波多津町木場

(話者:松下 初男 <大正11年4月3日>
  松下 用助 <大正5年10月2日>
調査者:原田 尚志 前田 知志 )

字 :

1 長峰(ナガミノ) 2 三十六石(サンジュウロッコク)
3 大坪(オオツボ) 4 大西(オオニシ) 5 中田(ナカダ)
6 藤原(フジワラ) 7 古川内(フルコウチ) 8 長坂(ナガザカ)
9 山鳥(ヤマドリ) 10 清水(シミズ) 11 西山(ニシヤマ)
12 葉山(ハヤマ) 13 唐獅子(トウジシ) 14 崩岩(スズレイワ)
15 権現山(ゴンゲンヤマ) 16 大平(ウービラ)
17 カンネが坂(カンネガサコ) 18 ウトン谷(ウトンタン)
19 松屋(マツヤ) 20 大畑(ウーバタ) 21 小山(コヤマ)
22 地蔵前(ジゾウマエ) 23 貝田(ケァーダ) 24 平松(ヒラマ)
25 松端(マツバンハナ) 26 下前田(シモマエダ)
27 上山田(ウエヤマダ) 28 下本谷(シモホンダニ)
29 女太郎(オナタロウ)


しこ名 :

長峰=ナガミネ 大坪=鋤先、鍬田 中田=神田 藤原=後山
古川内=藤原 長坂=ナガサコ 山鳥=立石 清水=前田
西山=城の内 (城の形があったから。)
葉山=溜中 (古溜め池があるから。)
大西、大坪、藤原=開田 (ヒラキダ)
権現山=権現山 (権現山にいる神の名前)
カンネが坂=カンネが坂 (ここでカンネというのは河童のことである)
ウトン谷=ウトン谷 (うっとうしい谷だから。)


川・水路

@行合之川  (イケヤノカワ) = 女太郎川から
A 猿間川  B無蓮川 C後山川
B 岩群川 (水路:新溜めの水を用いて作った。)
C 小山川


草切り場
藤原 ・ 西山


米の保存
倉庫が貯蔵庫。 戦時中(各自の家で保存)


村の過去
蚕、タバコ、お茶などの商品売買によって生計を立てていた。
安産岩を売っていた。


昔の田
ほとんど乾田(山水のみで制作。肥料は野草を用いていた。)
そこで水路を整備して湿田になった。


昔と今とで変わったこと
昔は徒歩だけが交通手段であったが、いまでは新しく道路が舗装され、自動車やバイクなどを用いることによって唐津市内などへ買い物や通勤が便利になった。そのために若者の都市部への流入が激しくなり若者の人口が減っているそうだ。 気候が昔より暖かくなった。


普段の生活
ゲートボール、留守番といったのんびりとした生活をしておられた。
自然に囲まれてとても住みやすそうなところだった。


木場での行事
むかしは、10月18日(収穫の時期)に豊作祭りというものをやってこの一年の豊作を神に感謝していた。いまではその日にみんなでお参りするだけになっている。


むらに起こる天災
村では、昔は、地滑りによる天災に悩まされていた。
いまではきちんと道などが整備されそのような天災はおこっていないようだ。


感想
今回現地調査をして率直な感想は思ったより大変だった。まず第一に地図のことである。僕達のチームは、5000分の一の地図が半分ぐらいしかなかったので、とても苦労した。だからとりあえずおとしよりのはなしをきいて分かったものは住宅図にまとめてみた。 第2に老人とのコミニケーションについてである。僕達はもともと九州の人間ではないので、佐賀弁についていくのにとても苦労した。何度か聞き直す場面も多かったので相手に迷惑をかけたかもしれないので少し反省しなければならないと思った。しかしだんだんと会話をしていく内に慣れてきて、最後にはいろいろと世間話なんかもしていた。 第3に不慣れな土地に行ったことである。行く前に自分たちが予想していたよりもずっと田舎で会ったのでとても苦労した。道がわからないので聞こうとおもっても、人がなかなかいなかったりしたり、連絡を取るのにとても苦労した。 けれども良い点も、もちろんあった。中でも一番は現地の人と交流できたことである。福岡市内出でいるとこういった機会はなかなかないものである。だから今回の現地調査はとてもいい体験となった。ぼくらがはなしをきいたひとは、とてもよいひとでいろいろなおもしろい話を聞かせてもらった。例えば、しこ名で“うとん谷”というのは、うっとうしいからそういう名前がついたらしい。 最後に今回の調査はメインは、田のしこ名を調べるものだったが他にもいろいろなことが学べて本当によいものだった。もしまた、このような機会があればまた参加したい。
前田 知志



感想
今回、現地調査を行ってみて、老人の人と向き合って真剣に話をするのは、今までにない経験でした。佐賀の方言はわかりにくかったけど、松下さんは、快く接してくれて僕たちのレポートの手伝いを一生懸命してくれて本当に感謝しています。昔の文字や、しこ名などを聞いて、けっこう単純に決めているところがユーモアがあって、よかったです。山や川や田までも名前をつけていてそういった名前を知っているのは松下さんのような、年輩の方しかいないときいてこの調査の意味が始めて分ったような気がします。字はこれからも残して行ける資料があったけど、しこ名のほうは、突発的に考えたようなものが多いので、他の老人に聞けば、もっと出てくると思います。森林に囲まれていて、空気もきれいで、とても住むのには最適なところでした。 コアの歴史と異文化Aで6月28日に行った人達の様子を聞くと目的地までが片道2時間というものすごい距離のところまで調査している人もいれば、僕たちのようにほんの10分で、つけた人もいた。僕たちは早く着いたために調査もそのぶんはやく終わることができた。僕たちのところのご老人は昼ご飯に家に招いてくれて、お茶をごちそうしてくれました。ちょっと人間の優しさを感じたような気がしました。山に囲まれたあの風景を見たら誰もがほっと一息を着きたくなるような開放感に満たされます。ぜひまた佐賀へ訪れてみたいです。
原田 尚志