歩いて歴史を考える(西有田町北ノ河内)
1AG98112 高嶋敦史
1AG98114 高野智史
話者:筒井浩二さん(S13年生まれ)
久保田久徳さん(S18年生まれ)
〈しこ名〉
小字: しこ名:
中谷
平山 ニドンマ(二段間)
鉾田 サンドンマ(三段間)
山下 ユウダ(湯田)
中通 キョウヅカ(経塚)
船ノ尾 オオノバラ(大野原)
運悪く村の長老がゲートボールへ出かけていたため話を聞くことができなかった。
〈村の水利〉
開田ため池が一番の水がめでほとんどのため池がこの池から水を引いている。
また島守上ため池は唐干田上、下ため池から水を引いている。
たいした水不足の被害もないので水争いなどもなく、平和な日々を送っている。
・94年の大旱魃について
ため池がないところでは全くとれないところがあり、飲料水にも苦労していたらしい。しかし北ノ川内全体としては収穫はよかった。(ため池の水が不足することはなかった)
〈村の耕地〉
23年、42年に水害があり、その度に整備されている。
やはり土質の差で片谷、船ノ尾、美ノ田、唐干田(トウボシダ)では、ほかの田に比べてあまり取れていなかった。
〈村の発達〉
明治後半から電気が通った(それまでは水力発電)。プロパンガスは、昭和35〜36年に来た。
電気もガスも周りより来るのが遅かった。
〈米の保存〉
米はほとんど農協で保存していて、青田売りは全くなかった。幾分かはヤミ米があったらしいが、基本的には政府直轄でやっていたらしい。
昔は田んぼ田んぼによって農家で所有できる一定の米の割合を定められていて、それ以上収穫された米はすべて政府に取られていた。
20年代の農家での食事は、だいたい7対3の割合で麦と米を食べていて、足りない分はイモで補っていた。
ネズミ対策としては、あまり被害が深刻ではなかったので、徹底した対策を考えなかったらしい。やったこととしては1mくらいのカンカンに米を入れて保存していた。
〈村の動物〉
馬はあんまり飼っていなかったが、牛はどこの農家でも1頭は買っていて農作業に使っていた。
また牛を2頭飼って子供を産ませて、それを副収入として売りに出す農家がたくさんあったらしい。だいたい年に肉牛を1000頭ぐらい売りに出した。(その際、口がうまく度胸がある博労が活躍していた)(40年代まで)
その他の副収入としては伊万里に出て行って焼き物の仕事をたいがい農家の人たちが働きに出ていた。
〈村の道〉
学校道はあったが特に名前は決まっていなかった。
〈まつり〉
ぎおんさんとあたごさんとあともう一つ神様がいるらしいが忘れてしまったらしい。この三人の神様を8月15日に年毎交代に前原神社(まえばらじんじゃ)で15夜会を開いて祭っていた。
今はぎおんさんしかまつっていない。
また北の川内では曲川、大木、山谷風流保存会(ふりゅうほぞんかい)を開いている。
〈昔の若者〉
昔の若者は、青年会というものが3つあり公民館に集まって肝試しをしたりたばこを吸ったり(これは違法)寝泊りしたりして遊んでいたらしい。
またよその村との交流もあり、とくにぎおんさんのときはいっぱい若者が集まっていた。
〈まとめ〉
最後にやはり村の高齢化がすすんでいることが問題になっている。若者が次々と村から出ていくのが悲しいとおっしゃっていた。
〈感想〉
今回私たちが訪れた西有田町は、福岡市内から九州自動車道、長崎自動車道と一般道をあわせて1時間半ほどのところに位置する。その中で北ノ河内地区は、トラックなどが通る中央線のある道からちょっと入ったところにあった。この地区は多くの住宅が水田の中に点在しており、今回訪れた筒井浩二さんのお宅もそのような感じだった。福岡市内に住む私たちの第一印象は「静かで落ち着く場所」だった。
調査を始めるにあたって、筒井さんは小字の地図や水路の地図、それに西有田町の歴史が書いてある本などを用意してくれていて非常に役立った。それに久保田久徳さんという方も呼んでくれていて、一生懸命昔のことを思い出してくれた。話の中で二人が楽しそうに語ってくれて印象的だったのは、昔の若者の生活について聞いた時である。昔は青年会というのが地区ごとにあって、毎晩のようにそこに泊まりに行っていたという。そこで様々なことを語り合い、ときには肝試しのようなこともしたりして先輩、後輩、同級生と親睦を深めていたという。あまり地域で連帯感のない都市部に住む私たちはある意味新鮮で羨ましい話であった。
調査を終え、一つだけ残念なこととしてあげられることは、しこ名があまり多くは確認できなかったことである。協力してくれたお二人が昭和生まれであるとはいえ、その世代でもしこ名をあまり知らないことは驚きであったし、そのことは調査を急ぐ必要があることを示しているのだろう。それ以外の点は二人共協力的で本当にありがたかった。私たちも久しぶりに田園風景を堪能することができ、心も安らいだ一日だった。