伊万里市(釘島、牧島・・・瀬戸町)

まえばらしげお   199874

 

○中島豊治さん(瀬戸町早里、1940年生)

・釘島と築港とは以前は離れていた。→地続きになったのは戦前

・牧島の白浜では塩田経営をしていた(戦後まもなくの時期)

・瀬戸第1樋門の辺りでもしており、築港内に20年前(1978年頃)まで塩焼きの煙突があった。

・黒塩川の左右で肥前藩と唐津郷との境がある。戦前までは川を挟むとごく近所でも言葉が全く違っていてわからなかった。

 

地名 小字 白浜(しらはま)

 

○釘島辰男さん(釘島、T13)

・釘島は南風(はえん風)が強い

・小島(せん瀬)の石垣は、釘島と築港が橋でつながった時できた

・築港はS10年ごろ出来た、徳島の手練船(てくれせん)の乗組員や船主などが移住してできた。→築港の金比羅さんは四国の関係者が戦後に勧請

・鮼大明神(いるか大明神)は昭和5,6年頃鮼が大量に釘島に打ち上げられ、それを供養したもの。釘島以外の人が碑を立てた。

・築港は、終戦のころは景気がよかった。15年ぐらい前から大きく衰退した。

・釘島の大きな防波堤は築いた直後、一夜にして地盤沈下で陥没した。地盤を固めて再築した。

・釘島のまつりは12月18日と1月11日、家所(いえしょ)と呼ばれる当番の家が

世話をする。お宮は宮地獄社と稲荷さんと波頭大明神があり、同じ日にみんながそれぞれを参る。最近は、年寄りは近く、若い者は遠くの神にまいるように役割分担ができている。幟を立てる、神主は来ずに島民だけでまつる。

 

地名 小字 な

   通  後ろ谷(うしろのたに、ううだん)→家の裏手にあたる。

      北びら→島の北側 西びら→島の西側

      たん瀬→不明

      東の→東側にある数軒よぶ   西の→西側にある数軒をよぶ

 

○満江リョウさん(築港、明治41年生)

・築港はS4〜5年頃工事をして出来た。それまではただの海で、岩などがあった。荒地であった。

・大正末期に新田を拓いた。

・戦前から戦後にかけては阿波船や五島からも船がきて賑わった。博多などへの販売能力もなくなり、しだいにさびれた。

・大正10年頃、大水があり黒塩川の増水で海に大量に砂が入った。「がたほり蒸気」(砂とり船のこと)で砂をほりとっていた。

・花見の時には早里から、にらやごまなどで食事を作り、築港のない時期の海に遊びに行った。

・金比羅さんは戦後に阿波の船主たちがまつった。大正期には人が住んでいなかったので氏神なぞなかった。

・伊万里港では海草(なごや、わかめ、あおさ)や貝(ほうじょう、みな、いがい、もがい、もがい、あさり)がよくとれる。春の節句のときには、からすが止まったようにみんなで浜に出て貝を掘りにいった。

 

地名 通 七つ島→7つ島があったから(現在は鉄鋼センターができて一部なくなる)

 

○古川繁光さん(早里、大正14年生)

・早里の観音さんは8月17日がおまつり。

・畳瀬や弥五ヶ浦、駄禦は昔海だったときいている

・松陰浦の田は松蔭浦堤の水でかんがいする。

地名 小字 畳瀬(たたみぜ)、駄禦(だふせぎ)、真瀬ヶ浦(まぜがうら)

      弥五ヶ浦(やごがうら)、五分谷(ごぶだに)、鳥越(とりごえ)

      松蔭浦(まつかげうら)

 

○松尾美智子さん(早里、大正14年生)

・早里の多くの田は、松尾照二さん宅横の池水でかんがいする。

地名 小字 田原崎(さわらざき)、芋畑(いもばたけ)、牧(まき)

 

○西伊予吉さん(牧島、大正13年生)

     戦後食糧難のころ、利潤獲得のため、多くの人が塩田経営をした

・ 大豆を1晩塩で湯がく。1合ほどあればいい、すると豆腐状のかたまりが出来、それを塩たき釜に入れると、あっというまに釜の中の塩分が分離して良質の塩と異物を取り分けることができる。

・新田を作ったら、必ず龍神をまつる。龍神はこの地方で多い

・牧島搦の塩田は1948年頃までしていた。

・牧島は鍋島藩の牧場で山の方には茅もたくさんあった。馬追い場や石垣跡も残る、馬の牧場なので安全のため馬頭観音がいたる所にある。

・牧島の神は宮地獄神社で昔は12月20日に祭りをしていたが今は10月30日。

・鍋島藩から明治維新以後牧を管理委託されていた人の家が残る。そこには伊万里港からの船が着けるよう、小さな渡し場が設けてある。

・牧島山の近くに2つ尾根があり、19423年頃、高射砲がそれぞれ1本ずつ備えつけられ、100人ほどが駐留していた。海の対岸の造船所の見張りのためであった。

 

地名 小字 芋畑(いもばたけ)、西園(にしぞの)、牧島搦(まきしまがらめて)

      黒岩崎(くろいわざき)、城山(じょうやま)、田原崎(たわらざき)

      大音(ううとう)、白浜(しらはま)

   通称 城山尻(じょうやましり)→城山の下側だから

      渡し場(わたしば)   →伊万里対岸からの船が着いたから

      瀬の鼻(せのはな)   →瀬に潮が引くと鼻のように岩が出るから

      馬追い場(うまおいば) →殿様が馬を追ったから

      高射砲跡(こうしゃほうあと) →高射砲があったから

      嬉野新田(うれしのしんでん) →不明

 



戻る