農村・山村を歩いて考える

1LA97272 山口浩樹

前田豊さん(大正15年生まれ)

しこ名一覧 ヒラショウヅ・ニタダ・マエダ・ヤクシノマエ・ミヤンマエ・カワルダ

 

田畑

小字田久保のうちに

ヒラショウヅ(平昌津)・ニタダ(仁多田)

小字牛倉のうちに

マエダ(前田)

小字前矢倉

ミヤンマエ(宮ン前)・ヤクシノマエ(薬師の前)

小字下馬のうちに

カワルダ

宮口ミツヨさん(昭和2年生まれ)・宮崎サツキさん(大正3年生まれ)

しこ名一覧 スゲムタ・ナルコウラ

 

田畑

小字成川原のうちに ナルコウラ

小字菅牟田のうちに スゲムタ

 

有尾秀雄さん(明治45年生まれ)

 

〜一日の行動記録〜

 バスから降りたところから、当日に調査するべき場所まで、距離的にも、道の険しさから言っても非常に厳しく、行きは2時間ほどもかかった。しかしだれもいない山道を一人PHSについているラジオを聞きながら歩くというのはとても爽快だった。しかし、ものすごい強風のため地図は見にくいし、ひいていた風邪がぶりかえし、頭痛と寒気にさいなまれながらも雑貨屋へ向かった。

ちょうど昼頃に枝去木についた。はじめは昼食を買いに雑貨屋さんみたいなところに行った。そこで店員のおばさんに誰か昔のことに詳しい人はいないかと尋ねたところ、ちょうどその日が公民館の大掃除だったらしく、公民館に行けばだれか詳しい人のことが分かるのではないかといわれ、行ってみた。公民館では78人の中年女牲と23人の子供たちがいた。そこで詳しい人のことについて聞いたところ、前田豊さんについて教えてもらった。

 前田さんのお宅につき、話を聞き始めたのがちょうど1時ごろだった。前田さんは大正15年生まれの元気な方だ。私の祖父も同じ年鈴だがそうは思えないほど若く見える。前田さんは私が予想していたよりも早く私がなにを聞きに来たのかを理解し、また、地図もすぐに理解してくれた。

 前田さんはすらすらと45個の字名とその場所を地図に指さしていった。そのあといくつかを思い出したかのように教えてくれた。

 そのあと、前田さんの住んでいる集落の水源について聞いた。その集落の水源は主に湧水であるということだった。4年前の干ばつの際に影響があったかどうかを聞いた。

現在その集落には国営パイロット事業で付近の川(有浦川か上村川)からの配管がされてあるらしく干ばつの影響はほとんどなかったということだった。配管の整備によって漏水もなくなったということだった。また、昔干ばついで水不足になったときも水源争いはなく、泣き寝入りをしていたという。

 道路についてお話をうかがったところ、田んぼや畑の中に里道があるという。里道はその辺りに縁のある人が自由に通ってもよいという地図にも載っていないような細かい道だそうだ。その道を共有することによって作物や肥料の運搬などを容易にするということだった。・また里道には税金がかけられないということも言っていた。

 そのあと前田さんのお宅から出て、公民館の人に山道までの行き方を教えてもらって山道へ向かった。時間は1時半過ぎだった。

 山道では、道端で雑談をしていた3人のおばあさんがいたので何か知っているかもしれないと思い、話しかけてみた。そして事情を話してみると、2人のおばあさんが昔のことについてお話を聞かせてもらえることになった。

 字については、よくわからなかったようなので登録されている字の書いてある地図を見せ、もっと細かい呼び名はありませんかと聞いたが、実際は登録されてある字を−般的な呼び名として使っているようだった。いくつか変わった呼び名を教えてもらった。おそらく登録されている地名の訛った読みだろうと思ったが、参考になるかもしれないと思ったので十応書き留めてみることにした。またく枝去木で教えてもらった字を見せたところ、それでも登録されている呼び名のみを使っているようだった。

 山道の人々が使っている水源について聞いたところ、スプリンクラーを使っているそうだ。また各家庭には井戸があるそうだが4年前の干魃のときに井戸が枯れた家庭もあったらしく、それをきっかけに水道を引いた家庭も多いことを聞いて驚いた。なぜならわたしは普通各家庭には必ず水道が引いてあり、それを補う形で井戸が今でも使われているものだと思っていたからである。このことからもわかるように4年前の干ばつの影響はとても大きなものだったそうだ。干ばつによる被害を受けやすいことからもわかるようにもちろん水源争いもあったそうだ。しかし最近では昔水源争いがあったせいで水源が確保されるようになったそうだ。

 おばあさん達にお礼をいって馬部に向かった。時間は2時半を回っていた。時間がなかったので馬部についてからすぐに草刈りをしていたおじいさんに字のことを尋ねてみた。しかしおじいさんは山道のおばあさん達と同じく登録された地名で呼んでいるらしかった。

 水源について話を聞いてみた。4年前の干ばつの影響はなかったという。馬部はこの一帯でも特に水源の豊富なところらしく山道などのように井戸が枯れるなどということもなかったということだ。だから、もちろん水源争いもなかったそうだ。

 あまり許しい話は聞けなかったが、時間がなくなっていたのでバスの待ち合わせ場所に向かうことにした。

 以上が私の1日の行動記録であったが、今回の調査を振り返って、改めて昔のことを調べることに対してものすごく大変な労力がかかることを実感した。しかし、現地の人々とのふれあいや、自然とのふれあいは日常生活では味わえないすがすがしいものがあった。いつかまた機会があったらやってみたいと思った。(体調のよいときに)



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