【藤津郡嬉野町丹生川】

歩いて歴史を考えるレポート

佐藤知之(1EC99063)ほか一名  

(嬉野の地にて)

私たちは「歩いて歴史を考える」の講義の一環として嬉野に訪れることになりました。嬉野のイメージというとやはり温泉が思い浮かんできますが、実際どんなところであるかは一度も行ったことがなかったのでわかりませんでした。

私たちの割り当てられた地区は丹生川だったので書き留めておいた生産組合長のご住所をもとに手紙を出し、お電話をさせていただいたのですが、年配の方がでられて佐賀弁で話され、私は出身が熊本なので少しは解かるかなと思っていたのですが全く聞き取れず相手の方にご迷惑をかけてしまいました。これで現地に調査に行った時ちゃんとできるのだろうかと正直のところ不安になってしまいました。しかもその生産組合長の方がお仕事でどうしても720日は都合が悪いということで訪問ができない、ということになり私たちは当日、アポなしで手当たり次第で地域の方のお話を聞かなければならないという状況になりました。この際、まあなんとかなるかあといった気持ちで私たちは当日をむかえました。

バスから降りたところはとてものどかで静かな場所でした。コンビニなどはなかったのですが予想はしていたのでとくに驚くことはなかったです。私たちが調べる丹生川は降りた地点から意外に遠く、しかも坂で大学生になりあまり歩かなくなった私たちにとって、少しきっかったです。

家が集まっている場所に着いたので私たちは早速聞き取りを始めました。しかしその日は非常に暑く、祝日ということもあり外に人がいない状況でした。そこで私たちは突然で失礼と思いつつも住宅地図をみつつ手前のお宅から一軒ずつ訪ねることにしました。

「私達は九州大学の学生ですけど、このたびこの嬉野の歴史を勉強しにやってきました。そこでお時間がありましたらこの土地のことをおききしたいのですがよろしいですか?」というフレーズをあらかじめ用意し二三回練習して訪問しました。

一軒目のお宅では70代半ばぐらいのおじいさんが出られたのですが、突然であったし私たちの言葉がおぼつかなかったので戸惑われ、お話を聞くことでできませんでした。

次にたずねたところでもやはりわからないということで、アポなしは難しいものだと実感しました。今日はちゃんと調べ終えてかえられるのだろうかという気分でした。十軒ほどたずねたのですがお話をきくことができませんでした。

ようやくこの土地に詳しい方を紹介していただいたのでそのかたのお家に行き、お話を聞くことが出来ました。お昼の時間でとても失礼だったのですが、丁寧におしえていただきました。

 

教えていただいた情報。

村の名前丹生川(たんじょうがわ)

しこ名

ミヤノマエ

ミヤノシタ

ミヤノウエ

ヤマサキ

ツガニアザ

アンノシタ

オチコバアザ

テップイシ

ヒラバル

メオトイシ

山の名前

ハセミヤマ

イワシタヤマ

村の水利

川から水を引く。田んぼに近い水路から引く。

村の発達

・電気は80年ほど前から通っている。ガスは昭和に入ってから。それまでは薪で生活をしていた。

・米の保存“メメ”に預けた。(そう聞こえたがよくわからない。話の途中だったので聞き返せなかった)

・少ない人間で大きな土地だとより多く米をとられた。

村の動物

牛が一頭いた。大村まで引っ張っていっていたらしい。

昔の若者

不動山から茶摘で若い女がきていてその娘たちと戯れていた。

昔の慣行

宮掃除(丹生神社)をしていた。朝から全員で、盆前や正月の時など。

まつり

丹生まつり。トオラカシ。すいかわり(シイカワリ)などをしていた。誰でも参加できていた。

耕作

・焼畑を行っていた。ハラーヤと呼んでいた。その場所に胡麻やイモンコなどを作っていた。

・お茶摘みのときは不動山から340人ほどの娘がきていた。

 

もっとたくさん教えて頂いたのですが佐賀弁についていけずこの程度しか闇き取ることが出来ませんでした。残念でした。

・それからも調査を続けたのですがうまくいかず、紹介されても同じ方だったので先に進まず、私達はいったん休憩のためもとの場所に戻りました。お茶を買い休憩をし、また調査を開始したのですが、なかなか思うようにはいかず、炎天下の中歩き疲れたこともあり私たちは調査を終了しました。もっとたくさんの方からたくさんのことをお聞きしたかったのですがやはり突然の訪問だったのでこれ以上きくことができず、とても残念でした。

 


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