歴史と異文化理解A

 

調査地 脇田西

話者  内海 一利 さん

    岩永 融 さん

    井手 民夫 さん

提出者 1TE98034 田中慎吾

    1TE98037 津平公彦

 

○小字と私称地名

 脇田の歴史は実に古く、その歴史は800年以上も通ることができる。歴史が古ければ当然地名も多様になり、土地の特徴や地形、親しまれた名前あるいは昔の言い伝えや、生産に関わる名称で呼び継がれている。以下、脇田西(ここでの西は、提出者が脇田町を適当に東西に分けた西であり、脇田西が実際に存在するわけではない)の小字とそこに含まれる私称地名を記す。

 

(小字)・・・(私称地名、しこ名)

陣内 ・・・ クラセド(暗瀬戸、倉瀬戸、鞍瀬戸)

ジンニャーサカ(陣内坂)

ジンニャンフロ(陣内風呂)

川久保・・・ コークボ、クボイノニキ、コークボンツタイ、イッポンスギ(一本杉)

釜蓋 ・・・ ダゴジュヒヤシ(団子汁冷し、寒風の吹くところの意)

       ショーノーゴヤ(樟脳小屋)

       エンショウグラ(焔硝倉、煙硝倉)

清水 ・・・ マツヤマ(松山)、ウランタン(裏の谷)、カミスギダン(紙渡漉谷)

ウエンヤマ(上の山)、マーヤマ(前の山)、アブラヤ(油屋)

辻畑 ・・・ ジュートコ(柔床)、ユノシン(湯の尻)、ムカエ(向家、向辺)

ジュウトコンガブロ(汁床の河風呂)

札の元・・・ ナガノ(長野、中野)、ナカノンジャーラ(中野平)

カノキゾイ(桑の木添え、桑の木末)

三反田・・・ ヤマゴー(山郷)、ミヤンマエ(宮の前)

浜田 ・・・ ウメノキテンジン(梅の木天神)、ハマダンツツミ(浜田の堤)

上の山・・・ ジャーミツサン(五社大明神様)、ツチバンヒラ(土場の平)

一本谷・・・ オサキ(尾崎)、ゴーグラ(郷倉)、ガツコンヤシキ(学校の屋敷)

ヤマサキ(山崎)、キシンツタ(岸の下)、チャーバイ(田原)

三本谷・・・ チャーバイ(田原)、タカマツノウラ(高松浦)、ノゾエ(野添)

ホッタゴ(堀田河)

瓶屋 ・・・ カミヤ、ツツミンハタ(堤の端)、カミヤンツツミ(瓶屋の堤)

ツツミンガブロ(堤の河風呂)、ウエンツツミ(上の堤)

三又谷・・・ フタマタダン・フタマッダン

脇田山・・・ ワキダンヤマ・タイノシタ(垂木の下)、ホーチョーダン(包丁谷)

ウータン(大谷)、ウボーダニ・ウンボーダニ(祖母谷)、ジジガダン(爺が谷)、オヤジノコバ(親爺木場)、コマツバラ・コマツワラ(小松原)

向工田・・・ イソミチ(磯道)

馬臥 ・・・ マプセ

長恩寺・・・ チャージヤマ(T字山、長者山、長寿山、長恩寺山)

ロクロダン・ドクロダニ(髑髏谷)、ベトンツツミ(別当の堤)

コレラ墓、ナカンツヅ(中ノ辻)

 

○水利

 脇田町には多くの溜池がある。これは、稲作文化の到来による水田への水の必要性から、親しい友人や、時には親戚とも血で血を洗うことがあったため、また、豪雨の時には川が氾濫し、家も水田も流され、人の命も奪われることもあったことから、少しでもこのような事態をなくそうと知恵を搾った結果、湧水の多いこの地に溜池を作ったのである。

 

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・瓶屋の大堤

  満水面積 1.5ha  有効貯水量 54.000

20haの水田を潤すこの溜池は、同時に子供たちの水泳場や部落の養魚場もこなし、堤防に繁茂する萱は家畜の飼料として役立っている。

 

・瓶屋の上のつつみ

  満水面積  0.5ha  有効貯水量 13,500

・裏の谷のつつみ

  満水面積  0.10ha  有効貯水量 3,150

・脇田山のつつみ

  満水面積  0.03ha  有効貯水量 220

・カメヤのつつみ

  満水面積  0.02ha  有効貯水量 180

・二又谷のつつみ

  満水面積  0.03ha  有効貯水量 270

 

 その他に脇田町には9つの溜池があり、先に挙げたものをあわせると、満水面積3.45ha、有効貯水量104,620㎥にもなる。

 

 



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