平山現地調査レポート ・調査した地域名:伊万里市脇田町平山 ・話をしてくださった方:池田徳男さん(平山区長) ・調査者:1TE98001■ 礒谷賢志 1TE98004■ 井上博之 ○しこ名一覧
○しこ名について ・下ノ原のネリコムタは、田が湿田で足が田にねりこむことから、そう名づけられたそうだ。 ・抜ノ下のナカミゾ(中溝)は、抜ノ前の真ん中を流れている水路だという意味だそうだ。 ・上ノ間のコクダシは、穀物(米)がよく出るからという由来があるのだそうだ。 ・芒原のウダニ(大谷)は、大(オオ)が「ウー」となまっている。 ・藤野のフジンダンチは、その辺りが段地であるからということで名づけられた。 ・ホッタゴウ(堀田川)は、川(ガワ)が「ゴウ」となまっている。ホッタゴウのそばにある川の名前が堀田川であるので、しこ名となっている。 ○使用している用水 ・平山には昔、人力で作った3つの溜池があり、それが田に使われている。これら3つの溜池は、上ノ間、抜ノ前、下ノ原の近くにあり、村としてバランスよく水をまわしている。 ・しかし、村人の間で水を争う「水ゲンカ」も時々は起こるものだ。そんなときのために、村には2人の「水まわし」という役があり、その2人によって村の用水は管理され、村の中の用水のバランスを調整していた。 ・ その他の用水源としては、平山のそばを流れている川から直接引いたりもしている。 ・ ○平山の昔の暮らしとこれから 平山も今となっては機械での農作業が主流だが、昔は牛が作業の動力源であった。主な利用法としては田などを耕したり、作業道具・農作物の運搬などである。今、平山では牛を飼っている人はおられないそうだが、昔は一軒に2,3頭の牛が必ずいたそうである。牛舎もあったが、今は農作業の機械置き場となっている。牛では長時間かかるような作業でも、機械では非常に短時間で済ませることができるそうだ。 田に必要な水は昔、村の人々が作ったため池の水を主としているが、4年前の猛暑の夏には、水不足が起こり、収穫は例年の半分ほどに落ち込んでしまったそうだ。しかし、ここ十数年で村の家はすべて兼業農家に変わっていったので、大打撃で食べていけないほどではなかったそうだ。 先ほど、平山の農家はすべて兼業農家であると紹介したが、なぜ兼業になってしまったのだろう。理由の一つとしてまず田の1つ1つがそれほど大きくないので、多くの収穫が見込めない上、米に関する政策の変化で、米価が下がっていることがある。またもう1つの理由として、高価な農作業機械の導入で、稲作のみでは支払いが上手くいかなくなったこともある。このように平山でも他の地域と同じような問題があがっていた。 日常の生活面だと、水道が30年前に完備されたそうだ。それ以前は、竹を使い、くりぬいてパイプの代わりにして山奥の湧き水を引いていたそうだ。平山も含め、この辺りでは数年後に高速道路(西九州道)が通るそうだ。また2,3年後には、藤野あたりに梅園が開園する予定。まだ小さな梅の木が植えられていた。 このように様々な不安と期待を抱えながら、平山は今後どうなっていくのか、なかなか難しい話がある。 ○行動記録 8:30 バスで六本松出発 10:30 バスを降りる。しかし自分達が今どこにいるのか、正確に分からず、とりあえず北へ向かう。 11:40 池田さん宅到着。この間の約1時間10分は、すべて徒歩による移動。すっかり夏色の空の下を歩くのは相当つらかった。 途中道を尋ねたら、「平山まで歩いていくの?」といわれてしまった。これはかなり遠そうだ。バス停を見つけたので、ダイヤを見てみると、土日祝日のダイヤのため、バスは全くといっていいほど走っていなかった。ますます厳しい状況に追いやられた。 そしてようやく到着したのだが、到着時刻は事前に先方に伝えていたよりも早くなってしまったため到着時に池田徳男さんは不在だった。待つこと20分、池田さんが帰ってきたので、ここでようやく調査がスタートした。 14:00 調査もひと段落し、話題も村のことから次第にそれていった。そんな中、僕たちはお昼ご飯をごちそうになった。 15:00 帰りのバスに乗り遅れないように、僕たちは池田さん宅をあとにした。池田さんもこのあと用事があるようで、お忙しい中僕たちに付き合ってくれたことは有り難かった。 ○圃場整備事業による村の変化 圃場整備事業により村の人それぞれが不利益を受けないように、村の人々は自分たちで自分たちの田を評価し、圃場整備へ臨んだ。その田に対する評価というのは、まず道路に近いということ。これは機械が入りやすいということにつながっている。そして、水はけの良し悪し。佐賀県はいわずと知れた焼き物の名産地。平山で陶芸をされてる方はいらっしゃらないそうだが、平山の土も粘土質のところが多く、これが水はけに影響している。 このようにして圃場整備が行われたわけだが、どんなに村人の間で調節しても、やはり不均衡なところが生じてしまう。そんなときは当人の間のお金のやり取りで解決したそうだ。 圃場整備から4,5年過ち、今では同じくらいの大きさの田が、整然と並んでいる。池田さんの話によると圃場整備の後のほうが、整備前よりもずっと農作業がやりやすくなったそうだ。しかし逆に昔の地名であるしこ名を使うことは今はあまりなく、村の中ででも失われつつあるという。 ○まとめ(感想) 自分の生活とは異なる人々の暮らしは自分にとって新鮮で、突然の訪問にもよくしてくださり、無事に調査を終えられたことに感謝しています。 |