【伊万里市大川内町大山、小石原】 歴史と異文化理解A現地調査レポート 1TE98514 坂田 裕樹 1TE98582 濱田 尚平
話者:岩橋八千(ちよ)さん<大正12年生>,下平仙次さん<明治41年生> 調査地区:大山、小石原(本当は大山だけであったが、区長、生産組合長不在のため、隣の区の小石原の区長を訪ねたため)
小字:大山、昔は一の瀬村大山(ウーヤマ)と言っていた。 通称(しこ名):ムクラグカワチ(木楽川内)、ヒラバタケ(平畑)、ムクロキダニ、 ムクログチ、ワリハク(割白)、ボンサンダニ 小字:小石原 しこ名:ツヅミ(鼓)、トビヨシ(飛吉)、エンツウビラ(円通平)
岩橋千代さんの話 ヒラバタケ(平畑) 昔(正確に分からないが100年ぐらい前)、どこからか大山に移り住み、山をヒラいて畑にしたことに由来している。 ボンサンダニ お坊さんが実際に住んでいたので、ボンサンダニ(坊さん谷)と呼んでいた。
田について ムクラグカラチ、ムクロクダニ、ムクログチはいずれも田んぼの名である。しかし国の減反政策で田んぼはどんどん減少し、山(荒れ地)になっている。昔は水不足のときにも犠牲田を作らなかったらしい。4年前の水不足のときは小川からポンプで水をひいていた。 昔は田んぼの周りにはえている草を肥料として入れていたが、今はキンピ、牛の糞をいれている。 米がよくとれる田で1反当たり多いときには10俵程(1俵=60kg)取れて、普通の田で1反5から6俵程度。
川・水路について 川・水路は山がちな地形であるので大きな川というのもなく、特別な名前のついた川・水路はなかった。水路は簡易水道であった。 昔は水不足のときにも犠牲田を作らなくてもすんだらしい。4年前の水不足のときは小川からポンプで水を引いていた。 水が不足しても村人で協力して水不足を乗り越えるため、水争いはほとんどなかったらしい。また、隣村とも無かったと言った。しかし、なかには他人の水路に管を通し、水を盗んでいた人もいたそうだ。
副業について 昔は米のほかの現金収入に、麦、さつまいも、なたね、炭焼き、たばこ、養蚕などがあった。家畜は牛、にわとりを飼っていて牛は肉用と田を耕すための2種類で、にわとりは食用に飼っていた。今はミカンを作っている。
米の保存 昔は丸俵に入れていた。当時、黒い米つき虫がついて相当困っていた。今は、10俵ごとにカンに分けて乾燥剤と一緒に保存していて、虫には困っていない。
山・住宅について 昔は個人の山があったが、今は国有林がほとんどだ。数年前に大型台風が九州に上陸したために木々が倒れ、その時大変だった。 昔は6軒ほどであったが現在は10軒程に増えている。代々その地に住んでいる家がほとんどだが、近頃は芸術家の人や陶芸家の人が移り住んでいる。
下平仙次さんの話 昔(江戸時代以前ぐらい)は佐賀県の小石原は焼き物の産地であった。そして焼き物の情報が他に漏れないようにしていた。そのため断崖絶壁の大川内に焼きがまを作った。そこの焼き物職人を監視するために番所(今でいう警察)をおいた。そしてその役人たちを大山に住まわせた。その人たちは、大山から東へ20kmほどのところにあるタクという所から連れてこられた。 また秘密を守るために職人のうち300軒ほどが罷業になってそして逃げた。そのうち福岡にきて住んだ人たちもいて、その人たちは福岡の村に佐賀県の故郷と同じ小石原と名付けた。
以上が大山について調べたことだが、レポートが指定よりもかなり少ないので、また下平さんが小石原についていろいろ教えてくれたので、小石原のことも少し分かることをまとめる。
ツヅミ(鼓) ここは昔、とても偉い方が訪れたのを迎えるために鼓を使ってもてなしたのでそう呼ばれる。 トビヨシ(飛び吉) この地は、とても昔鉄砲水で偶然にも田んぼができるという村人にとってうれしい出来事があったことから名付けられた。(土砂が<飛>んでよかった<吉>から) そして、その土砂が沈殿してできたところを、小石がある原という意味で(小石原)と名付けた。 またこの場所は昭和12年に鉄砲水が本当に起こり下平さんは実際に見た。その様子は、鉄砲水が起こり、山が崩れて川が止まると、次は水が溜まり、家が流れて、また水が溜まり、家が流れる、という繰り返しで何軒も家が流された。 エンツウビラ(円通平) ここは交通の要所であった。塩を運ぶ道と焼き物を運ぶ道がここで合流するので取り引き、塩や焼き物の運び代などの支払い、などが行われていたのでこのように言われた。
7月4日の行動記録と感想 10時45分、バスを降りる。11時から14時15分まで事前に手紙を送っておいた区長が紹介した下平さんから話をきかせてもらった。それから当てがなくなったので、大山へ行ったが、ここからがとてもきつく大変だった。大山までの道のりが長く(片道40分かかった)、1軒、2軒訪ねたが、駄目で非常に焦った。(この時まで大山のしこ名がひとつも分からなかった。)しかし、3軒目の岩橋さんのおかげで、いくつかのしこ名の調査と一通り質問ができてとてもうれしかった。15時15分から15時30分話を聞いて16時8分に集合場所に着いた。 |