歴史と異文化理解A 現地調査レポート

調査者
入江 毅
尾上 周平

調査先 佐賀県伊万里市波多津町浦

話しを聞いた方
杉本 茂助   昭和5年生まれ
酒谷 新    大正13年生まれ

しこ名(カタカナ)一覧

小字餅ノ木のうちに モチノキ(餅ノ木)
フカウラ(深浦)
ナカノオクチ
オオヒラ(大平)
小字辻のうちに ウーゼ
ウーゼノウラ(ウーゼの浦)
ホンダ(本田)
タニノウラ(谷の浦)
小字五本松のうちに エビス(恵比須)
エビスザキ(恵比須崎)
シモ(下)
小字柳谷のうちに ナミウラ(波浦)
カミ(上)
ヤラブナ
小字古木場のうちに ドロンガミ(ドロン神)
イシガミ(石神)
ホケンダニ(ほけん谷)
小字浜新田のうちに イビノクチ
ナカドオリ(中通)
ナカゼ
ウラガタ(浦潟)
モリサキ(森崎)
小字郷ノ浦のうちに ゴウノウラ(郷ノ浦)
小字猿神のうちに シンマチ(新町)
小字野林のうちに シモノバヤシ(下野林)
ナカノバヤシ(中野林)
   カミノバヤシ(上野林)
小字永田のうちに アタゴ(愛宕)
ナカマチ(中町)
小字高尾のうちに タカオ(高尾)
小字中倉、小潟の浦のうちに 不明 


   しこ名についての説明  
       
ナカゼこの地域での数少ない田があった場所で今では田もなくなってしまったが、干拓地にできた田だったので、昔は田の他に潮遊びがあって潮がひたあと、そこではうなぎやえびがとれたので杉本さんたちはよく遊んでいたそうです。
イビノクチナカゼにあった樋門のこと。
エビスザキこの場所に恵比須様がまつってあったためにこの名前がついたらしい。いまでもここで大漁祈願がおこなわれている。


村の水利と水利慣行について

波多津町浦では、昔、水を井戸水から補っていた。食事に用いる水や飲料水は、山手の井戸によって補われ、風呂や洗濯に用いる水は、平地の井戸水によって補われていた。この地域では山手の井戸水のことをウエンカワの水、平地の井戸水のことをシタンカワの水と呼んでいたそうだ。また、山手の井戸水を汲みにいくとき、とても長い距離の山道を登っていかなければならなかったので、とても苦労したそうだ。
また、この地域の水道水の塩分は、他の地域よりも3倍ほど高いそうだ。


古道ほか昔の暮らしについて 

この地域の古道は、現在は県道でありこの地域を南北に貫いている道である。この道を通って昔の人たちは、波多津小学校へ通っていたそうだ。ちなみにこの地域を東西に横切っている国道204号線は、昭和45年頃に開通したそうだ。 
この地域では、農業による収入はほとんどない。昔からずっと漁村である。漁による収入のほかには、魚介類の加工であった。


   岬や潮などの名前について

この地域にとって重要な岬はエビスザキである。この場所にまつられているエビス様は、大漁祈願の神様であるそうだ。今でも年に1回、大漁祈願を祈るための催しが行われているそうだ。浅瀬にはウーゼの浦があるが、この浅瀬についての詳細は明らかではなかった。潮には次のような名前がついていた。東シナ海から日本の方へ向かってくる潮をノボセ、逆に日本から東シな海の方へ向かっていく潮をサゲと言っていたそうだ。 


          この地域で取れる魚介類について

まず、この地域に面している波多津漁港及びその近海でよく取れるのは、イワシ、チヌ、タイ、クロイオ、テナガダコなどである。また、今では絶滅したが、干潟ではオニガイが取れていたそうだ。
この地域では、養殖も盛んである。特にブリ、ハマチの養殖が盛んである。他にはエビ網漁、さらには、沖まで漁にでるとアジ、サバが取れるなど、この地域では様々な漁が行われていた。 


この地域の漁法について

     この地域で昔よく行われていた漁法はキンチャク漁というやり方で、灯船とゆう明かりを灯して魚が集める船がまず魚がいそうな所へいって、そこへ最低二艘の漁船が灯船のまわりを囲むようにして網をはる。はられた網には下のほうに針金が通してあって針金を巻き上げると下のほうの網はしぼられて魚が逃げにくくなり、そこでまきあげる。他にはタイアミ漁というやり方で網の上のところに魚を脅す道具がついている網を浅瀬の近くにはる。魚は水深の深い所へ逃げようとするのでおどしで浅瀬へ追い込んでそこでまきあげる。


漁の悩み

   この地域は上記で述べていることから考えてみると良い漁場のように思えるかもしれないが、実はそうでない部分もある。その中でも最も深刻なことは、この地域には良い漁場が少ないことだ。そのため漁師たちは、周りの町や村の領海で漁をさせてもらわなければならない。その中でも隣の長崎県福島町によく漁に行っているそうだ。しかも、高い入漁料を払わなくてはならないのでこの地域の漁師たちは悩んでいるそうだ。