歩き・み・ふれる歴史学 「現地調査ダイジェスト版」 学籍番号 ITE97678 名 前 有書 幹文 調査地区 久原 [1]一日の記録 7月19日、親の車に乗せてもらい久麻地区まで行った。まず飯盛神社に50代ぐらいの人が10人程度集まっていたので行ってみた。夏祭りの準備で櫓を建てるために集まりがあり、ちょうど昼食をとってある頃だったので話しやすかった。しかしそこにいた人はしこ名についてわからないということだった。そこで牧瀬さんと西山さんがよく知っているということだったのでまずそのお宅に伺ってみることにした。 牧瀬さんは留守だったので後で又お邪魔する約束をして、西山さんの家にいきしこ名などを教えてもらった。まず小母さんがでてこられたので調査の内容を理解してもらったが、しこ名のことについてはわからないということだった。その時留守だったがお祖父さんの市郎さんならわかるかもしれないということだったので玄関で待たせてもらっていると、ほどなくして市郎さんが帰ってこられた。小母さんと自分で説明(耳が少し遠いため、小母さんに手伝ってもらった)して思いだしてもらった。 居間に上がらせてもらってまずしこ名について聞いたところ多く教えてもらえた。ただ思い出し思い出しだったので少し不安だった。次に水利、ガス、電気のことについて聞いてみた。(話の内容は資料1に記録する。)質問後出された西瓜を食べながら大学のことについて歓談していたら結構時間がたっていた。 もう一度牧瀬さんの家にいったが、まだ帰られてなかったので、あきらめて他を回ることにした。山本比呂雄さん宅に次に訪問したが、そこではしこ名や水利などについて教えてもらえた。(資料2に記録する) 次に山口順一さんを訪ねたがしこ名はどうしてもわからないということだった。前島さんの家は今はもう農業をやっていないということだった。以前のことについて聞いたが奥さんは知っていないということだった。また作物の生えていない田んぼで田の手入れをしている小母さんがいたので駆け寄って聞いてみることにしたがやはりわからないということだった。そこで小母さんに知っている人はいないか聞いてみたがここらじゅう農家なのでだれが知っているかわからないということだった。 次に山口武房さんの家を尋ねたら当人がでてこられて色々教えてもらった。(資料3に記録する)山口さん宅より下の方(低地)に行っても農家は少ないということだったので上の方にいってみた。 前島良人さんの家では奥さんがでてこられて教えて頂いた。その時税金関係の書類まで出して頂いたのでひどく恐縮した。しこ名については前の方とだいたい一緒だった。(資料4に記録する) 前島常春さん宅を訪ねたが、良人さんの従兄にあたる人だった。(資料5に記録する) 前島さん宅より上は、前田さん、桧本さん、金子さんと尋ねたがいずれも留守で聞くことはできなかった。 いく先々で留守だったので少し疲れ時間を見ると午後4時30分を回っていたので、電話をかけて親にきてもらい調査を終了した。
[2]調査記録 (資料1) 村の名前:山代町久原、久原一区 話 者:西山 市郎;大正4年生まれ 調査者:有吉 幹文 「しこ名一覧」 ・久原一区 ダヂ(駄地) ヒラオ(平尾) ウートウ(大藤) ヤノムネ(矢の宗) ヤフサ(矢房) ハラ(原) ホリタ(堀田) カンノクボ(管野久保) ミズノテ(水手) マドコロ(間所) イイモリ(飯盛) モーリャーゴ(馬洗川)シロヤマ(城山) ・久原2区 ニシビラ(西平) クハラコウチ(久原高地) カミアゲ(神場) ツツノハル(筒の原) オオイデ(大井手) シモバ(下場) ハシノモト(橋の元)ハザマ(波佐間)
1.しこ名について 今でも「△△の畑にいってくる」といった具合に使われているようである。 2.しこ名の由来 名前の由来を聞いたところほとんどはわからなかったが、いくつか教えてもらった。 飯盛:もともとは山にある神社の名だったが、今の飯盛の場所に神社を移したときにその名がついた。しかし今は又神社が場所を移り、名前だけが残った。 城山:以前城があった。 駄地:以前は収穫が上がらない駄目な土地だった。今はそうでないそうだ。 馬洗川:城山にいた馬を洗っていたことで、その名がついた。
3.電気について 電気は市郎さんが小学校4年の時にきたという。それ以前はあんどんを使っていたそうだ。この時市郎さんが小学校4年の時の年代はわからなかった。そこで米の相場が明治時代からのっている手ぬぐいを持ってきてもらって計算した。それから大正13年だったことがわかった。その手ぬぐいを見ると、以前6円だったのが今では1万5千円ぐらいになることがわかった。しかし、昭和57年と今現在の米の相場は変わっていないそうだ。しかし物価は上がっているので苦しくなってきていているらしい。 4.ガスについて ガスがきたのは遅く、昭和40年頃にきたそうである。それ以前は薪を使っていたそうだ。 5.水利について 城山のしたに大きな田代の堤(佐賛県で2番目に大きい)がある。その下に大藤、筒の原、石宗の壕があり久原一体はそれを水源としているそうだ。 94年の渇水も、田代の壕が大きいためそれほど深刻な問題にはならず、農作もうまくいったそうだ。 6.他の作物について それほど大規模にはしておらず、ちょこちょことやっているそうだ。下の国道で、路上販売する程度だそうである。 (資料2) 村の名前:山代町久麻、久原一区 話 者:山本比呂雄 訴査者:有吉 幹文 「しこ名一覧」 ガスタ(ガス田) 学校の山(学校の山) シンデン(新田) 1.しこ名の由来 学校の山:学校のすぐ近くにあるため 新田:このごろできた *自分の畑のしこ名について聞いた。 (資料3) 村の名前:山代町久原、久原一区 話 者:山口武房 調査者:有吉 幹文 「しこ名一覧」 タヂ(田次)クボタ(久保田) ヤノムネ(矢の宗) コウクチ(河口) *自分の畑のしこ名について聞いた。 1.水利 自分の家の田については、大藤の壕から引いた水を使っているそうだ。 2.電気、ガスについて 西山さんに聞いたのと同じであった。 (資料4) 村の名前:山代町久原、久原一区 話 者:前島良人 調査者:有吉 幹文 「しこ名一覧」 カンノクボ(管野久保)タジ(田次)へギ(平木)ヒラオ(平尾) *自分の畑のしこ名について聞いた。
(資料5) 村の名前:山代町久原、久原一区 話 者:前島常春 調査者:有吉 幹文 「しこ名一覧」 ホミタ(ほみ田)カミノダン(上の段)ナルイシビラ(鳴る石びら)ダヂ(駄地) *自分の畑のしこ名について聞いた。 [2]調査を終えて どこの家も最初は警戒されたがちゃんと説明すればすぐに理解してもらえた。田んぼは段々畑で一つ一つは小さく入り組んでいるものも多く昔ながらの農家といった印象を受けたが、もう農業をしていない家も多かった。西山さんのお宅でもお孫さんは3人とも家を継がれておらず、小父さんたちだけで農業を続けられているそうだ。このままではこのへんの農業も近いうちに変わっていくかもしれないと感じた。
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