佐賀県唐津市肥前町田野

 

1EC98179■ 池尻朋樹

1EC98210■ 杉原なおき

 

話者:

山下平三郎さん(T9)

山下郁夫さん(S10)

岩本義一さん(T10)

青木功さん(S4)

 

 まず我々がバスで降りた所は福岡とは全く違った、自然ばっかりのところだった。そして我々はまず、漁業のまちである高串に向かった。森の中を歩いていると森の中に「正一位目玉大明神」を祭った神社がありさらに歩いていると、住吉神社という漁業の安全と大漁を祈願する神社があった。次にこの町のいろいろな話を聞くために、岩本平三郎さんという方を訪ねた。

 岩本さんのお話によると、この町では毎年726日に祭りが行われているということが分かった。いったいなんの祭りかというと、高串にある増田神社の祭りだそうだ。その神社には高串の偉人が祭られていて、その偉人というのが、増田巡査という方であった。

 増田巡査は明治2810日、熊本県合志郡泗水村大字吉富字田中で、増田吉三郎の長男として生まれた。彼は明治7年4月、泗水村福本の尋常小学校および永島塾に入学し、普通学および漢学を学んだ。さらに明治14年、13歳のときに父を亡くす。その後東京に遊学し、法律学、鉱山学、英語、速記術などを学んだ。明治25年長崎港に行き、貿易業に従事した。そして家督相続権を弟に譲り、自らは分家手続きをした。明治26年には以前習得した養蚕業の技術を用いて、実家にて養蚕および蚕種製造をなし、泗水村の養蚕復興に努力した。そして明治287月佐賀県、巡査採用試験に合格し、佐賀市の巡査教習所に入る。そして明治28721日、入野村の高串部落に到着した。その当時、高串の周辺では、コレラが大流行していた。そこで増田巡査は33晩不眠不休で病人の看病や、死体の処理など防疫に励み、ついには自身もコレラに感染し、増田巡査を祭ってあるという増田神社に行くと、たくさんの燈灯が奉納されていて、高串の人たちは皆増田巡査を本当にありがたく思っていた。社の前に行くと、増田巡査が最後に残した「余は死してもこの防疫の為に尽くさんこの地向後悪疫を入れせめず」という言葉通り、この地域のコレラは治まり、その後この地に疫病が流行することはなかったそうだ。増田神社での祭りには毎年佐賀県知事をはじめとして、警察署長以下、佐賀県警察の方々が多数出席されて行われているそうで、今年も盛大に行われるそうだ。

 次に高串を後にして新田に行く途中、ある石碑を見つけた。そこには林毅陸先生という人の石碑があった。この林毅陸先生というのは、明治5年この地で生まれた法学者である。林先生は明治12年、慶応義塾塾長となり、10年後退任し、帝国学士院枢密顧問官となった。林先生はわが国における外交史の開拓者で斯学不朽の名著とされる欧州近世外交史三巻、欧州最近外交史一巻の大著がある。そして昭和251217日この世をさった。時に79歳であった。ここまでしか調べていないが、これだけでも非常に学識の高い人だということが分かる。増田巡査、林先生とどんなところにも素晴らしい人がいるものだなと実感し、そのような人物を知ることができてうれしかった。

 新田に到着して、山下郁夫さんという方を訪ねたが、田についてはご存じなくて、また高串の岩本平三郎さんを紹介された。そこで再び高串に足を向けた。そして岩本さんに高串周辺の土地のことに詳しい岩本義一さんという方を紹介された。

 義一さんの話によると、この辺りに高串が出来たのはそんなに昔のことではなく、水の根、周防谷、小浦谷、三反頭、小崎、浦頭、新田、厳田、厳谷、高串潟、土井の浦、西の谷、中川原、土井の裏、蛭が浦、虎が浦を合わせて高串という地域を形成しているそうだ。しかし、その方をはじめ見て、「しこ名」をあきらめて高串、新田周辺の飲料水や農業水の流れについて調べることにした。そして青木功さんというこの町の飲料水に詳しい方を紹介された。

 この辺の用水は上が倉ダムという所からずっと引いてきているそうであった。そしてここの土地は玄武岩台地で保水量がとても少ないうえに雨量がとても少ないそうで、その対策として江戸時代ごろからたくさんのため池がつくられ、改築工事を重ねながら現在に至るという。そしてこのあたりの水利権は農業用水の方にあり、田んぼに水が必要なのは4〜7月上旬くらいまでで残りは飲料水として利用しているそうだそして農業をしている新田、野間、新木場などの人たちは溜池をとても大切にしており、最低でも年一回は村の人が総出で掃除をしているそうだ。そして面白いことに、その村にあるのに、その村の人は使ってはいけないことになっている溜池もあるそうだ。あと、この辺の水は新木場境いにどちらの湾に注ぐかが分かれているそうだ。しかし、農業用水についての取り決めを質問したところ、農業用水についての細かい取り決めは田野と新木場で行われているそうなので青木さんはご存知なく、これ以上のことは分からなかった。ぜひ田野と新木場を調べに行った人たちのレポートを読んで、どのような取り決めがしてあるのかを知りたいと思う。

 今回の佐賀県での授業で感じたことはどの町にもきちんとした素晴らしい歴史が残っているのだということだ。たいへん疲れたが、色々なことが学べたと思う。特に我々は高串、新田という農業、漁業全く違った生活をしている2つの町を調べることができ、非常に良い勉強になった。先生が調べろといったことは全く調べることができなかったが、ほかに授業だけでは学べない様々なことを学ぶことができたと思う。確かに、歩き、見、触れる歴史学を体験することができた。



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