第18回角川源義賞受賞著作・推薦のことば(受賞パンフレットより) 『景観にさぐる中世』 大山喬平 長いあいだ伝えられてきた日本の耕地にはさまざまな固有名詞がつ けられていた。服部氏は耕地の名称を各地で調査するうちに「みそさ く」あるいは「ようじやく」など意味不詳の地名が、じつは地頭など中 世在地領主の直営田である「御正作」「用作」にほかならないことに 気づく。服部氏は東国各地、上野・下野・下総・常陸・甲斐の「みそ さく」、西国では防長二国の「ようじゃく」など多数の地名を蒐集し、そ れらの一つ、一つについて立地や水路、土壌の観察を行い、それらが 用水路にたよる乾田と日照りに強い強湿田との組み合わせからなって いたことを導きだした。それは中世農業の水準を考察する大きな手が かりとなった。正作田にとどまらない。満潮時に逆流をはじめる淡水 (あお)を利用して耕作される筑後川低平デルタ地帯の荘園。播磨福 井荘の古文書にみる樋守を現地に尋ねて、それが中世以来近年にいた るまで瀬戸内の潮浜干拓水田を囲む堤防の樋門を日に二度づつ開け閉 めし、排水を行ってきた水番の樋守であったことをつきとめるなど、 氏の研究は古文書の簡単な単語の意味を探って新鮮である。 本書は地名研究の豊かな可能性を多くの実例によって示した大著で あり、日本中世史研究に新しい領域をもたらした。服部氏が各地の荘 園故地で蒐集し、巻末の地図に表現した通称地名は将来の研究のため の貴重な財産をなしている。この研究は文化庁に勤務した著者の個人 的努力によつてなしとげられた。しかし昔の耕地と地名が急速に失わ れている現在、こうした研究に残された時間はおおくない。個人の作 業量だけではとても追いつかないというこの学問の置かれたきびしい 状況もまた本書の語ってやまないところである。