歴史と異文化理解A 提出レポート 村の名前:波多津町辻村 話者:波多夫妻 酒谷 新 大正13年生まれ 調査者:清澤 崇 海老名 亮彦 しこ名一覧
辻は、北部は弁賀、平串、東部は大園、そして私たちが訪れた南部の本辻で構成されている。本辻は、小さな段々畑や豚舎がある。この名前からもわかるように、おそらく本辻をはじめとして辻の集落ができていったと思われる。この漁港は、湾を埋め立てていって、造られているために、この漁港の周りは他の地域に比べて、住宅が集まっている。 村の水利 私たちが訪れた家のまわりには、5軒しか家がなく、また、山の上であるため、市の水源とは別で、20年くらい前に、ボーリングをして生活用水を山の上までくみあげていた。それ以前は雨水を使用していた。こ の雨水は、貯水池を作り、砂などでろ過してためていた。現在でも、それは使用されている。谷には井戸水があり、それをかついで使っていた。したがって、干ばつのときは、特に対応策がないため、田んぼはかれっぱなしだった。 村の道 私たちが訪れた波多夫妻の家のうらてには、古道かどうかは、はっきりしないが、生活するうえで必要な道があった。この道はくさむらを足で踏み固めているため、近づかないと気がつかないほどのものだった。 昔の水争いの有無 先ほど延べたとおり、山の上には5軒しか家がないため、争いごとは極力避けようとしていたため、特に目だった争いごとは起こらなかった。 村の行事 私たちが訪れた家の裏手には、かなり大きな石碑があった。それはどらん神様と地元の人たちには呼ばれているものだった。これは、かなり昔からあるのだけは確認できたのだが、正確にいつ建てられたのか、また誰が建てたのかは地元の人たちにも、まったくわからないということだった。そして、もう一つ阿弥陀様というものがあって、これは戦で落ち武者となったハタミカミノカミがこの地方に流れ着いて、それを弔うものとして祭られているらしい。今ではちゃんとした社に納められている。そして現在では毎月17日に地元 の人々、特に老人クラブの方々がお参りしている。 この地域の漁業について この地域にある波多津漁港、そしてその近海では、きす、はまち、鯛、小鯵、鱸、チヌ、鰯、などがよく取れる。また、この地域では、養殖も盛んである。代表的なものとして、はまち、ブリ、などがある。そして、波多津町辻村の上の地域では、真珠の養殖もおこなわれている。以前は地元の人たちが中心となっておこなってきたが、現在では、タサキ真珠、ニシムラ真珠などの大手の業者がおこなっている。地元の人もわずかだが働いているらしい。 この地域の漁法について この地域の地元の人たちにとって、なじみのある漁法として、キンチャク漁法というものがある。これは、網の底のほうに魚を追い込み、網をしぼりこむと魚が逃げられなくなり、そこで網を巻き上げて捕まえる。その時の網の形がキンチャク袋に似ている所からこの名前がついたらしい。 一日の行動記録 8時15分集合 8時30分出発 11時バス停郷ノ浦で下車 12時20分波多夫妻を訪れる 14時酒谷 新さんを訪れる 16時40分バス停波多津で乗車 19時六本松到着 感想 今回の調査では、辻村を調査する事になった。事前に地図を作成したり、住宅地図を準備したりしたが、実際、現地を訪れてみるとかなり迷ってしまった。訪れた家でも、12時に訪れると事前にその旨を伝えていたのだが、先方は家にいなくて、非常に困ってしまった。12時20分にようやく会える事ができて、ほっとした。辻というところは実際はとても広くて、私た ちが訪れたところは、本辻というところであって、すべての範囲を調べるのは非常に困難であったため、調査が不十分で終わってしまった事が残念でならない。だが、この調査で、地元の人々の心の温かさをとても感じた。 |