を汲んできてタンクのなかに入れ、田ん中に入れて いたそうだ。しかしあまり効果は無く泣き寝入りするしかなか ったそうだ。 水利についてのまとめ このあたりは昔は水が溢れんばかりにあったらしいが、川の整 備が行われた後は川幅が広くなってしまったため、水の確保が しにくくなったそうだ。 昔の米の保存の方法について 特に保存はせずその日必要な分だけ精米していたそうだ。 村の過去について 昭和28年頃までは、農閑期に紙すきをやっていたそうで ある。しかし、紙をつくる工場ができてからはやめざるを えなくなったそうだ。以後5年ほどは、むしろ作りをして いたそうだが、それ以後は出稼ぎ中心になったそうである。 川が整備されるまでは、南波多町のなかでトップクラスの 収穫量を誇っていたそうだが、川が整備されてからは普通 レベルの収穫量になってしまったそうである。 道について 昔は馬が通っていて道幅は、1メートルぐらいしかなかっ たそうだ。当時の道の名前は小字に道をつけて「―――道」 と呼んでいたそうである。今は整備されて広くて綺麗な道 路になっている。それにともなって古い道の名前もつかわ れなくなったそうだ。 燃料(薪)について 付近の山へ、田ん中の仕事が終わり次第、薪をとりに行っ ていたそうだ。 肥料について 化学肥料は、カリン酸・石灰・アンモニアなどを使ってい る。化学肥料を使う前は田ん中1反につき6俵、良い時で も7俵しかとれていなかったのが、化学肥料を使い始めて からは8〜9俵は当たり前のようにとれるようになったそ うだ。やはり化学肥料の力は偉大だ。 農民の日当について 昔、日当はお金ではなく米で払われていたそうだ。1日に つき、米3升が支給されていたらしい。昔はそれで十分だ ったと野中さんは語っていた。 今回の現地調査の感想 今回の調査、しこ名集めについては軽く20〜30は集まるだろう と鷹をくくっていた。しかし結果は3個、予想の10分の1である。 まず野中さんにはしこ名という言葉が通じなかった。出て来るのは 小字ばかりである。何度も何度も説明してようやくしこ名らしきも のが出て来た。しかしたった3個で打ち止めだった。それ以上は思 い出せないらしい。しかたが無いので他の質問を投げかけたがどう も反応が良くない、というかこちらの言葉を理解していないようだ。 こちらも野中さんの言ってることが理解できない。やはり方言の壁 は厚かった。佐賀出身と長崎出身のペアなのに半分ぐらいしか分か らなかった。しかもはっきり言って野中さんは冷たかった。野中さ んは縁側に座っていたが、僕達はずっと立たされっぱなしだった。 しかも常に「さっさと帰れ」といった態度だ。本当はもっと話を聞 きたかったのだが、はっきり言ってこれが限界だった。話しを聞き 終えたのが12:30である。こんなに早く終わってしまうとは思 ってもみなかった。たいへんな1日だった。 |