【西松浦郡有田町古木場】 現地調査レポート 羽生崇一郎1AG98176 具志堅豊1EC98200 都合によりアポをとることができなかったので、当日、現地の方に話を聞いたので、名前、住所は伺えなかった。 1、しこ名 古木場 ・やました:古木場橋付近の田 ・わらこえ:やましたの奥 ・まるたはら ・むた:一部が盛り上がっている土地 ・ほんがわち:ダム周辺の田 2、用水路について 井手についての役割は聞けたが、ひとつひとつの名前まではよく分からなかった。現在はコンクリートで整備されているが、昔は石垣でつくられ多岐に分散していたらしい。 3、村の耕地 下に位置する戸矢のほうが、収量が多かったようだ。古木場は山の間に位置するために土、水の便もあまりよくないということである。 4、村の発達 村の全てにガス、水道が完備されたのは10年くらい前らしい。それ以前は一部の家だけで、古木場は周りより少し遅かったらしい。昔はタキ(マキ)を利用していた。また電気が行き届くまでは、ランプが主に使用されていた。 5、村の生活に必要な土地 古木場は周りがすべて山で、タキ(マキ)に使う木材は豊富であり、山から遠い村に売っており、それが現金収入のうちのひとつであったようだ。 6、米の保存 米はカン(高さ3メートルぐらい、床下から50センチほどあがった、足のついた幅1メートルの容器)に入れて家族で食べていたらしい。これを保有米と呼んでいた。 7、村の家畜 主に農作業用としての牛を飼っていた。昔は、すべての家にいたわけではなく、借りていた家もあったようだ。また、ばくろうと呼ばれるひとが、村に訪れては牛を売っていたようだ。 8、村の道 昔は道が整備されておらず、隣町まで行くのに山を越えなければならなかった。現在でも山道として残っており、しばしば利用されるようだ。魚や魚介類などは、佐世保から有田町ま で運ばれて、そこまで買いに行っていたようだ。 9、昔の若者 子どもが10キロ以上も離れた学校に通っていた。また、家の手伝いをすることが多く、遊びとしてはビー玉、めんこなどであったようだ。そのほかに金山の中腹で水晶がとれた らしく、とりにいっていたようだ。これは、金山で有名だった古木場だけのことらしい。 10、村の祭り 【山登り】 6月1日に厄入りし、観音山のうらで酒を飲んだりしていたようだ。これは1年の半分を陶器を売るため奉公に出ているために、息抜きのために行うものであり、6月というのも、1年のちょうど半分だからである。 これは、焼き物で有名な有田町ならではのことである。 【祇園】 これは一般に言う夏祭のことであり、7月24日に行われる。地区によって日にちが違い、夏は続けて夏祭がおこなわれる
【供日(くんち)】 10月17日に行われる、神を崇める意味がある。これは豊作の神に対して感謝する意味が ある。 【さんやさん】女性だけが金山に登り、月天杜というところを訪れ、家族の安全や健康を祈った。(12月23日) 11、金山 江戸時代の始め頃に採掘が始まり大勢の人が訪れたが、鉱脈が弱く、産出量が少ないためにすぐに廃坑となった。位置的には古木場ダム・ため池・円山公園の付近にあり、高さが300メートルたらずの山である。廃坑はしたものの、金の町として近代まで栄えた。 この金山には〈まぶ〉とよばれる鉱山の穴があり、いくつもあったが、実際に金を採掘できたのは数少なく、廃坑の後は子どもの遊び場となった。なお、金山で栄えていたころ、円山周辺には遊女の町があり、その名前は長崎の遊女街の丸山につながるとされている。 地元の人はこの遊郭のことを、通称〈化粧町〉とよんでいた。 【感想】 佐賀県の有田町と言えば誰でも聞いたことがあるぐらい有田焼で有名な所であり、僕らも田んぼや畑などあるのであろうかと正直思うところがあった。しかし到着してみるとそこは確かに陶器の町であるのだが、奥に進むにつれ田んぼや畑が見えてきた。このとき思ったことは有田とはこんなに田舎だったのかという感じだった。 町役場の前で降り、古木場の方へ向かった。道のりは思ったよりも遠く1時間ほど歩いた後、やっと目的地に着いた。あらかじめ地図を見ていたのと周りを見渡して思ったのだが、山に囲まれている所であった。そして、その山もなんだか岩山のようなかんじであった。 数人のご老人に話を伺った所、どうやらこの辺りは昔は金山で栄えた所だと分った。話を聞いていくうちに田んぼや畑のことだけでなく、生活の様子や昔の若者、遊郭の話まで大変貴重な話を聞く事ができた。 最初はあまり乗り気ではなかったが、やってみるととてもおもしろかった。しかし調査自体はあまりはかどらず残念であった。と言うのも、バスで乗り降りする所から歩いて往復2時間かかったのである。調査時間が足りず、もう少し調査したかったができなかったのが本当に残念である。 反省すべき点は多々あるが、やはりもっと前段階でしっかり準備すべきであった。あと要望ですが、バスはできるだけ目的地に近い所で降ろしてもらえるといいかもしれません。 |