しこ名の現地調査

1MD99045 佐々木大

1MD99005 池崎裕之

聞き取りさせていただいた方

・山中美好 昭和4年生まれ

・西山泰治 昭和14年生まれ

・西山勇  大正13年生まれ

 

調査地 西有田町蔵宿

 

1、 しこ名

小字      しこ名

〈田〉

極楽辻     ゼンモンダニ

境川      サキャアゴ

        シャカゴウ

下迎原     ムカエハヤー

平原      カワラガマ

〈山〉     タカズッタン

        コエモンサン(小衛門山)

        カッパギヤマ

〈その他〉   タネツケガワ・・・水稲の種籾をつけていたところ。清水が湧いていた。

2、 五年前の干魃時における水利用

・川の西側にある用水路(400年前にできた)および蔵宿地区の飛び地である深城溜池により、有田川西岸はほとんど影響をうけていない。

・川の東岸の下迎原一帯は東がひどく、有田川より水をポンプアップした。しかし、そのことで下流の水量が減ったため、下流の方の地区との関係が一時ギクシャクした。

現在は溜池の改修が終わったため、東岸も水不足の心配はなくなった。

・極楽辻一帯でも、小規模な溜池しかないために、東が酷かった。

・上記の事柄は農業用水に限ることであり、殆どの家庭に井戸水があったために飲料水に不自由することはなかった。

・今井出堰は、立部・扇地区の水利権

・深城溜池は、蔵宿の飛び地 → 蔵宿は、強い水利権を持つ。

 

3、 水害と対策

・昭和23年 911

・昭和42年 79

・今井出井堰は昔、立て板だったが、現在は堰がラバーダムになっているため、一定量をこえないので、水害がなくなった。

 

4、 草きり場

・あぜ草

・線路わきのくさ(入札制)

・溜池などの周りの草

・周囲の山(入会地)・・・東岸の山で一年の薪をまかなった。

 

5、

・米の出荷方法・・・収穫後、地元の大地主(大串家)に持っていった。その後米屋へ。

・飯米の呼び名・・・ひょうりょうまい(兵糧米)

・種籾の保存方法・・・俵に入れて、大規模農家では米倉へ。

・ねずみ対策・・・どの家庭でもねこを必ず飼っていた。

・食事置ける米と麦の混合率・・・米:麦=73

まるのままの麦は、1回ゆでてその後米と共に炊いた。

ひしゃ麦は、始めから米とともに炊いた。

 

6、 村の動物

・各家庭とも、農耕用に牛か馬のどちらかは必ずいた。普通の農家は、どちらか一匹だった。雄は、牛馬ともたいがい去勢されていた。

・荷馬車を引くのは、たいてい馬だった。特に遠距離馬車では、去勢された雄馬が多かった。

・雌牛を飼っていたのは裕福な家だった。

・博労は45集落に一人ぐらい。

 

7、 生活の変化

・電気・・・大正年間

・ガス・・・昭和三十年代後半から四十年にかけて徐々に普及

 

8、 昔の若者の生活

・庵寺(今の公民館)に集まり、年長者からいろいろなことを教わった。

 

9、 祭り

725日 ぎおん祭 →今は825日 ・・・蔵宿で水害があり、725日が盆にあたるため825日になった。笛・太鼓は、他集落の人々がやってくれた。

・田祈祷

16日鬼火たき・・・子供たちが竹で家を作り、正月のしめ縄を焼く。その火でもちを焼く。そのもちを食べると、一年無病息災で過ごせると信じられている。そのもちを、箪笥にいれておくこともあった。



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