歩いて歴史を考える〈西有田町 山本〉
1SC98275 松崎幸子
1SC98238小柳裕美子
お話してくださった人々
吉永時次:昭和10年2月生まれ
前田和富:昭和29年9月生まれ
しこ名について
山本
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小字
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しこ名
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山本
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ニシモト(西元)、サンドダ(三度田)、ニシンハラ(西原)
ナガンツカ(長塚)
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坂ノ下
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ツカンナカ(塚中)、サカンシタ(坂下)
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立木原
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タツキバル(立木原)
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伊古石
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イケシ/イコイシ(伊古石)、トドロ、カミンタ(上田)
シモンタ(下田)、カイダチ(貝立)
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中尾
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ナカオ(中尾)、カタンタ、タヤマンヒラ(田山平)
イワンクビ(岩首)、ショウブヤマ(勝負山)
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小路について
山本
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小字
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小路
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山本
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トオゾノ(東園)、ナカンクミ(中組)、シュウジ
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坂ノ下
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コバリ(小ばり)、ヤマンタ(山田)
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立木原
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カイソエ
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中尾
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ショウブ(勝負)
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水について
山本
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使用している用水の名前
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用水源
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共有している他の村
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ヤーバナ井手
ニシハラ井手
ヤマンタ井手
イシキリバ井手
トドロ井手
イコシ井手
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浄源寺川
桑々田溜池
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立部
大木
桑ノ木原
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昔の配水の慣行・約束事
6月の入梅に溜池のせんをぬき、10月にしめる。
昔の水争いの有無
山本では、比較的水に恵まれていたので、あまり争いは起こらなかった。しかし、ほかの村では、あまり水に恵まれてない地域もあり、そのようなところでは、水不足のときに、水利権などをめぐって、水ゲンカ(争い)が起こった。
水田にかかる水は、桑々田溜池から引いている。その水は、浄源寺川の各場所につくられた井手から決められた水田に引かれる。
・ヤーナバ井手:西元、三度田
・ニシハラ井手:長塚、西原
・ヤマンタ井手:山田
・イシキリバ井手:山田
・トドロ井手:トドロ
・イコシ井手:伊古石溜池
平成6年の干魃のとき、川の水位は下がり、水田の水は、川からポンプで引き上げた。リュウモンダムの水がからになってしまい、農業用水よりむしろ飲料水が不足した。
昭和42年、7月には大水害がおき、8・9月の秋には5年前よりもさらにひどい大旱魃がおきた。そのときの写真を見せていただいたが、7月の大水害は、上流から大きな石が下流に流されるほどのものであり、次の8・9月の大旱魃によって、その石も乾ききってしまうほど、付近にも水がなかった。
村の耕地
山本の中では、立木原が比較的乾燥しやすい水田であるが、米が作れないほどではない。米を作ってない土地があるのは、減反のためである。減反によって水田ではなくなったところには、豆・大豆・その他野菜を作ったり、肥料として蓮華草をまいたりした。
村の生活
現在、お風呂は太陽熱もしくは灯油で沸かしている。昔は、それぞれ自分の山から薪をとってきて、燃料にしていた。テレビは昭和39年の東京オリンピック以降に普及した。それ以前は、人々はテレビを見る代わりに縄を作るなど、わら大工などをして過ごしていた。その様子はテレビドラマ『おしん』に似ているらしい。
米の保存
ネズミ対策として、昔はかごのようなねずみ取りを利用していたが、ネズミも賢くなり、それではあまり取れなくなったので、現在は、市販の“ぺったん”とくっつくねずみ取りを利用している。家にくるねずみは、家から出る残飯などを目当てにくるらしい。
戦時中は、米のかわりにサツマイモを食べたり、大根を細かくしたものに米や麦を少量加えたものなどを食べたりしていた。
村の動物
昔、田は耕すために、牛が1軒に1頭ずついた。現在は、肉牛として、牛を飼っている農家もある。
村の道
山本は、海から遠いため、行商と呼ばれる人が魚をうりにきていた。新鮮なものをはこぶのは困難なため、塩をしたものや、干物が主だった。
まつり
毎年、7月28日に、16〜30歳の男子が中心となって、『浮立(ふうりゅう)夏まつり』が寺や神社で行われる。
また、8月1日には、部落全体で、『大伸ぐう祭り』が行われる。
各は、12月17日に、収穫を祝うまつりが行われる。
その他
もんじゅうろう:シュウジにあるお地蔵様のことで、学問の神様
狩場のタブ:中組みの墓地のところにある、町指定の天然記念物。人々が狩猟に出かけるときに、この木に祈っていった。
坂下では、縄文遺跡が発掘された。
村のこれから
農業は、機械化にともなって、ここ30年で人力主から機械主にかわった。そして、昔は専業農家がほとんどだったのに対し、現在はほとんどが兼業農家である。また、三段百姓といって、自分の田をほかの人に貸して、米を作ってもらう人達もいる。このようにしてみると、これからだんだん農業をする人は減っていく傾向にある。