歩き・み・ふれる歴史学 現地調査レポート

竹俣 佳世子
立石 麗

1998年6月28日 佐賀県伊万里市波多津町筒井

話者:
古川 功さん(75歳)、
市丸 幸男さん(64歳)、
奈良崎 稔さん(62歳)、
古川 秀夫さん(82歳)、
宮口 虎太さん(59歳)

字名しこ名
岩ノ本のうちにテンモト、
イワモト(岩本)
境松マタイダ(又いだ)、
カンバル、
アラコ、
ヨコマクラ(横枕)、
サカイマツ(境松)
川田カワダ(川田)
流石イワモリ(岩森:コウモリがたくさんいた)、
ドウデ
加倉谷カクラダニ(加倉谷)
竹ノ下タケノシタ
下原アメフリザコ
上戸平デンウチ(殿内)、
ジョウゴヘイ(上戸平)
一ノ谷イチノタニ(一ノ谷)
本通タンカンマエ、
サク、
ホンドウリ(本道)
小峠ナミゼ、
ハルベタ、
カンジャベタ、
コトゲ(小峠)
楠木谷クスノキダニ(くすのき谷)
鷹巣チイゴミ
後筒井ウシロヅツイ(後筒井)
磯道イソミチ、
ドウイデ
兜岩クリヤマ
原田ハルダバル(原田原)

他の字名:観音土井、中道、押田平

* だいたいしこ名は、そこにある遺跡の名前からついた。
* 田の名前は、字名でも呼ばれている。
筒井の歴史

 筒井という地名は、150年前に筒井順慶という人が上戸(字名)に住んでいたことに由来する。昔はこの辺りは長崎県であったが、明治初期に廃藩置県の関係で佐賀県となった。
 順慶は大和郡山上戸城主で、波多三河守の家来であった。(波多津町という地名は、波多三河守にちなんでつけられたのではないだろうか。)順慶は昔、岩森の所で大蛇が出たときに、だれも手が出せなかった大蛇を退治した勇敢な人ということで、現在も田嶋神社の境内に大蛇を巻いた順慶の絵がまつってある。
 境内の横にはかつて「順慶松」と呼ばれた大きな松があった。しかし、昭和20 年頃台風によって倒れてしまい、現在はなくなっている。

ごりんどう様

 豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、名護屋城に立ち寄った。その時秀吉は、非常に美人であった波多三河守の妻に恋慕し、城に呼び寄せた。波多三河守の妻はいざという時のために、短刀をしのばせて行っていた。その短刀を見つけた秀吉は激怒し、波多三河守を左遷させ、この辺りの多くの人を殺した。その時殺された人々をまつって筒井の周辺には多くのごりんどう様があるそうだ。

きょうじゃ(姉弟)仏

 昔、他の村から逃げのびてきた姉と弟がいた。しかし、原田(はるだ)の辺りで力尽き、二人とも亡くなってしまった。その二人の霊をなぐさめる為に、きょうじゃ仏がたてられている。

ろく地蔵

 300から400年ほど前から田嶋神社にあった。しかし、ある日突然心ない者によって持ち去られて、なくなってしまった。  現在は、また簡単なものを作って祭っている。8月24日には毎年地蔵祭りが行われている。地蔵には杉の葉で化粧をし、盆踊りなども行う。しかし、その地蔵祭りも、若者の減少とともになくなりつつある。

せいそう会

 38歳までの青年によって構成されている。これは、80年前ぐらいに発足した。当時、村ではとばくが流行しており、それを戒めるためにつくられた。

 毎年3月第3日曜日に敬老会が行われていたが、年々せいそう会の人数も減り、今年からはできなくなった。

猪子(いのこ)

 「猪突猛進」という言葉のように、子供が素直でまっすぐ育つようにという願いが込められたお祝い事である。生まれて初めての10月の亥の日(旧暦11月の亥の日)に行われる。学用品を贈ったり、ごちそうを食べたりして祝う。しかし、このお祝いは昔から長男に限って行われており、次男や娘では行われない。現在でも伝統的に続けられている。

三岳山

 三岳山は井野尾にある山だが、昔から筒井の人々にもとても親しまれてきた。
 現在の波多津東小学校の分校が昔あった。その分校の校歌には、
「みたけのさんかに破裂して、上戸の上司をせなにおい、幾百年の誇りにして…」
と三岳山が歌われていた。
 三岳山は234mで、非常に良質の鉱石がとれる。そこで、企業が採石場にするために山を買収することになった。
 自然の宝庫である三岳山の保護を村人達は訴えたが、筒井の山ではないために、買収は止められなかった。

