提出者 ;田畑 大輔 小泉 直義 行き先 ;府招下 聞いた人 ;違う人に聞いたので忘れてしまいました。 歴史と異文化理解Aのレポート 小字が使われている田んなかの名前 ・堀田 ・持田 ・向田 (これらは、小字の名前ではありますが、このように田んなかの名前としても使われていました。) その他の田んなかの名前 ・儀平田(これは、聞きに行った人のおじいさんの名前からとって このように付けられたそうです。) 橋 ・岩崎橋 ・新井手下橋 山 ・弁天様 ・彦山様 昔に使われていた小字 ・館中(たち) ;これは昔、ここにいた領主の館があったので、 そう呼ばれていたそうです。 ・札元(ふだもと);ここには昔、関所を通るための札を発行して いたので、そう呼ばれています。 ・谷 ・新井手(しんいで) 道 ・太潅(たいかん、太潅の潅は上に草がんむりがつきます) ;ここでは、道のことを縄手とは言わないそう です。これは、特に広い道のことをいうそう です。 ・赤道 ;国の道 ・作道(しゃあくどう) ・作場道 川 ・府招川 ;昔からある川です。 ・太次郎川 井樋 ・小字の名前を使って、堀田の井樋などと言っていました。 ほり ・この地区では、ほりはぜんぜん使われていませんでした。そのか わりに、たくさんのため池が作られて、使われていました。その 中で樋の谷のため池は、湧き水であるそうです。これらのため池 から上記の川に流し、井樋で田んなかにひいているそうです。 草切り場とキイノ ・草切り場やキイノについては、それらは、堤防の周りやため池の 周りの所がそうであるそうです。それらの名前は、全部、それが あった小字が使われています。前は、飼育もやっていたのでその 様な所があり、それらは1年間、そこを使う権利をもらうために、 せりを昭和30年代までやっていたそうです。 米の生産について ・1970年代 9俵取り ・1990年代 8俵取り ・昔は、麦も作っていましたが、今は作ってないようです。 米の保存の仕方について ・米は、米がんがんと呼ばれるブリキの米びつみたいなもので保存 していたそうです。 1994年の大干ばつについて ・1994年の干ばつでは、被害はある所と無い所があったらしい です。被害はそれでも最小限におさえています。その理由は、た め池にあります。小さいため池などは、やはり枯れてしまったそ うですが、樋の谷のため池は、湧き水なので枯れなかったそうで す。それを使って、週に一度、水を流して田んなかに入れていた そうです。しかし、その水が流れなかった田んなかは被害があっ たようです。30年前にこのような干ばつがあれば、どうなって いたのかと、聞いたら樋の谷のため池があるので、その頃でも、 大丈夫であると言われました。 |