伊万里市大川内山 話者 @下平聡さん ・田の名称 「ウラ」・・・下平宅の家の裏に位置する。 「深川(ふかがわ)」・・・川の名前によるもの 「四本黒木(しほんくろき)」・・・以前、四本の黒い木(種類は不明)があったためつけられた田。その他に二本黒木、三本黒木があるらしいが、位置は不明。 「飛吉(とびよし)」・・・他に飛良とする説あり。 A下平仙次さん 1. 田の名称 「飛良(とびよし)」 他に飛吉とする説有り。S42の水害(鉄砲水)で浸水(?) 2. 山の名称 「新立(しんだち)山」群発地震による隆起で作られたのではないか。という話。 山の岩は溶岩質で火山質だという。(矛盾しているように思えるが、他の説明はなかった) 「黒尾岳(くろだけ)」黒岳の尾っぽにあたる場所からきた名称。 「髪(かみ)さし山」 1000年前の古文書に記載されている名だが、500年前には消えた名という話。(他に八天山と呼ぶ説あり) 3. 川の名称 「水無川(みずなしがわ)」(現、天神川) 漏水していたため。(地下水だから、すべて表面に出ているわけではない) 4. その他 ・地質について 土は粒子が細かく、水はけが良い乾田。鹿沼土とよく似ているとのこと。またリン酸系の土のため、作物の生育に適し、山の麓は米がよくとれるとのこと。川をはさんで東と西では収穫高に差があるという話。 ・焼き物について 鼓の北部には、朝鮮より連行された多くの焼き物屋(三百戸、六百人程度)が居住していたが、そのほとんどは他に移住させられた。唯一残ったのが、張(はり)さん宅である。また、移住先として福岡県朝倉郡小石原村があり、同村内には「鼓」という地名があるという。 ・大山(おおやま)について 鼓の北西部に位置する大山は、昔、関所と処刑場があり、焼物密売犯・青木コウノエ門がさらし首となった場所であった。(S30年前後の西日本新聞に記事有り)また、役人の居住の場であった。 ・神社について 鼓の天満宮についての話:天満宮は元々部落の氏神ではないが、明治以後の混乱の影響(世情不安など)のためか、菅原公をまつった。元の氏神として、頼朝弟為良の子・鎮西太郎為朝が関係しているそう。お祭りは毎年8月5日。神主は呼ばず、地区の人だけで手を合わせるのみ。 ・石塔について 下平宅内の溜池より五輪塔等が発見された。現在は家の前の墓地にまとめて安置している。石碑には「源平〜戦国末までで上村、岩谷、小石原出身の松浦郎党たちの供養碑で鼓。知谷に点在するものを集めた。S62, 2年下平仙次」とされている。(石造物は伊万里川の左岸でのみ表出している) ・境目について 小石原橋が小石原鼓の境目(もともと鼓という名前ではなかった。) B川内アキさん(T11生、女性、嫁いで57年) (1)「天満宮について」 5班に別れて毎年8月5日に祭りを行っている。 (2)その他 ・昔はみんな牛を飼いアゼの草を餌とした。不足分は自分の山より刈り取っていた。薪も自分の山より集めていた。(入会地なし) ・家の周りの田は反別8俵ほどである。 C諸石テル または
テル子さん(T9生、女性) ・屋号として「ウータン」の名が付けられている。 ・昔は牛を飼い堤(でい)や山の草を食べさせていた。不足分は自分の山から刈り取っていた。 ・山木を切った場合、すぐに植林をし、畑とすることはなかった。(山崩れ防止のため) ・田の名称として「ツツミノシタ」(黒尾岳溜池の堤の下なので) D野口富士子さん(生年不明、女性) ・家のすぐ後ろの山を「八天山」呼ぶ(髪さし山の説有り) E野口良一さん(M44生88歳男性) 1. 田の名称 「一本谷」「垣内」「円通ひら」「じょうのひら」「たぶの木」たぶの木がはえていたので 「むかい」家の向い「まえこば」(=前木場)「うらこば」(=裏木場)「板の平」 2. 山の名称 「かんだん」官山からきた名。国有林があるため。 3. 川・井ぜきの名称 「伊万里川」 「九九坂井手」「たぶのき井手」「水無川」(公称 天神川) |