現地調査レポート/伊万里市/脇田東 調査者:岸良・陶山 ○しこ名編 ・小松原(みはらし台)…昔、佐賀のタキョウ藩の殿様が、かまをたくためにこの辺りに松を植えることを推奨した。(松は火力が強いので、いい燃料になる)だが、松はいっこうに育たなかった。だから、小松原と呼ばれている。また、殿様がここでシシガリをおこなっていたため、みはらし台とも呼ばれている。 ・爺捨て山・婆捨て山…貧しい農家では口減らしのため、この谷に老人を捨てたと言われていたが、実は捨てるふりだけして捨てなかったらしい。 ・アナグマ…熊が住んでいそうな穴、人間も入れるぐらいの大きさ。 ・仏谷(脇田町にはない)…唐津焼の一派の椎ノミネ焼が焼かれていた所。昔話で、このあたりには100の谷があるが、99谷しか見られないと言われている。この谷は、その隠された谷だったらしい。(実際に見えにくい場所にあるらしい) ・紙すき谷、紙すき台…昔ここで紙をすいていたらしい。 ・いそ道…昔埋めたてをするまでは、この近くまでが海だったらしい。 ・馬足跡…馬の足跡に似ているらしい。(形が) 注)この地域では谷を山と呼ぶらしい。(昔の話)また、多くの焼物は山(谷の方の意味)で焼かれていたそうだ。だから、焼物を焼きに「山に入る」というのは谷に行くことをさす。 ○水路の利用 この辺りの川は、雨が降ると、よく洪水を引き起こしたそうだ。そこで昔の人は川の形をコの字形にすることで激しい川の流れを調節した。 また、水の利用としては、山から流れてきた水を一度、小瓶屋に入れてから大瓶屋に入れる。そしてそこから脇田川に流し、その水を利用する。 時間があまりなかったので、これぐらいしか話を聞けませんでした。話を聞いた人は「松尾香」という方で、脇田の風土記を書いていました。 ・1日の行動記録 11:30 バスを降りる 歩く 1:15 松屋さんのお宅に着く 話をする 2:30 同 出発 走る 3:45 バスに乗る |