歩き、み、触れる歴史学レポート 1LT98039 奥田 泰造 1LT98014 井上 寛文
お話を伺った方 藤森 武志さん 69歳 原田 弘司さん 69歳
村の名前 波多津町内野 7月5日(日)11時ごろ、目的地の波多津町内野に到着した。あらかじめ取っていたアポイントの時間までには、まだかなりの余裕があった。そこで、とりあえず昼食をとり、その後見晴らしのよい場所をさがして歩き回った。 約束の時間の20分ほど前に公民館に行くと、すでにお二人がいらっしゃっていた。原田さんの話によれば、以前井上が電話で伺った通り、区長さんの都合が悪い為、区長さんが代理人を頼んでいたのだが、そのひとがぎっくり腰になってしまったので、急きょ私達の相手をすることになったのだそうだ。 まず、しこ名を聞く事にしたのだが、用意した地図がわかり難いとゆう事もあったのだが村の家にもしこ名があるとゆうことだったので、住宅地図を見ながらお話を伺う事にした。
田畑 サンビヤクダ(三百田)ナンヂグチ カクシダ(隈し田) ヒトツバシノタン ナカ(一橋の田ん中)ヒルメシダ(昼飯田) ドウウラ(堂裏)
溜め池 ヒヤードコ(灰床) ザギタメ(材木溜)サカモトダメ(坂元溜)
家のしこ名 タカミ(高見) カキノキハル(柿ノ木原)シキチ(敷地) フルヤシキ(古屋敷) ニホギ(二本木) ヤオナン タニ(谷) ナカハル(中原)マツバラ(松原)ツツミノハタ ケシロ コウジヤ ウータニ(大谷) マンダ ナカンイエ(中家) クビレ
谷 ウソンダニ コウソンダニ チグロダニ タケンダニ ミズアライノタニ(水洗いの谷)
その他 ウズク/ミャギ ヨコンダイド(横ダイド)ヤマナカ(山中) ジョウノ(上野) ヤキヤマ(堆山) イロハイシ イボイシ シロコノサコ タタカリ ゴウヤ マゴダ(馬小田) ニシゴチ(西口)ゴゼカミ 馬観音山 フナガワ(船川) テンジンバル(天神原) ニホギデ(二本木手) セキドノハル(石堂ノ原)ハンド岩 ウシロゴチ カミヤマ(神山) ナカオンタン イノウエ(湯ノ上) 詳しい小字の範囲や名前は区長さんの資料を見なければわからない様だったが、しこ名についてはお二人とも大変詳しく、熱心に語ってくださった。
次に、村の水利についてうかがった。 昔は、村にある五つの溜池のそれぞれに一人ずつ溜池係りと言う人がいて、池の管理をしていたが、20牢ほど前の圃場整備によって溜池は村の共通の物となり、整備のさいの用水路工事の費用も村全体で負担したのだそうだ。そのとき、班別に金額をふたんしたとのこと。 また、溜池の水は防火用水としてもしようするため、稲を刈りおわっても水を抜く事はないそうだ。村の中には三軒ほどボーリングをして簡易水道を作った所もあるそうだ。 また水争いについてきいたところ、近隣の村と水争いをした事はないとおしやつていた。4、5年前の水不足について臥圃場整備をしたため、少し困る程度だったそうだ。 もし、4、50年前に水不足が起こつたらどのような対策をとるのか、と尋ねたところ、普適に溜池から水を流したら、全体に水が行き渡らない為、1番下にある田ん中から順番にトラクターで水を運んでいたのだそうだ。
3番目に水田によって、取れる田と、取れない田があったのか尋ねてみたところ、昔は山の上の方の田や粘土質の田ではおいしい米が取れ、三百田のあたりで取れる米はおいしくなかったのだそうだ。しかし、今ではもうほとんど差はないそうだ。 また、取れる田と取れない田との差は、8俵ぐらいだったらしい。 意外だったのが、おいしい米の取れる田の方が収穫が少なかったということだった。話の途中だが、村の山間部には、しこ名もあった「隠し田」つまり、税金逃れの為の田が、けっこうあったそうだ。その外にも、焼山とゆうのは事故死した牛を火葬していたところだったという話も聞かせていただいた。
焼畑については、焼畑はないと言う事だったが、毎年3、4日かけて野焼きをしていたそうだ。その際に、山の持ち主は山と原野の境に防火線を作る事になっていて、もしも山に火が回った場合、防火線がしっかりしていなかったと言う事で原野の持ち主が賠償する事はなかったそうだ。
草切り場は、昭和3、40年頃まではどこにでもあったのだそうだ。それらは個人名義の土地だったそうだ。しかし、その後の植林ブームで無くなってしまったそうだ。
村に共通の土地があるのかと尋ねたところ、あっさり「無い」と答えられた。
薪については、終戦直後ぐらいまでは個人の山に、冬になるととりにいっていたそうだ。 また、肥料は、昔は人糞等をっかっていたが、最近では農協をたよっているそうだ。
米の保存方法は、今では防虫加工された袋にいれているが、昔はトタンでできた十石入りの缶にいれてネズミのでない場所で保管していたそうだ。
内野では、米以外に苺、胡瓜、梨などを栽培している農家もあった。伺った話では、約60戸のうち、40戸が専業農家、20戸が非農家だそうだ。
以上の質間をしたところで、残り時間もすくなくなったので最後にお名前と年齢、住所を聞いて引き上げた。
内野は静かなところで、時々通る車を除いてほとんど人工の音が無かった。帰りのバスを待つ間、聞こえてきたヒグラシの鳴き声が印象的だった。夜になればきっとホタルも出てくるのだろう。
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