 私たちが筒井を訪れた日は、ちょうど田嶋神社の夏の大祭の日であった。そこで

 田嶋神社について詳しくお話を聞かせてもらった。

田嶋神社:総本社は呼子町加部島の田嶋神社
波多津郷の神社。戦前村社3か社は

・ 筒井……田嶋神社:創建不明
・ 畑津……田嶋神社:創建建武元年
・ 板木……田嶋神社:法行城鎮固のため創建

である。
 田嶋神社では、春・夏・秋・年越しと年4回大祭が行われる。夏の大祭は、夏の病気をしないようにという意味が込められている。境内には順慶の絵の他に、出征軍人の無事を祈願した絵がある。絵には、「悪病除願成就」と書かれていた。

 田嶋神社が波多津郷にある理由は、加部島の田嶋神社を守り神としていた部族と同一系統の人々が波多津に住み込み、先祖が祭る神と同じ神を波多津に移して祭ったようである。

田嶋神社の女神の神歴

 天孫ににぎ命が高天原より豊葦原水穂国(日本)に降臨される時に道案内と途中安全をなされた神である。このことによって、三女神は海上安全の守護神と崇められている。とりわけ、玄海灘を渡る際の安全に関しては、朝廷や豪族から崇敬されていた。

丑神様

 丑神様は一ノ谷にあり、年一回部落中でお参りが行われる。

行動記録

 8:15  九大六本松キャンパス本館前集合

 8:30  バス出発

10:25  筒井に到着

11:15  第一村人発見

11:30  老人会会長・古川 功さん宅でお話をきいた

12:00  広場で昼食

12:30  市丸 幸男さん宅でお話をきいた

13:30  区長・奈良崎 稔さん宅を訪れるが、外出中。おばさんに「田嶋神社で        お祭りがあるから、そこに行って。」と言われた。

14:00  田嶋神社に集まってきた村人に、少しずつお話をきいた

14:45  宮口 虎太さん宅で、宮口さんと古川 秀夫さんからお話をきいた

15:00  田嶋神社で夏の大祭開始

15:45  神社境内に上げてもらい、中を見学した

16:40  バスに乗車

18:45  六本松キャンパスに到着、解散

感想

 現地調査をしたのは今回が初めてだったから、出発する前は少し不安だった。筒井に着いて、小学校を目印にして地図で位置確認をしたが、道に迷ってしまった。後の調査でわかったことだが、平成10年4月から小学校が新しい場所に移ったそうだ。やっぱり昔の地図に頼り切ってしまうのはよくないと思った。13:00頃は、まだそんなに調査できてなかったから焦りを感じていたが、神社のお祭りの準備で集まった村人にたくさん話をきいて、調査がはかどってよかった。
 筒井は水田がたくさんあり、水路も発達していて、絵のような風景だった。こんな自然が、これからもずっと残されていけばいいなと思った。歩き回って疲れたが、とてもよい経験になった。
竹俣 佳世子


 私は今回のような調査は初めてしたので、見知らぬ人に突然家を訪ねていろいろなことを聞くのは、非常に大変なことだった。初めはなかなか思っていることが聞けず本当に情報を集めることができるかどうか心配だったが、その後は順調にいった。
 準備の段階ではしこ名といわれてもいまいち理解することが難しかったが、現地の人に聞くとようやく意味がわかった。その田を耕している人がよく呼んでいる名のようだったので、他の人の田のしこ名はあまり知らないようだった。今はかなり圃場整備が進み、昔の田がなくなっているため、現地の人に持っていった地図を見せてもわかりにくいようだった。「本当の筒井の歴史やしこ名を知りたければ、昔の地図じゃないとだめだ。」と言われた。確かにそうだと思った。歩いていると、田ももちろんあるが、その中でもビニールハウスに変わっている田が目立った。
 私が調査中に一番驚いたことは、若い世代の人々がしこ名などを全く知らないということだった。若い世代といっても40代から50代の人でも知らないのである。やはり、しこ名などは忘れ去られてしまいつつあるのだと確信した。  今回の調査で、しこ名などが人々の記憶から消える前に記録できたことはとても良かったと思う。もうしこ名は若い世代では消えていくが、筒井の美しい自然はいつまでも消えなければいいと思った。
立石 麗